今宵は中秋の名月。暑いけど。
お月見のお供え。ススキの穂がまだ出ていなかったとのこと。
夕食は、赤飯、けんちん汁、秋刀魚の塩焼き、胡瓜の浅漬け。旨し。デザートに梨を食べる。これまた旨し。
月もきれいに出ていたな。
急遽仕事が入った妻は、9時半頃帰って来た。お疲れ様。
朝、御飯、味噌汁、ウィンナーソーセージとチキンナゲット入りのスクランブルエッグ。
妻は仕事に行く。本来、今日は休みなのだが、お祭りで人手が足りないそうなのだ。
コーヒーを淹れて飲む。友部正人、はっぴいえんどを聴きながら絵を描く。
昼は次男が作った豚焼肉丼。
仕事から帰って来た妻と『光る君へ』を観る。
父が石岡のおまつりを見に行くというので送って行く。
車の給油。長男のPCの受け取り。
夕食はケンタッキー・フライド・チキン、ポテトフライ、コールスローでビール、白ワイン。
食後にジョニーウォーカー黒ラベル。
昨日の石岡の風景。
3連休も今日まで。明日は仕事だ。玉ちゃんの『町中華で飲ろうぜ』を観て寝よう。
朝、トースト、牛乳、チキンナゲット、スクランブルエッグ。
妻は仕事に行く。
『虎に翼』の総集編を観た後、BSで一週間分の再放送を一気見。
昼は次男が作った釜玉うどん。旨し。
床屋。暑いけど歩いて行く。
長男のPCが不調になったので、PCデポへ。とりあえず預けてくる。
『光る君へ』の録画を観る。
妻と夕方ビール。
夕食は、グラタン、スープ、サイコロステーキ、モツ炒め。グラタンでビール、白ワインを飲み、その後は酒にする。酒は神崎の「五人娘」。甘口だな。普段の酒とは飲み口が違うが、滋味深くっていい。旨いよ。
食後に妻とジンソーダ。
雑誌『別冊太陽』の小泉今日子特集号を読む。
キョンキョンの言葉を読むと、背筋が伸びる。十代からアイドルとして大人の中で仕事をし、しかも己を失うことがなかった。覚悟が違う。謙虚で強い。
朝、マフィン、牛乳。
甥夫婦が遊びに来る。昼どき、父は甥夫婦をココスに連れて行く。
こちらは、次男が作ったそばめしを食べる。旨し。
甥は猫をひとなでして帰る。
井伏鱒二『荻窪風土記』を拾い読み。「関東大震災直後」「震災避難民」「二・二六事件の頃」。
夕食は、スープ餃子、夏野菜の肉炒め、ポテトサラダでビール、酒。酒は甥からのお返しの純米吟醸。旨し。
寝しなにジョニーウォーカー黒ラベル。
『福田村事件』で、被差別部落民の薬売りのひとりが、「エタと朝鮮人とどっちが下か」と言っていた。こうして差別は再生産される。階層社会は、より下を用意することで、支配者層への不満を吸収する。
あの映画で、差別を忌避するのは、インテリや富裕層。何だかんだ言って、過酷な日々を送っている者は、差別することによって慰撫されるということか。もし、そうだとしたら、とても悲しい。
最近、関東大震災における朝鮮人虐殺について、「暴動は事実であり自衛によるやむを得ないものだった」という言説がはびこる。とにかく「日本人は残虐なことはしない」と思い込みたい人たち。そういう人たちは、中韓の残虐行為をあげつらい、そっちはどうなんだ、と言う。どの民族もそういうこともしてしまうんだよ、人間だから。
BS・NHKのドラマ『団地のふたり』を観て寝る。
朝、トースト、牛乳、ウィンナーソーセージ入りスクランブルエッグ。
妻は仕事。息子たちは高エネ研の一般公開を見に行った。
暑い。土浦に佃煮を買いに行ったが、散歩はやめにした。
昼は家に帰って、サッポロ一番味噌ラーメンを作って食べる。やっぱり旨いなあ。
仕事から帰って来た妻と『光る君』の録画を観る。
夕方、米を取りに行く。50袋を運ぶ。疲れた。
夕方ビール。
夕食は冷しゃぶ、ポテトサラダ、肉団子でビール、酒。
寝しなにジョニーウォーカー黒ラベル。
今日は写真を撮らなかった。この前撮った、真壁の田圃。 |
昨日は、親友S君と、映画『福田村事件』を観た。自主上映会があるのを教えてもらって、前売りを買っておいてもらっていたのだ。
関東大震災の朝鮮人虐殺に伴い、千葉県で起きた事件に題材をとったもの。監督は森達也。オウム真理教のドキュメンタリーを撮ったことで知られる人だが、今回は劇映画に挑んだ。
千葉の農村の土俗的な生活と、讃岐からやってくる被差別部落出身の薬売りの一行の旅暮らしが並行して描かれる。やがて大地震が起き、朝鮮人の暴動がまことしやかに語られる。不安が高まる中、薬売りの一行を朝鮮人と誤解して、村人が殺戮を繰り広げる。
震災の4年前の三・一独立運動で起きた、日本軍による朝鮮人虐殺、提岩里教会事件。日々起きる犯罪事件を朝鮮人や社会主義者のせいにする風潮を醸成するマスコミ。被差別部落民、朝鮮人に対する差別。虐殺に至るまでのプロセスを、森は丁寧に描いていく。
加害者になったのは普通の村人である。農民であり在郷軍人である。彼らを駆り立てたのは「不安」だ。差別してきた者から復讐されるのではないかという不安。それが彼らを過剰にした。加えて「集団」として動き出してしまう。「集団」の外にいる人もいたにはいたが、最早誰にも止められなかった。
この事件が起きた9月6日に、この映画を観ることができたのは意義深いものだったと思う。
秋刀魚が好きだ。毎年今頃になると書いているが、秋刀魚が好きなのだ。私だけでなく、一家そろって好きなのだ。
スーパーで1匹98円で買えた頃は、それこそ週に1回は食った。
もはや、そんな時代ではない。秋刀魚はすっかり高級魚になってしまった。漁獲量が減り、諸経費が高騰し、年に2、3回しか食えなくなった。
それも仕方のないことなのだろう。だからこそ、秋刀魚との逢瀬を大切に楽しみたい。
さて、昨日、北海道の八海くんの所から、秋刀魚が送られてきた。一家を挙げて狂喜乱舞、早速、今日の食卓にのぼった。
幸せな時間を過ごさせてもらった。食後は余韻を楽しみながらジョニーウォーカー黒ラベル。
いっぱい送ってくれたから、まだ楽しめるな。八海くん、ありがとう。
9月になった。
9月1日は101年前に関東大震災があった日だ。
私の祖母は、当時、浅草にいた。大正8年に祖母は最初の夫と結婚して上京した。21歳の春だった。祖母の戸籍謄本には「大正八年参月拾壱日*****ト婚姻届出 同日東京市浅草区長三浦八十次受附」という記載がある。三浦は大正8年3月から大正12年2月まで区長を務めた。その三浦の後任が、小説『羊の怒る時』の作者、江馬修の兄で、震災処理に奮闘した江馬建である。
祖母が浅草で暮らし始めて4年目の秋、震災で浅草は火の海と化した。吉村昭の『関東大震災』によれば、浅草区の98.2%が焼失した。家屋の倒壊から逃れ避難した人々も、四方から襲いかかる業火で焼け死んだ。本所区横網町被服廠跡で3万8千名、浅草区田中小学校敷地内で1081名、浅草区吉原公園で490名が犠牲となった。
いつだったか、晩酌をやりながら「よく生き残ったね」と言ったら、父が「ばあちゃんは、上野に逃げたから助かったんだ」と教えてくれた。
その後、祖母は離婚して故郷へ帰った。そして祖父の後妻として再婚する。祖父の実家に、祖母の弟が婿養子に入ったのが縁になったらしい。
戦後、祖父の実家から父が養子に来たので、私と祖父には血のつながりはあるけれど、祖母とは血のつながりはない。それでも、祖母は私のことをとても可愛がってくれたし、私も祖母のことは大好きだった。
浅草で震災に遭って助かったのは、上野に逃げた人たちだった。祖母は紙一重で生き延びた。私の「大好きなおばあちゃん」は、様々な偶然が重なって私の前に現れたのだ。
2019年5月の浅草の風景。
もちろん、関東大震災は災害としての側面以外に、デマに踊らされた群衆が虐殺に走ったという側面がある。それについては、後日改めて書いてみたい。