今日は平日の休み。
妻はお出かけ。私は次男を学校へ送る。
ついでに下妻に向かう。下妻といえば「下妻物語」。しかし、私は本も読んでいないし映画も見ていない。
戦国時代は多賀谷氏の居城があった。一時は20万石の勢力を誇ったが、関ヶ原の戦いでの行動が家康の不興を買い、6万石に改易され、やがて佐竹とともに秋田へ移封となった。
1606年(慶長11年)、家康の十一男、松平鶴千代が下妻藩主となる。3年後、鶴千代は、水戸に移され、徳川頼房となった。こうして水戸藩は徳川御三家の一角を占めるようになる。
一方、下妻藩は何度か藩主が交代した後、幕府領となっていた。1712年(正徳2年)、井上正長が1万石で藩主に着任。このまま明治維新まで井上氏の治世が続いた。
1864年(元治元年)7月7日、下妻郊外の高道祖(たかさい)で天狗党と諸生党・幕府追討軍との戦闘があった。天狗党が敗れ、筑波山に退却したが、翌8日、飯田軍蔵の先導で、追討軍の宿舎、多寶院に夜襲をかける。不意をつかれた追討軍は大敗した。
下妻藩士は町の防衛のために天狗党と戦い、4名が討ち死に。幕府軍に助力を乞うたが、彼らは下妻藩を見捨て江戸へ帰還した。残された藩士は陣屋を焼き払い、藩主のいる江戸へ向かった。下妻には小藩の悲哀があふれている。
市街を歩くのは初めてだ。駐車場を探したが、どこも月極、ふらっと訪れた者が利用できる所は見当たらなかった。駅前に有料駐車場を見つけたが、常総線利用者しか使えないという。
とりあえず昼飯にしようと町中華の駐車場に車を止めて、暖簾をくぐる。
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チャーハン、750円。長年愛された味。 |
なかなかしぶい店構え。いいねえ。
とはいえ、ここに長く止めるわけにはいかない。街中をぐるぐる車で回りながら、路肩に止めて写真を撮る。路肩が広いのが、不幸中の幸いだった。
交差点の所に空地があるのに気づき、車を乗り入れてみる。そこには、こんな石碑があった。
ここが下妻発祥の地とのこと。明治初年には近隣の神社を合祀した五所神社があったという。どうやら私有地ではない様子。短時間だけ駐車させてもらうことにする。
いよいよ街歩き。やっぱり街は歩くに限る。
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井戸ポンプもありました。 |
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こちらのお店は薬局と銃砲店の二刀流。 |
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銃砲店を見るのは初めてだなあ。 |
歩いていたら商店街の駐車場を見つけた。気持ちに余裕がないと色々見落とすんだね。
まだまだ歩きたかったけど、帰宅時間が気になる。この辺にして、車で駅に向かい、常総線下妻駅を撮る。
最後のシメは下妻神社。
15世紀後半、下妻城主多賀谷家植が牛頭天王を勧請して建立したという。牛頭天王というからには、祭神は須佐之男命なのだろう。
でも、この像は「大きな袋を肩にかけ」ているところを見ると、大国主命みたい。まあ娘婿だし、問題ないか。
境内には大欅がある。推定樹齢500年。見事なもんだ。