永正6年(1509年)創立。伏見稲荷を詣でた地元の人が稲荷信仰を伝えたのが起源とされる。
その昔は女化ヶ原といわれた原野だった。社伝には次のような伝説が残っている。
根本村(現稲敷市)の忠五郎という青年が、土浦に莚を売りに行った帰り、女化ヶ原で猟師に撃たれそうになった狐を助けた。その晩、旅の若い娘と老人が宿を請う。翌朝、下男の老人が路銀を持って逐電し、哀れに思った忠五郎は、娘を家に置いた。娘は八重と名のった。やがて二人は結ばれ、三人の子どもに恵まれる。ある日、八重が末っ子の添い寝をしていると、子どもたちに尻尾が出ているのを見つけられる。八重は、あの忠五郎に助けられた女化ヶ原の狐の化身だったのだ。正体を見られたのを恥じた八重は、「みどりごの母はと問わば女化の原に泣く泣く伏すと答えよ」と書置きをして姿を消した。
その後、忠五郎の末子の子どもは侍となり、数々の手柄を立てた。これも狐の祖母の御加護だと思い、祖母が隠れたという女化ヶ原の穴の近くに稲荷神社を建立したという。
社殿は平成14年再建のもの。 |
狛犬は、親子の狐である。 |
奉納額。その昔の女化神社の様子らしい。 |
こちらは天岩戸伝説でしょう。 |
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