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2017年4月15日土曜日

春爛漫

長男は昨日宿泊学習から帰って来た。次男は慣れない中学生活でお疲れ気味。
というわけで、今日はのんびりと過ごすことにする。
午前中は散歩がてら床屋に行く。
桜は満開。多分見頃はこの週末までだな。
田圃からは今年初めての蛙の鳴き声が聞こえる。



散髪を終えたのが10時半過ぎ。
せっかくだからお昼はパンでも買って、外で花見でもしながら食べようということになった。
JAひたち野の販売所、「大地の恵み」でパンを買い、運動公園へ。
風が強かったので、駐車場に車を止め、皆でパンを食べる。
私はオニオンチーズと七味れんこん、玉子サンドをチョイス。美味しくいただきました。



夕方は長男のピアノの送迎。
ついでにやまうちストアでビールを買う。
近くの公園でも満開の桜。


帰って夕方ビール。
夕食は鯖の塩焼き、蓮根の素揚げ、煮物で燗酒。
風呂に入ってボウモアを飲む。

2017年4月13日木曜日

火の見櫓 その5


小美玉市堅倉、国道6号線沿いにある火の見櫓。
さすが小美玉市役所近く、市の中心部にあるだけに、高さも十分、形も美しい。


半鐘が吊るされている部分もむき出しではない。

こちらは同じ小美玉市内、やはり旧美野里町、鶴田の火の見櫓。

堅倉のよりいくぶん低い。


今時のものには珍しく半鐘が下がっている。

鉾田市串挽の火の見櫓。


鉾田市借宿にあるのと同じように建物の上に立っているタイプ。

ネオンサインで「火の用心」とある。
夜になると光るのかしら。

先日、小美玉市小塙にあった火の見櫓が撤去されていた。
こういうのはいつの間にかなくなっちゃうんだな。

在りし日の姿。

もう1枚別角度から。

通勤途中に見るの、楽しみだったんだけどなあ。

2017年4月10日月曜日

緑屋食堂 肉野菜炒め定食


鉾田市借宿にある緑屋食堂、肉野菜炒め定食、750円。
もうね、間違いないでしょ。小鉢の納豆なんか憎いねえ。

ではアップで。


野菜はしゃきしゃき。ほのかに香る胡麻油の風味がたまんない。
御飯何杯でもいけますな。旨し。

レジ横には、ただいまブレイク中、鉾田市出身の漫才師、カミナリのサイン色紙が飾ってありました。

2017年4月7日金曜日

沖縄の晩飯

沖縄の晩飯は2日ともホテルの外で食べた。
1日目は居酒屋、2日目は焼肉屋。
どちらも沖縄料理が充実して旨かったな。

まずは那覇の晩飯。

何はなくともオリオンビール。

赤マチの刺身。

ジマーミドーフ。
落花生のお豆腐。ねっとり旨し。

ラフテー。感動的に旨し。
ここのは味噌味。

ウミブドウ。

ソーミンチャンプルー。

ここで泡盛。

豚の塩漬け。しょっぱい。

麩チャンプルー。
麩に味が染みて旨いのさ。

沖縄風焼きそば。
沖縄そばをおたふくソースみたいな甘いソースで炒めている。

国際通りからちょっと入ったとこにある。
居心地のいい店でした。

2日目は恩納村。モントレー沖縄のすぐ近く。

やはり何はなくともオリオンビール。

子どもたち大好き、ウミブドウ。

アグー豚三種。

柔らかくて旨し。

ここのラフテーは醤油味。

やんばる鶏三種。

肉厚、旨し。

ゴーヤチャンプルー。

なかなか洒落た店構えでした。


2017年4月5日水曜日

天宝 スタミナラーメン


鉾田の街中にある中華屋「天宝」のスタミナラーメン、750円。
茨城のご当地バージョン、かぼちゃとレバーの餡かけタイプも、「和風スタミナラーメン」という名前で、きちんとメニューの中に入っている。
こちらのスタミナは、たっぷりの白モツとたっぷりの野菜を炒め、生卵を落としたもの。がつんと辛いスープが食欲をそそる。

ではアップね。


白モツの量がハンパない。いかにも精が付きそう。旨し、であります。


リーズナブルなランチもある。メニューも豊富。お昼何にしようかなと迷っている時には、この店を選ぶことが多いな。

2017年4月3日月曜日

ご先祖様 もうちょっと詳しく

昔の戸籍謄本がいくつか出てきた。それで、うちの初代のおばあさんについて、詳しいことが分かってきたので、書いておく。

初代のおばあさんは、名前をそて(ソデ)といい、天保9年(1838年)に生まれた。三遊亭圓朝の一つ上。初代柳亭燕枝、四代目桂文楽(俗にいう「でこでこの文楽」)、政治家では大隈重信、山形有朋、役者では九代目市川團十郎が同い年である。当時の水戸藩主は徳川斉昭。翌年には蛮社の獄があった。明治維新が30歳の時か。前半生は、まさに幕末の激動の時代だったのだ。
明治15年(1882年)、夫丑之介と別れ、今の土地に移り住む。裁縫所を開き、近隣の子女の教育に貢献した。裁縫所の教え子が出資し、うちの墓を建立してくれたのが明治34年(1901年)であった。
明治41年(1908年)、隣町から養子をもらい一時隠居するも、間もなく養子が出奔、翌年戸主に戻った。
明治42年(1909年)、二人目の養子をもらう。この人が私の祖父である。祖父は明治44年(1911年)、初代のおばあさんの生家から嫁をもらう。
初代のおばあさん、そてが隠居したのは大正10年(1921年)。ということは、少なくとも83歳までは存命だったということだ。
戸籍謄本には、そてさんの没年は書いていない。

そてさんの連れ合いが、天狗党だったと聞いている。
しかし、その人が誰なのかがはっきり分からない。
そてさんは夫と別れた後、分家の形を取って旧姓に戻すことなく、終生夫の姓を名乗っていた。墓には、そてさんの戒名と並んで、男の戒名が彫ってあり、過去帳には当家初代「清庵」と残っている。しかし、過去帳にも墓にも丑之介という名前は残っていない。
では、そてさんはここに移り住んでから新しい夫を迎えたのだろうか。そして、それが清庵さんなのだろうか。しかし、祖父の戸籍には、養母はそての記載があるが、養父は空欄である。

うちに残る掛け軸には、そてさんと総髪の初老の男が並んで描かれている。この総髪の人が天狗党だったということだ。
それがこれである。




絵が描かれたのが明治24年。そてさん分家が明治15年ということは、この場に丑之介さんはいなかったはずである。
ここからは推察である。明治15年以降に、そてさんは新しい夫を迎えた。この明治24年に描かれたのがその人だ。そして、その人は墓ができた明治34年まではこの家にいた。墓には彼の戒名も彫られた。この人が清庵さんなのではないか。しかし、祖父が養子に来る明治42年の頃には、家を出てしまっていた。(もし亡くなっていたら、祖父の戸籍の養父の欄には、亡**という記載があったはずである。)
その間、戸主は2番目の夫に移ることはなく、ずっとそてさんが務めていた。何といってもこの家は、そてさんが経営する裁縫所によって生計を立てていたのだから。
さて、この推測が当たっているかどうかは分からない。もはや当時を知る人も生きてはいまい。真相が明らかになることは、もうないだろう。
でも、こうやって遠い昔に思いをはせ、我が家のルーツを想像してみることは楽しい。また何か面白いものがみつかるといいなあ。

2017年3月31日金曜日

パリアッチみき 鉄板スパゲティー



パリアッチみき。鉾田市串挽にあるログハウス風のお洒落なお店。鉾田では昭和の御世からの人気店である。洋食だけではなく、釜飯が自慢で和食も充実している。

鉄板スパゲティーセット。スープとサラダが付いて、税込1004円。
ナポリタン風の味が付いたパスタにミートソースがかかっている。どこか「もんく」のナポリミートを連想させる一品だ。パスタの下にはキャベツが敷いてあって、これがメニューにあるように、焼きそばみたいな感じにさせている。
鉄板のおかげで、ずっと熱々。せっかちの私は口の中を火傷しそうになるが、それがまたいいのだ。

では、アップでどうぞ。



タバスコかけて、粉チーズかけて、もりもり食うのがよろしい。
旨し、です。