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2017年5月2日火曜日

晩春の土浦散歩

先日、長男と土浦を散歩した。
モール505近くの駐車場に車を止め、歩き出す。
いい天気。



土浦の街の至る所に鯉のぼりが下がっている。
駅前通りに出る。

武蔵屋。どうしても撮っちゃう。


手前の所には店が立ち並んでいたが、取り壊され公園ができるという。

お昼は亀屋で、と思っていたのだが、お休み亀城公園に入る。



中城通りへと向かう。

看板建築のコーヒー屋さん。もとは何のお店だったんだろう。

琴平神社と不動尊の間の路地を抜け、中城通りに出る。

ほたてで天丼を食べ、駅前通りを駅の方へぶらぶら歩く。


武蔵屋さんのこの絵が大好き。


駅ビルの本屋で、高橋源一郎『恋する原発』を買う。
帰って読んだが、見事にひどい。『ジョン・レノン対火星人』といい、ひどい小説を書かせたら、天下一品だな、この人は。

2017年5月1日月曜日

春風亭小朝の八代目桂文楽論


1998年に小学館から出たCDブック『八代目桂文楽』。ここには多くの人が寄稿しているが、中でも春風亭小朝の文章が異彩を放っている。


小朝は中学1年生の時、初めて文楽を見かけたときの印象をこう語る。
「体から異様なオーラを発散していまして、そのオーラというのも、いわゆるスターが出しているようなきらびやかな、金色に輝くような、そういうオーラではないんです。谷崎文学をほうふつさせるような、ちょっと異形というか、異様なオーラを体から出していたのを、子供心に強烈に覚えています。」 

そして、文楽の人間性や芸の本質について、以下のように考察していくのである。
「文楽師匠という方は、強烈なサディズムとマゾヒズムを同居させていた方だと思うんです。で、そのまん中に、何というんですかね、どろりとした、言葉では言い表せないような独特の感性がありました。
 (中略) なぜ僕がそういうことを考えるようになったかというと、文楽師匠のレパートリーがあまりに偏っているということなんです。
 中心になっているネタが、盲人と幇間、それからすべての物を支配して君臨する旦那が主人公、というこの三つなんです。
  志ん生師匠や圓生師匠のようにレパートリーの多い方がこういうネタを持っているなら不思議はありません。だけど、文楽師匠のようにネタの数の少ない方が、その八割ぐらいまでがそういうネタであるというのは、異常だと思います。
 (中略 筆者注:『按摩の炬燵』、『愛宕山』などの演目が挙げられる)もうとにかく弱い立場の人間が徹底的に虐待される噺なんです。
  もちろん虐待されるということは、虐待している側も出てくるわけで、(中略 筆者注:同様に『かんしゃく』『寝床』など)よくもここまでいじめたりいじめられたりする落語だけをレパートリーに入れたなという感じがするんです。
 もちろんネタはご自分で選ぶわけですから、文楽師匠の中で非常に演じ易いと思ってこのネタを選んでいるわけです。自分の姿が投影し易い、自分の姿がその落語に合っているということだろうと思うんです。
 極端にいじめたり、極端にいじめられたり、どちらをやっているときも文楽師匠には快感があったんだろうと思います。」 

この切り口は斬新だった。いわゆる「無駄のない」「磨きに磨き上げられた」「完全無比な」等という常套文句の出てこない、文楽という人間の深淵に迫るかのような論評は初めてだった。文楽が、ただ「陽気で」「気配りがきいて」「その一方で小心で」というだけでない、複雑で陰翳のある人物として立ち上って来る。これはこれで文楽を多面的に理解する上で、優れた見方なのではないかと、私は思ったのだ。 

小朝は、2000年刊『言葉の嵐』(筑摩書房)の中でも、文楽に触れており、次のように書いている。
「文楽師匠は、ちょっとでも自分の考えている事と違う事態が起こることを、極端に怖れていた方だと思います。もともと神経の細やかな人は背景に強いコンプレックスを持っている事が多く、当然、師匠も例外ではありません。
 噺家としては不器用であるという自覚、そしてひとりの人間としては、幼年期あるいは少年期のトラウマがかなりあったような気がします。十八番のほとんどが、主人公を極限まで追い詰める噺であるという点にも性格が表れているような気がします。」 

主張としては、ほとんど前述のCDブックのままだ。小朝にとって文楽はこのような人物として定義されていたと言っていい。
しかし、ここで私は、ここまで人の心の闇に迫ろうとする、あるいは迫ることのできる、小朝自身について考えてしまう。論ずるというのは自分を語ることでもある。小朝もまた自身の中に、文楽の闇に感応するような部分が、どこかにあるのではないだろうか。 
『言葉の嵐』中のこの文章の冒頭近くに、「ところで皆さん、文楽師匠が浣腸マニアだって御存知でした?」という文章が出てくる。
確かに文楽には毎朝の浣腸の習慣があった。柳家小満んの『べけんや』の中にもその場面は登場する。小満んは、その情景を懐かしげに楽しく描いたが、それが小朝を中継すると「浣腸マニア」という刺激的な言葉に転換される。その後、「文楽師匠はきっと、二、三日前に食べた物がお腹にあることが許せなかったんでしょうね。自分の身体が汚れていくような感覚があったのかもしれません。それに、もし仕事場でもよおしてきたりしたら、集中力がなくなりますから、一日の始まりにきちんと出しておく、これも芸のためです。」と客観的な考察を入れているとはいえ、である。
刺激的な言葉で読者を惹きつけようとした、と考えるのが普通だし、それが正しいのだろう。ただ、私としては違和感が残った。そしてその違和感は、小朝のCDブックでのこんな記述に行き着く。
彼は文楽を「強烈なサディズムとマゾヒズムを同居させていた方」とした上で、「極端にいじめたり、極端にいじめられたり、どちらをやっているときも文楽師匠には快感があったんだろうと思います。」と言うのだ。ん?快感?ここでも刺激的な言葉を使っているな。
もしかして小朝は、文楽にそのような性向があったとでも言いたいのか。そして、その部分に敏感に感応するということは・・・。そう考えると、私は、小朝にも「どろりとした、言葉では言い表せないような独特の感性」を、感じずにはいられなくなったのである。

2017年4月29日土曜日

ほたて 天丼

妻と次男がお出掛け。田圃は配水の不具合があり、様子見。
ということで、今日は長男とお留守番。
長男は学校から山のように課題が出たらしく、午前中ずっと机に向かっていた。
昼近く、長男を土浦散歩に連れ出す。いい天気だもんな。

お昼は亀屋がいい、と言っていたが今日はお休み。
では吾妻庵か、と訊くと、「ほたて」がいい、と言う。
シブイぞ、高1.
そこで亀城公園を抜けて中城通り、駅前通りの角にある、ほたてに行く。



店構えからしてすごいでしょ。
私も息子も天丼(並)を注文。それがこれ。

本格派は蓋付き。

蓋を取る。

天ぷらの構成は、吾妻庵の天ぷらそばに載ってるやつとほぼ同じ。

明治2年以来、当店名物のあら汁。

胡麻油の香ばしさが口中に広がる。

天丼(並)870円。小海老と小柱のかき揚げに、海老天2本。しょっぱめのタレがたっぷりとかかっている。旨し。長男もひと口食べて「美味しい」と喜んでおりました。
店内の佇まいも文句なしだねえ。


戦時中は海軍御用達のお店。
ちなみに「ほたて」は「帆立」ではなく「保立」であります。

では店の全景を。


ここ、何度撮っても飽きないんだよなあ。

2017年4月25日火曜日

三代目三遊亭圓歌を悼む

昨日、三代目三遊亭圓歌の訃報を知る。

私が小学生の頃、若手の売れっ子といえば、林家三平と三遊亭歌奴(後の三代目圓歌)であった。私としては小噺の羅列の三平より、ストーリー性のある歌奴の方が好きだった。
その半生は『三遊亭圓歌ひとり語り』(河出書房新社・2014年刊)に詳しい。
東京向島で育つ。昭和4年生まれか7年生まれか、はっきりしない。向島区役所が戦争で焼けて、正確には分からないのである。だから、メディアによっては、享年85としてある所と、88としてある所が混在している。
親の顔もろくに知らず、もの心ついた時には、駄菓子屋を営む祖母とともに暮らしていた。住んでいたのは玉ノ井遊郭があった辺り。幼なじみには漫画家の滝田ゆうがいた。
岩倉鉄道学校を出て、新大久保の駅員になったが、戦争が終わってすぐ、二代目三遊亭円歌に入門する。知り合いの落語家に「落語をやればどもりが治るんじゃないの」と勧められたのがきっかけだった。入門してみれば、師匠の円歌も吃音だったというから面白い。
大ヒット作は言わずと知れた『授業中』。吃音の小学生が、カール・ブッセの「山のあなたの空遠く 幸い住むと人の言う」を朗読するも、どもって「山のアナアナアナ・・・」と言ってしまうのがバカ受けに受けた。自らの吃音を逆手にとっての創作だった。
昭和45年(1970年)には、師匠の名跡である三代目圓歌を襲名する。圓歌時代の大ヒットが『中沢家の人々』。自分の両親、先妻の両親が同居している所に、新妻の両親もやって来て、老人6人をいっぺんに面倒見るドタバタを描いて爆笑を呼んだ。高齢化社会を先取りしたような落語である。この噺は幼い頃から家庭に恵まれなかった圓歌が、理想の家族を思い描いて作ったのだという。
2本とも圓歌の屈折を基に作られた噺だ。ただの爆笑ネタではない。そうでなければ、何十年も受け続けるはずがない。

2014年8月、鈴本演芸場昼の部が、私が生の圓歌を観た最後になった。この時は、「御前落語」の思い出を喋っていた。幾分たどたどしくはなっていたものの、相変わらず面白かったし、客にもよくウケていた。
トリの三遊亭歌之介がまた熱演。5秒に1度の爆笑といっても過言ではない。その辺りはまさに師匠圓歌譲りだが、彼の懸命のサービス精神は圓歌のライバル初代林家三平を彷彿とさせた。歌之介に、圓歌・三平の遺伝子が受け継がれているのを見て、私は嬉しかった。

私が中学1年の頃、石岡で圓歌の独演会があった。落語が好きだという私に、伯父がわざわざチケットを取ってくれた。しかし、その日は部活の試合と重なっていて、泣く泣く諦めざるを得なかった。気の毒に思った父が、本屋で興津要編『古典落語』を買って来てくれた。これが私が落語にハマるきっかけとなったのだ。
三代目三遊亭圓歌は、だから、私を落語に導いてくれた恩人なのである。

圓歌師匠のご冥福を祈る。これだけ客を笑わせることに徹し、笑わせ続けた人もいないだろう。本当に長い間楽しませていただきました。ありがとうございました。


2017年4月23日日曜日

全日本学生落語選手権を見る

昨日、テレビをつけたら偶然全日本学生落語選手権をやっていたので、結局終いまで見てしまった。
私が学生時代にもこういう大会は行われていて、大学1年の時には先輩の夢三亭艶雀さんが決勝に進出した。(艶雀さんは4年在学中に十代目桂文治に入門し、現在は二代目桂小文治として活躍している。)
その時の優勝は、当時東海大学2年生だった頭下位亭切奴さん。御存知、現春風亭昇太である。彼が演じた『饅頭怖い』は10分程度の高座だったが全編放映された。衝撃的な面白さだった。
今は安楽庵策伝所縁の地、岐阜で開かれているらしい。
今回の選手権はNHKが放映していたが、決勝進出者7人の落語は全てさわりだけ。優勝者だけでも全編流せばいいのに。
だけど、さわりだけでも楽しかった。上手いよね、皆。『ちりとてちん』演った関西の男子なんか見事なもんだった。
それにしても決勝進出7名中、4名が女子、女の子の元気さが目立ったな。これがまた、皆、自由にのびのびと演じている。特に優勝した『動物園』を演じた藤の家みるくさん(だっけ?)、よく「落語は男のものだ」と言われ、事実女性が演じると不自然さが目立ったりするんだけど、そんなことまったく感じさせなかった。女性落語の新たな可能性を感じさせる高座だったと思う。審査員の桂文枝が「先生になるという夢を諦めて、ぜひ落語家になってほしい」と言っていたけど、まあ最大の賛辞だよな。いいもの見させてもらいました。

夜は宴会。まあまあ飲む。

今日は妻がお出掛け。
子どもたちと、昼はゆきむらに行って、ラーメンと炒飯を食べる。
いい天気。家の周りは花ざかり。









柿の若葉もで始まる。

GWの後半は田植えだねえ。



2017年4月21日金曜日

笠間市岩間

ちょっと前、笠間にぐい吞みを買いに行った帰り、岩間の街中に寄ってみた。
今は笠間市の一部だが、もとは西茨城郡岩間町。その中心部をぶらつく。

まずは旧355号線沿い。


もとは時計屋さん。
この建物がいちばん好き。

もう1枚。正面から。


精米所。

もう1枚。現役のようです。

駅前通り。

喫茶店としては営業していないのかな。

これも好きだなあ。

これも、もう1枚、正面から。


今は何だかフツーの集落になっちゃったなあ。
広域合併というのはそういうものなのかねえ。

2017年4月19日水曜日

沖縄の昼飯

先月の沖縄旅行で食べた昼飯。

まずは2日目。美ら海水族館を見た後、本部そばの店に入る。


私はタコライス(800円だったかな)を注文。そばともずくが付いてくる。
ではアップです。

タコライスは御飯たっぷり。

肉は三枚肉とソーキの2種類。旨し。

妻子はソーキそば(700円)を食べた。
次男は完食。長男はほんの少し私に助けを求める。

店構えはこんな感じ。

お昼時、表でちょっと待つ。

きれいな店内。
おかあさんが気さくに接客してくれました。

3日目は那覇空港のフードコート。私は沖縄ランチを食べる。

とんかつ、鳥の唐揚げ、白身魚フライ、ゴーヤチャンプルー、オムレツ。
満艦飾の一皿。

妻は長男と豆腐そばを取り分けた。
ちょっと味見させてもらったけど、やさしいお味でした。

沖縄の食べ物は美味しいねえ。また皆で行こうよね。