ページビューの合計

2017年1月8日日曜日

『大工調べ』の解釈を巡って ― 立川談志と五代目柳家小さん

大分前、立川談志と五代目柳家小さんの『大工調べ』に関する解釈の違いについて触れたことがある。
ここでは、原文を比較してみたい。
まずは立川談志。『現代落語論其の二 あなたも落語家になれる』(1985年・三一書房)より引用する。

     *   *   *    
 
 私の『大工調べ』を聞いた小さんは(私は現在破門中とかで、師匠の小さんと書けないのである)、
「お前の大工の棟梁の啖呵を聞いていると、まるでチンピラのようで威勢がよすぎる。あれでは棟梁の貫録がなくなっちゃって、ダメだ」
 だが、どうも合点がいかなかった。
 あの話はどう考えても棟梁がよくない。相手の家主は、口の利き方は横柄だが、理屈は合っている。
「あと八百の銭を払ってくれれば、与太郎の道具箱は渡す・・・」
 といっているのだ。八百は八厘である。八百の銭を家からもってくれば、あの話はお終いである。それを、やれ職人の貫録がどうの、と棟梁はわめく。
 後半は大岡裁きとなって、職人という庶民、弱者に味方をする大岡越前守の力により、大工側が勝つ。貧乏人の勝利と喜んだ客にこの噺が受けた時代もあったのだろう。
 (中略)
 昔は喜んだようなものの、時代に合わなくなってしまった。だから後半を演じるものがいなくなったのは、
「大工は棟梁、調べを御覧(ごろう)じろ」
 という駄洒落の落げがつまらないのではなく、話に無理を感じたから演者が演らなくなったので、あの話のテーマは、棟梁のハネッ返りなのだ。粋がった棟梁のバカさ加減でとうとう裁判所までわずらわせてしまったオッチョコチョイが主題なのだ。
 あの棟梁は、きっとどこでもこういった騒動をおこしているに違いない。湯屋(ゆうや)にいけば、番台の釣り銭の出し方が気に喰わないと啖呵を切り、天ぷら屋でも寿司屋でも、同じ愚かをやっているはずだ。だから、軽々しいチャチな啖呵が本当なのではないか・・・。
 志ん生はひと言でいった。 「そうだよ、あの棟梁は啖呵が切りてぇんだヨ」
 患っている志ん生である。舌の回らない志ん生である。その志ん生が、『大工調べ』の本質を見事にいってくれた。天晴であった。私の惚れた志ん生は間違っていなかったのだ。

     *   *   *

では五代目小さんの方。『五代目小さん芸語録』(2012年・中央公論社)からの引用。語り手は小さんの門人、柳家小里ん、聞き手は石井徹也である。

     *   *   *

― (前略)「うだうだ言っていないで、与太郎をそこに置いといて、八百持って来れば何とか納まっちゃう話」なのに、棟梁の側の面子もあって騒ぎになるのかと思っていました。
小里ん そのあたりはウチの師匠の演出はキッチリ作ってあって、「お屋敷に門止めの時間がある」ってのが大事になります。棟梁としては、「門止めの時間に間に合わねェ。与太郎に貫録をつけさせてやりたいから、大家のとこへ自分が来ている」という了見なんです。師匠の場合、それくらい与太郎を立てて、「こいつは馬鹿だけれども、親孝行だし、仕事をさせれば人並み以上だから、職人の貫録をつけさせたい。それを今、八百文、取りに行ったら間に合わない」と棟梁は焦れている、だから「たかが八百くらい」ってつい言っちゃうんです。
 決して大家の変化が分からないわけじゃなくて、「最初から与太郎を一人でやっちゃってマズかったな」という腹で棟梁は来てる。「八百文、持ってくりゃあ簡単な話だ」とも分かってるんです。だけど、「門止めがあって、できねぇから、オレが謝りに来てんだ」という腹ですね。だから、「何もそんなに因業なこと、おっしゃらなくてもいいじゃないですか」というセリフになるんです。
 志ん生師匠の言ったというみたいに「棟梁は啖呵を切りたい奴なんだ」じゃなくて、喧嘩なんかしたくないけれど、大家が張った悪意の網に引っかかっちゃうわけなんですよ。
― むしろ大家の方に煽りがあるんですね。
小里ん そうそうそう、師匠の演出だと、そうじゃなきゃダメなんだよね。
― 大家の方が喧嘩腰を秘めてる。
小里ん 「こいつの上げ足とって怒らしちゃえ」と、棟梁が怒りだすのを待ってるんです。端っから、道具箱を渡す気はサラサラねぇんだもん。棟梁が来て、「おい、棟梁が来たよ」って奥の婆さんに言う件から、「ああ、この野郎か、差し金をしたのか」とヘソを曲げてるわけです。ただ、大家もあんなに棟梁が怒りだすとは思ってなかった。それは「想定外」(笑)。
 そこの腹積りが大事なのと、あとは与太郎への気持ちですね。与太郎を立てるという。結局はそこで始まる喧嘩だから。
― 大家の側にそういう悪意があると、志ん生師匠から家元が教わったという「棟梁が悪い」という考えは成り立ちませんね。
 小里ん 「こいつは喧嘩したいだけだ」というのは、志ん生師匠の中に「お屋敷の門止め」という意識が入ってないんでしょうね。大工の棟梁だから、「啖呵を切りたい奴だよ」と言われりゃ、商人か何かよりはそういう要素が強いだろうけど、いくら職人の世界でも、そんなに単純な奴では棟梁になれませんからね。
― それこそ『三軒長屋』の目白の師匠の頭を聞いていれば、「なるほど、人の上に立つのとはこういう思慮深い人か」が分かりますから。
小里ん 「“志ん生師匠にそういう風に言われ”たって、あいつが言うけどもな。そういうことァねぇんだ。棟梁ってのは、ちゃんとしてなきゃダメなんだ。そらまァ、江戸っ子で気が短いのは持った性分でしかたねェけれども」ってね。実際、仕手方を何人も使って納めていく人にただ喧嘩っ早いなんてことァないわけでね。
 逆に言えば、そういう棟梁をしまいには怒らせるんだから、いかに大家が性質(たち)が悪い大家かって(笑)。そういう風に人物を描かなきゃいけないわけです。そうして成り立つのが五代目小さんの『大工調べ』の世界なんですよ。

     *   *   *

談志も論理的だが、小さんや小里んも論理的だ。こういう応酬はぞくぞくするな。落語の深みを感じさせる。
談志の批判を受けての反論だから、小さん側に説得力があるのは仕方がない。ただ、談志の指摘を受けたからこそ、このような考えが披瀝されたのだろう。小さんの『大工調べ』論を知ることができたのは、談志のおかげである。談志が、「教えてもらったままを演じるだけの落語家」なら、このような展開にはならなかった。談志の飽くなき探求心が、小さんの深さを引き出したともいえる。
惜しむらくは『五代目小さん芸語録』が、談志の死後に発表されたことだ。小さんの反論に、談志はどう答えただろうか、興味がある。
生前、談志に対して正面切って批判する者がいなくなってしまった。談志自身は、こういうやり取りを望んでいたような気もするのだが。

2 件のコメント:

Unknown さんのコメント...

志ん生のいう「棟梁は啖呵切りたかっただけ」は、長年どうも納得いかなかったが、小里んの説明聞いてよく
理解できた。しかし、寄席に来る奴でそこまで深く考える客は少ないであろう。みんな頭の気持ちのいい啖呵が聞きたいのだ。やる演者は気持ちのいい江戸弁を聞かせてください。

densuke さんのコメント...

コメントありがとうございます。
志ん朝とか柳朝の「大工調べ」の啖呵、スカッとします。
確かに深く考える人は少ないと思いますが、何かの折に演者の了見などを知ると、私は嬉しくなります。
この記事も嬉しくなって書きました。