ラジオ東京(現在のTBS)の演芸部門のプロデューサー。いち早く落語家との専属契約を結び、当時の放送業界に衝撃を与えた。
囲い込んだ落語家がすごい。八代目桂文楽、五代目古今亭志ん生、六代目三遊亭圓生、五代目柳家小さん、昔々亭桃太郎。後世になってみると、桃太郎は何で? と言われるかもしれないが、そのバランス感覚は見事といっていい。とにかく、文楽・志ん生・圓生・小さんに関しては、まさにいいとこ取り。先を越された他局が、やはり落語家と専属契約を結ぶが(NHKが『とんち教室』がらみで六代目春風亭柳橋、三代目桂三木助。文化放送が八代目三笑亭可楽など)、どう見てもTBSのブランドには敵わない。所詮、お余りを集めた感が漂ってしまう結果となった。
TBSを定年退職した後は、デグチプロを設立し、芸人のマネジメントをした。その仕事ぶりは、およそビジネスライクとは程遠い、徹頭徹尾芸人たちに寄り添ったものだったという。
私は八代目桂文楽のファンであり、このブログを始めたのも、文楽のことを語ってみたいと思ったのがきっかけだった。
そして、この文楽の信任厚い出口一雄という人に行きあたる。
前述したようなことは、高校の時読んだ大西信行著『落語無頼語録』中の「桂文楽の死」で知っていたが、出口はあくまで脇役に過ぎなかった。その後、京須偕充の『圓生の録音室』で出口の人柄に触れ、そして、同じ京須の『みんな芸の虫』中、「鬼の眼に涙」で、ついに出口を主役に据えた文章を読むことができた。
しかし、それは出口の最晩年を切り取っただけで、出口がどのような足跡を辿った人なのかについては、ほとんど分からなかった。
ネットで調べても、京須の文章が元ネタになったものしか出てこない。
あれほどの人が、生年すら明らかでないとはどういうことか、出口一雄を埋もれさせている状況に、私は密かに憤慨した。
そんな気持ちも込めて、手持ちのネタをかき集め、「文楽と出口」という記事を書き、ブログにアップした。 四代目桂三木助や森田童子のような反応はなかったが、とりあえず出口一雄のことを形にして発信したことに、私は満足していた。
出口のことを書いて1年半以上経って、思わぬ展開になった。出口一雄の姪御さんから、ブログにコメントを頂いたのだ。メールのやり取りで、出口の生い立ちやTBS入社前のことが明らかになってきた。私は少なからず興奮した。
彼女は、Suzi Leavensさん。ロス在住。出口一雄の弟の娘さんである。
最近、石口玲という筆名で『女70歳のアメリカ一人旅 ― ルート66から始まる大陸走破11100キロ』という本を書いた。
写真大学卒業。卒業制作は、先代三遊亭小圓朝。あの八代目桂文楽からは甘納豆の食べ分けを教わったという。
Suziさんの著書はこちら。ぜひご一読を。
というわけで、これから、「桂文楽と出口一雄」というコーナーを新設し、彼女の証言をもとに記事を構成して随時ブログにアップ、戦後落語史における重要人物でありながら、その詳細について、ほとんど知られていなかった出口一雄の足跡と人となりを辿っていくことにする。
では次回をお楽しみに。
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