ページビューの合計

2025年10月21日火曜日

【雑談】文楽十八番『厩火事』

 今回は『厩火事』について語ろう。

 

お崎は髪結いが稼業。七つ年下の亭主は何もせず家でぶらぶらしている。そんな夫婦には喧嘩が絶えない。今日もお崎が旦那の所へ駆け込んできた。旦那の方も仲人はしたものの、始終愚痴を聞かされるのでたまらない。亭主の料簡が分からないと言って嘆くお崎に、旦那は、愛馬を火事で失っても家来の心配をした孔子と、夫自慢の皿をかばって階段を落ちた妻よりも皿を心配した「さる旦那」のエピソードを紹介し、亭主の心を試す方法を提案する。亭主の大切にしている瀬戸物の皿を割って、お崎の体のことを心配すればよし、瀬戸物の方を気にするようだったら別れちまえ、というのである。意を決したお崎は家に帰り、言われた通り亭主の瀬戸物を割ってしまう。亭主は「ケガはないか?」と、お崎の体を案じる。お崎は感涙し、「お前さん、そんなにあたしの体が大事かい?」と聞くと、亭主はこう答えた。「当り前じゃねえか。おめえにケガでもされてみねえ、明日っから遊んで酒が飲めねえ」。

 

御存じ、黒門町八代目桂文楽の十八番だ。

文楽は、この噺を、名人三代目柳家小さんに稽古してもらった。小さんの型は、お崎夫婦のなれそめを含む、50分に及ぶ大作だった。それを文楽は20分に刈り込んだ。

『厩火事』は、よく聴くと嫌な噺だ。色川武大は「名人文楽」という文章の中で、この噺を例にとり、たとえ女性が主役であっても、落語は基本的に男のつぶやきだ、と書いた。亭主がまた「悪い奴」で、その亭主の都合がよいように事が運ぶ。男の論理で噺が展開している。

しかし、文楽は、そんな嫌な部分を感じさせない。ぽんぽんと調子よく、あくまで軽くもってゆく。聴いていて気持ちいい。驚くほど摩擦係数が小さいのだ。サゲの後で亭主が、「冗談だよ、おめえが大事に決まっているじゃねえか」なんて言い出すのではないかと思われるほど軽い。

それに、このお崎さんが、何といっても魅力的なのである。無邪気で、明るくて、思ったことを腹にしまっておけない正直さを持ち、愛嬌がある。しかも腕のいい髪結いだ。経済的に自立している自信がある。

私はこのお崎にはモデルがいると思っている。それは、文楽の最初の妻。

文楽は大阪、紅梅亭のお茶子と最初の結婚をして東京に戻った。名をおえんという。文楽よりも年上だった。文楽には通算5人の妻がいたが、この人が、いちばん文楽に尽くしたようだ。文楽が足を怪我したときには、彼を背負って寄席を回ったという。

しかし、私たちはこの後の文楽を知っている。文楽は、八代目桂文楽襲名の費用を賄うため、おえんと別れ、日本橋の旅館「丸勘」の女主人、鵜飼ふきと結婚し、入り婿となった。そして、関東大震災に遭って丸勘が倒壊するや、ふきを捨てて北海道へ巡業に出てしまう。しかも、その旅費を前妻のおえんに借りたというのだから、恐れ入る。その時、おえんは再婚し夫と食堂をやっていたという。文楽の稀代のエゴイストとしての顔がそこにある。

文楽は『厩火事』のお崎を、実に楽しそうに演じていた。私には、文楽がお崎の先におえんを見ていたような気がしてならない。それは、若い頃の贖罪というよりも、「あの女、可愛かったな」という懐かしみのようなものではなかったか。その意味でも、この噺は、やはり「男のつぶやき」なのだと思う。

 

ちなみに、古今亭志ん朝は、文楽がカットした、お崎と亭主の馴れ初めを補強している。お崎が相談に行く仲人を「兄さん」と呼ばせ職人とし、二階に居候をしていた道楽者の兄弟弟子を、お崎が見初めたという設定にした。榎本滋民は、それを神格化された文楽の『厩火事』の「穴」を埋めたとして、高く評価している。

確かに文楽の噺では、仲人は「旦那」というだけで、お崎との関係性がはっきりしないし、お崎の亭主も「うちから出た人間」というだけで、氏素性も曖昧だ。志ん朝の方が噺の輪郭はくっきりしている。

ただ、仲人を職人にしてしまうと、『論語』を引用するところに、私は違和感をおぼえてしまう。やはり、「余計な学問はいらない」職人よりも、同じ町人でも知識階級である旦那の方がしっくりくると思うのだが。

また、志ん朝が輪郭をくっきりさせたたことで、この噺は少し苦しくなった。DV夫との共依存夫婦のような色調を帯びているような感じがしてきたのである。これは、昨今、フェミニズムについて私自身が学習したことによる感覚なのかもしれないが。

『厩火事』には、文楽から志ん朝へ、志ん朝からその先へ、進化する余地があると思う。そして、そこには女性からの視点が必要になるだろう。今や優れた女性落語家も多い。落語が「男のつぶやき」でなくなる日も近いのかもしれない。

 

付記。

この噺でいちばん好きなくすぐりは、旦那から皿の値段のことについて、「お前の亭主が買うような150銭なんてものじゃない。何千円、何万円というものだ」と言われて返す、「あら、そんな大きなお皿があるんですか?」という一言。男たちがありがたがる「付加価値」を、無邪気に、そして痛快に笑い飛ばしてくれる。

0 件のコメント: