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2018年9月22日土曜日

今日の日記

朝、御飯、味噌汁、マルシンのハンバーグ、海苔の佃煮。
次男のお供で千葉の流山に行く。いつもは妻と行くのだが、妻の仕事の日なので、私に出番が回ってきた。
TXのつくば駅から、南流山まで30分足らずの旅だ。次男は慣れているので、色々と世話を焼いてくれた。
次男のワークショップの間、私は流山の街をぶらつくことにする。
まずは古本屋に入る。吉行淳之介『がらんどう』(中公文庫)を150円で買う。
知らない街を歩くのは楽しい。歩いていると、そこがどんな街なのか、何となく分かってくる。








20分ほど歩くと、コーヒーが飲めそうな店があったので入る。


吉行の文庫本を読みながらコーヒーをいただく。ブレンド410円。
食事、甘味、喫茶、お酒、何でもありのお店らしい。


30分ほどのんびりする。
ではそろそろ次男をお迎えに参りましょう。



流山駅前のモスバーガーで昼食。
12時半の快速でつくばに帰る。
Q’tのミスドでお土産にドーナツを買う。

夕食は、まさか昨日のブログを読んだのではなかろうが、伯母さんから秋刀魚をもらったので、塩焼きにする。それに冷奴と油揚げの焼いたのをつまみに、もちろん燗酒を飲む。
ごちそうさまでした。


2018年9月21日金曜日

秋刀魚が好き

私はもともと鯵や鯖などの青魚が好きなのだが、この季節だと、何といっても秋刀魚にとどめを刺しますな。
この頃は刺身も普通になったが、やっぱり塩焼きがいい。秋刀魚の場合、焼いたほうが旨味が増すような気がするのだ。
落語では十代目金原亭馬生の「目黒の秋刀魚」が食欲をそそる。あの、目黒で殿様が秋刀魚をつつく場面はいい。馬生というと、いぶし銀の渋い芸という印象が強いが、漫画的な描写も得意。大笑いしながら思わず生唾を飲み込んでしまう。
さて、この秋刀魚の塩焼きには、もちろん炊き立ての御飯なんだろうが、私としては燗酒もたまらんなあ。ビールや焼酎なんかより日本酒、それも冷より燗だな。
焼きたての秋刀魚に箸を入れ、まずは、はらわたからいく。しっとりとした食感、ほんのりとした苦みが酒に合う。小骨はそのまま食べちゃう。
薬味は大根おろしもいいし、生姜もいい。脂ののった肉に絡めてつまむと、これまた酒が進む。秋刀魚一尾で、酒二合いけるな。
週一でもいいいのだが、近年不漁のためか値段が高くなり、食卓に上る頻度もめっきり減ってしまったのが残念だよ。

新婚当時の食卓であります。

それにしても、狭量で猜疑心の強いリーダーを持つと、下々は大変ですなあ。

2018年9月19日水曜日

石岡のおまつり

この前の3連休には「石岡のおまつり」があった。
私は、中日の16日に見物に行った。
妻は「私はそれほど思い入れはないから、子どもたちと見に行って」と言うので、ありがたく、車で送ってもらうことにする。

友だちと約束している長男と駅前で別れ、次男を連れてぶらぶら歩く。
駅前通りから、まずは中町通り。さすがにお祭りとあっていっぱいの人出。
次男とたこ焼きをぱくつき、せっかくだからとハートランドビールを飲む。
そうこうしているうちに、幌獅子や山車がやって来る。




香丸町までぶらぶらして、妻にお土産の揚げ餅を買う。
1時間半ほどで次男は電池切れ。妻に電話すると迎えに来てくれた。
妻が「もっと見ておいで」と言ってくれたので、次男を預け駅前に戻る。

午後3時から、幌獅子パレードがスタート。20台以上の獅子が終結。そこからのパレードはさすがに見ごたえがあるなあ。たっぷり1時間、堪能した。



 
 


その後、久し振りに、高校・大学の同級生I君と飲む。
充実したお祭り見物だったよ。奥さん、ありがとう。

2018年9月15日土曜日

秋だね


朝から雨。朝食はご飯、みそ汁、ハム、スクランブルエッグ、鮭フレーク。
妻は仕事に出る。
午前中、子どもたちと図書館、本屋。
昼は子どもたちが焼きそばを作る。美味しくいただく。


午後は晴れる。
義母がお使い物に石岡の銘酒「渡舟」が欲しいというので、小川の酒屋に買いに行く。
ついでに街を散歩する。



天聖寺の参道を上る。


石段の脇にはたくさんの石仏があった。どれも江戸時代のものである。






天聖寺創設は1707年(宝承4年)、以来禅宗の名刹として知られたが、幕末、天狗党の乱の際、攘夷派浪士の拠点となり、乱の後荒廃した。明治3年6月30日午前2時に出火、堂宇はことごとく灰燼に帰し、そのまま廃寺となった。今は斎場が建っている。

それから、素鵞神社にお参りする。


素鵞神社は最近、御朱印が評判で参拝客が多い。今日も境内には何人かのグループがいた。


素鵞神社に隣接する小川小学校は、もとは城があった所。幕末には郷校ができて、天狗党の拠点となる。

高台の上から、小川の街を望む。


夕食は鳥すき焼きで燗酒。
前山にはヒガンバナが咲いていたし、いよいよ秋だねえ。



2018年9月13日木曜日

PC買っちゃった

PCの調子がおかしい。すぐ電源が落ちてしまう。
PCデポに見せたら、修理に5万以上かかるという。
今のところ、何とか使えているので、少しの間はずるずるやっていくつもりだが、いずれ完全に駄目になる時が来るだろうな。その時は買い替えか。安くない買い物だから、気が重いなあ。

と、ここまで1週間ぐらい前に書いた。
結局、新しいPC、買っちゃいました。安いやつだけどね。
使い始めは勝手がわからない。ストレスたまるなあ。
ま、そのうち慣れるだろうから、ちょこちょこやっていくことにしますよ。

この間の日曜日、散歩がてら図書館に行って本を借りた。
三島由紀夫の評論。これが、なかなか間違いが多い。
三島の祖母の伯父に関して、「水戸藩士で天狗党の乱に参加し自刃した」とあるが、「水戸藩の分家、宍戸藩の藩主で、天狗党の乱に巻き込まれ、切腹した」が正しい。マラソンの円谷幸吉は「円谷幸二」としてある。「円谷英二」とかぶったか。
何だかんだと突っ込みを入れながら読んでいる。楽しいっちゃ楽しいか。

「気に入らぬ風もあろうに柳かな」
いつの間にか忘れてたけど、これからはそんなふうにやっていこうかな。

 

やっとこの頃、秋めいてきましたなあ。

下の写真は、散歩の途中で撮った、庚申様の三猿。元禄年間のものである。



2018年9月5日水曜日

土浦市大畑の火の見櫓 ~火の見櫓19~


土浦市大畑(旧新治村)の火の見櫓。
この前、車の整備につくばに行く途中、見つけた。



今のところ、在庫はここまで。
また見つけたら、紹介します。(需要はないかもしれないけれど)

2018年9月1日土曜日

『関東大震災の禍根―茨城・千葉の朝鮮人虐殺事件―』(桜井優子・五島智子/筑波書林)と『証言集 関東大震災直後 朝鮮人と日本人』(西崎雅夫編/ちくま文庫)

『関東大震災の禍根―茨城・千葉の朝鮮人虐殺事件―』(桜井優子・五島智子/筑波書林)
茨城大学の卒業論文を基にしたもの。 千葉県は習志野連隊がらみで虐殺があったことは知っていたような気がするが、茨城県にもこういうことがあったのだなあ。
当時の新聞記事や、事件を知る人々の証言を丹念に積み重ね、事の真相に迫って行く。誠実で真摯な記録。いかにも真面目な女子大生の仕事である。 

『証言集 関東大震災直後 朝鮮人と日本人』(西崎雅夫編/ちくま文庫)
こちらは、「文化人、庶民、子供の作文、公的資料が伝える朝鮮人虐殺事件」とある。生々しい、しかも膨大で詳細な証言の数々に圧倒される。 

大正12年9月1日午前11時58分、相模湾の北西部を震源として、マグニチュード7.9の地震が発生した。これによって首都圏は壊滅状態となり、死者99331人、行方不明43476人という甚大な被害を受けた。
この震災による犠牲者は地震や津波、それに伴う火災によるものだけではなかった。地震直後から、「朝鮮人が暴動を起こし、爆弾による放火や井戸への投毒が行われている」というデマが流布し、多くの朝鮮人が暴行を受けて殺された。朝鮮人ばかりではない。中国人、社会主義者、朝鮮人に間違われた人たちも犠牲となった。 

阪神淡路大震災当時の自治大臣で国家公安委員長だった故野中広務は、辛淑玉との対談『差別と日本人』の中でこんなことを言っている。
「『関東大震災の二の舞は絶対にしてはいけない』。これは当時、警察庁長官だった國松孝次さんが最初に徹底的に言うたこと。彼は兵庫県警本部長をしておったので、兵庫のことと、長田(神戸市において在日コリアンが多く居住していた区域)のことも一番よく知っている。」
関東大震災時には、警察や軍もデマを拡散していた。その反省は、阪神淡路大震災にも、東日本大震災にも生かされたと思う。歴史に学ぶ謙虚さを、権力の中枢にいる人たちが持っていたことに安堵したい。 

しかし、未だに「実際に朝鮮人による暴動はあった」などと言う人もいる。根拠は何かというと、当時の新聞に書いてあるからだと言う。
『関東大震災の禍根―茨城・千葉の朝鮮人虐殺事件―』の茨城新聞の記事の記録を見ると、確かに9月4日付に「朝鮮人二千の掠奪 毒薬を井戸に投入した噂」、9月5日付でも「不逞鮮人団の目標 胸に赤布は爆弾組 黄色の布は毒薬組」という記事がある。
しかし9月9日付になると「鮮人行為に虚伝多し 戒厳司令部発表」とあり、9月12日付では「徒らに昂奮して 鮮人を憎悪するなかれ 第十四師団参謀長 井染禄郎氏談」となっている。
ちゃんと新聞は、当局の公式発表として、朝鮮人による暴動が「虚伝」であることを報じているし、朝鮮人に対する暴行をやめるよう呼びかけてもいるのである。(遅きに失した感は否めないが)
犠牲者の数がはっきりしないことを問題視する人もいるが、そもそも当時、日本政府がそれらの調査に消極的だったことが原因であって、それをもって「虐殺はなかった」ということにはできないだろう。虐殺を裏付ける、それを目撃した人の証言は、膨大な数に上っているのだから。 

東京都の小池百合子知事は、「関東大震災で犠牲になった全ての方々を追悼したい」として、虐殺事件の犠牲者への追悼文を、昨年に引き続き今年も送らないことに決めた。自然災害の犠牲者と、それを生き延びた後に人によって殺された人々を同一に扱うことで、虐殺の事実が覆い隠されてしまうのではないか、という指摘は多いが、小池氏はそれに対してきちんと答えようとはしない。 

当時、酷い朝鮮人差別があったからこそ、「日頃の復讐のため、彼らが暴動を起こした」というデマに、少なからぬ日本人は恐怖し過剰に反応したのだ。『証言集 関東大震災直後 朝鮮人と日本人』の後書きには「今でも大きな地震があるたびに外国人を排斥するデマが流れる。『朝鮮人を殺せ!』というヘイトスピーチが大音量で街頭を流れる。日本社会には九五年前と変わらぬ光景が現れつつある。その恐ろしさの一端を本書で感じていただけたら幸いである。」と書かれている。あの時、何があったのか。それを知ろうとすることは、極めて今日的な問題なのだと、私は思う。