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2019年11月15日金曜日

鹿島神宮

この間、仕事で鹿嶋に泊まった。
朝食を食べて、朝一番で鹿島神宮にお参りした。




創建は神武天皇即位の年。香取神宮と並んで、東国一の歴史を誇る神社である。
『常陸風土記』には、「大化5年(649年)、中臣氏が惣領であった高向の大夫に請願して神の郡を設置した。その地に鎮座する天の大神の社、坂戸の社、沼尾の社の三社を合わせて香島(かしま)の大神と申し上げる」という記述がある。

突き当りは坂戸神社、沼尾神社の遙拝所である。
まず最初に高房社にお参りするのが決まりなのだという。

手前が高房社。武甕槌大神の東国平定に貢献した建葉槌神をお祀りしている。
後方は仮殿。現本殿が出来上がるまで神様を遷すために造営された。
拝殿にお参りする。本殿・拝殿を含む社殿は1619年、徳川二代将軍秀忠によって寄進された。



きれいに掃き清められた奥参道を歩く。


奥参道途中に鹿園がある。江戸時代にはここに神宮寺という寺院があった。


奥宮にお参り。この社殿は徳川家康が寄進したものである。


ここから左に行くと御手洗の池。右へ行くと要石がある。



鎌倉時代以前は、御手洗の池辺りまで入江になっていて、参拝者はここまで船でやって来た。御手洗の池で身を清めてから参拝するのが習わしだったという。


この先に船着き場があったのだろう。
震災で鳥居が倒壊し、いまだに再建されていない。
御手洗の池から坂を上ると奥宮に出る。


そこから、さらに真っ直ぐ奥に進むと要石がある。

要石に行く途中にある、大鯰を抑える武甕槌大神像。

要石。地中には巨大な岩があり、言い伝えでは千葉県の香取神宮まで及んでいるらしい。
この御手洗の池から奥宮、要石へと続くコースが古代の鹿島神宮の社域だった、という説がある。
鎌倉時代、土地の隆起によって御手洗の池への入江が航行できなくなり、大船津から行くことになった。そこに西の一之鳥居が作られた。


以後、現在の参拝ルートが確立され、楼門とか社殿とかが整備されたのではないか。
位置関係は、境内の案内図の通りである。T字の形になっているのは、そのような経緯からだったと考えると納得がいく。



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