境町の利根川の堤防にあった看板の落書き。
随分怒ってますなあ。
ここに至るまでに、何があったのか興味深い。
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2013年11月27日水曜日
山口果林『安部公房とわたし』
高校の卒業アルバムの寄せ書き、友達が「大社長」とか「トレノGばんざい」なんてことを書いている中で、私は「終わりし道の標べに」と書いた。気障だねえ。その頃から、安部公房は、私の好きな作家だったのだ。
一読して思う。そうか、安部公房も「火宅の人」であったか。 檀一雄の『火宅の人』は小説家が女優を愛人にする話だったが、この本は小説家の愛人になった女優の話だ。
23歳年下、自分が勤める大学の教え子で、自分の劇団の女優となる娘と関係を持つ。しかも、安部の方からアプローチしたらしい。
安部公房といえば、抒情に流されない、圧倒的に知的な作家という印象がある。それが、しっかり若い娘に溺れるんだな。
つくづく人間って弱いんだな、と思う。人には理性では御しきれない業ってやつがあるのだろう。安部にとっては、この山口果林がそういう存在だったのかもしれない。
でもね、著者と安部の家族との確執も綴られているが、そりゃ妻や娘にしたら堪ったもんじゃないよねえ。私は家庭が大事だし、妻や子を愛しておるので、どうしても安部の家族の感情を想像してしまう。著者も辛かったろうが、家族の辛さは格別だろう。安部公房自身は苦しかったんだろうか。
だからといって、安部を責めるつもりはない。おそらくしょうがないことだったのだ。安部公房は、火宅の道を選んだ。そういうことだ。
著者による衝撃の告白の連続だ。家業の従業員に受けた、幼児期の性的虐待。NHK連続テレビドラマ『繭子ひとり』のヒロインが決まった頃、安部の子どもを宿し中絶したこと。安部の妻との修羅場。安部公房との事実婚生活、そして彼の最期。行きつ戻りつ、時に繰り返されながら、それらが淡々と語られる。
安部の死後封印され、なかったことにされたが如き存在だった著者は、語らずにはいられなかったのだ。安部とともに生きた証が欲しかったんだと思う。それは、安部のことを、「安部」でも「公房」でも「彼」でもなく、いちいち「安部公房」とフルネームで表記していることに、痛切に感じられた。
余談だが、安部公房が撮ったと思われる写真がいい。表紙カバーの無防備な表情、仕草。まさに心を許した者にしか見せない姿だ。可愛らしいし、美しい。安部公房が彼女に溺れているのが、まざまざと分かるようだ。
一読して思う。そうか、安部公房も「火宅の人」であったか。 檀一雄の『火宅の人』は小説家が女優を愛人にする話だったが、この本は小説家の愛人になった女優の話だ。
23歳年下、自分が勤める大学の教え子で、自分の劇団の女優となる娘と関係を持つ。しかも、安部の方からアプローチしたらしい。
安部公房といえば、抒情に流されない、圧倒的に知的な作家という印象がある。それが、しっかり若い娘に溺れるんだな。
つくづく人間って弱いんだな、と思う。人には理性では御しきれない業ってやつがあるのだろう。安部にとっては、この山口果林がそういう存在だったのかもしれない。
でもね、著者と安部の家族との確執も綴られているが、そりゃ妻や娘にしたら堪ったもんじゃないよねえ。私は家庭が大事だし、妻や子を愛しておるので、どうしても安部の家族の感情を想像してしまう。著者も辛かったろうが、家族の辛さは格別だろう。安部公房自身は苦しかったんだろうか。
だからといって、安部を責めるつもりはない。おそらくしょうがないことだったのだ。安部公房は、火宅の道を選んだ。そういうことだ。
著者による衝撃の告白の連続だ。家業の従業員に受けた、幼児期の性的虐待。NHK連続テレビドラマ『繭子ひとり』のヒロインが決まった頃、安部の子どもを宿し中絶したこと。安部の妻との修羅場。安部公房との事実婚生活、そして彼の最期。行きつ戻りつ、時に繰り返されながら、それらが淡々と語られる。
安部の死後封印され、なかったことにされたが如き存在だった著者は、語らずにはいられなかったのだ。安部とともに生きた証が欲しかったんだと思う。それは、安部のことを、「安部」でも「公房」でも「彼」でもなく、いちいち「安部公房」とフルネームで表記していることに、痛切に感じられた。
余談だが、安部公房が撮ったと思われる写真がいい。表紙カバーの無防備な表情、仕草。まさに心を許した者にしか見せない姿だ。可愛らしいし、美しい。安部公房が彼女に溺れているのが、まざまざと分かるようだ。
2013年11月20日水曜日
忘れられない、たい平の『お見立て』
それは2006年の4月のことだった。
私は当時、柳家三太楼という落語家のHPを愛読していた。柳家権太楼の一番弟子。柳家さん喬を思わせるソフトな語り口、それでいて時折見せるエキセントリックな爆発力は、確かに権太楼のDNAを感じさせた。2001年に真打に昇進し、実力派若手真打として将来を嘱望されていた。
その彼のHPが突然、閉鎖された。そして、落語協会のHPから三太楼の名前が消えた。やがて、師匠権太楼のHPで、三太楼の破門、落語協会からの除名が発表される。理由は「弟子として許されないことをした」とだけしか書かれていなかった。何が何だか訳が分からず、憶測が憶測を呼んだ。色んな噂が流れたが、真相は依然として分からなかった。
その渦中、私は4月下席の池袋演芸場、夜の部を観に行く。
この席は、三遊亭白鳥、柳家喬太郎等、1960年代生まれの若手真打が競演するという企画で、三太楼も出演予定だった。
近くの回転寿司でビールを飲みながら軽く腹ごしらえをして、客席の人となる。出演者は誰も三太楼のことには触れない。当たり前か。そんなデリケートな話題に、触れられるはずもない。
代演で林家たい平が出た。(それが三太楼の代演だったかは、よく覚えていない。)たい平は、いつも愛嬌のあるサービス精神あふれる芸人だ。しかし、この日は違った。引き締まった、どこか怒ったような顔つきで、彼は高座に現れた。そして、ほとんど枕も振らず、『お見立て』に入っていったのだ。
たい平が登場したのが、仲トリの2つ前。そこへトリネタでもおかしくない『お見立て』をぶつけてきた。私は同じ池袋演芸場で、2000年に古今亭志ん朝の『お見立て』を聴いている。たい平の『お見立て』は、どこか、この志ん朝の『お見立て』を彷彿とさせた。
そして、それは、私には三太楼への強烈なメッセージのように聞こえた。「三太楼、必ず高座に帰って来いよ」と、たい平が叫んでいるように聞こえたのだ。
その後、仲トリの柳家喬太郎が自作の新作(「夫婦喧嘩の噺」と当時のメモにはある。)で場内を爆笑の渦に巻き込み、柳亭市馬が『締め込み』を余裕綽々で演じ、トリの三遊亭白鳥は改作『悋気の独楽』の怪演で観客の度肝を抜いた。
誰もが三太楼の行く末を案じながらも、それを言葉にせず精一杯の熱演でそれに代えたように感じた。その中でも、私としては林家たい平がベストだったな。あの『お見立て』に、私はたい平の男気を感じた。
その年の10月、柳家三太楼は、三遊亭小遊三門下、三遊亭遊雀として再出発を果たした。彼の再起を、私は密かに喜んだ。
私は当時、柳家三太楼という落語家のHPを愛読していた。柳家権太楼の一番弟子。柳家さん喬を思わせるソフトな語り口、それでいて時折見せるエキセントリックな爆発力は、確かに権太楼のDNAを感じさせた。2001年に真打に昇進し、実力派若手真打として将来を嘱望されていた。
その彼のHPが突然、閉鎖された。そして、落語協会のHPから三太楼の名前が消えた。やがて、師匠権太楼のHPで、三太楼の破門、落語協会からの除名が発表される。理由は「弟子として許されないことをした」とだけしか書かれていなかった。何が何だか訳が分からず、憶測が憶測を呼んだ。色んな噂が流れたが、真相は依然として分からなかった。
その渦中、私は4月下席の池袋演芸場、夜の部を観に行く。
この席は、三遊亭白鳥、柳家喬太郎等、1960年代生まれの若手真打が競演するという企画で、三太楼も出演予定だった。
近くの回転寿司でビールを飲みながら軽く腹ごしらえをして、客席の人となる。出演者は誰も三太楼のことには触れない。当たり前か。そんなデリケートな話題に、触れられるはずもない。
代演で林家たい平が出た。(それが三太楼の代演だったかは、よく覚えていない。)たい平は、いつも愛嬌のあるサービス精神あふれる芸人だ。しかし、この日は違った。引き締まった、どこか怒ったような顔つきで、彼は高座に現れた。そして、ほとんど枕も振らず、『お見立て』に入っていったのだ。
たい平が登場したのが、仲トリの2つ前。そこへトリネタでもおかしくない『お見立て』をぶつけてきた。私は同じ池袋演芸場で、2000年に古今亭志ん朝の『お見立て』を聴いている。たい平の『お見立て』は、どこか、この志ん朝の『お見立て』を彷彿とさせた。
そして、それは、私には三太楼への強烈なメッセージのように聞こえた。「三太楼、必ず高座に帰って来いよ」と、たい平が叫んでいるように聞こえたのだ。
その後、仲トリの柳家喬太郎が自作の新作(「夫婦喧嘩の噺」と当時のメモにはある。)で場内を爆笑の渦に巻き込み、柳亭市馬が『締め込み』を余裕綽々で演じ、トリの三遊亭白鳥は改作『悋気の独楽』の怪演で観客の度肝を抜いた。
誰もが三太楼の行く末を案じながらも、それを言葉にせず精一杯の熱演でそれに代えたように感じた。その中でも、私としては林家たい平がベストだったな。あの『お見立て』に、私はたい平の男気を感じた。
その年の10月、柳家三太楼は、三遊亭小遊三門下、三遊亭遊雀として再出発を果たした。彼の再起を、私は密かに喜んだ。
2013年11月18日月曜日
白帆の湯
そろそろ妻の手にしもやけが出始めたので、いつもの日帰り温泉に行く。
麻生温泉白帆の湯。
霞ヶ浦を眺めながら温泉に浸かる。至福のひと時。
湯上りには休憩室で三ツ矢サイダー。昼食は海鮮かき揚げそば。
畳の上に寝転がって、テレビのNHKのど自慢を見ながらうつらうつらする。
もう一回入って帰ることにする。
すぐ近くの湖岸は、人工の砂浜になっている。
もともと霞ヶ浦は白砂青松の風景が広がっていた。度重なる洪水を防止するため、周囲をすべて堤防で囲ったため、そんな風景は姿を消した。
最近になって、堤防の向こう側に、何ヵ所か人工の砂浜が作られている。
ちょととだけ、砂浜に出る。やっぱ砂浜はいいなあ。
母の実家が霞ヶ浦に近く、子供の頃にはよく湖岸で遊んだ。小学校に入った頃は、まだ砂浜だった。霞ヶ浦の向こうには筑波山。あれが私の原風景なのだ。
夕食は、ピザとナポリタンで赤ワイン。たまには洋食もいいね。
麻生温泉白帆の湯。
霞ヶ浦を眺めながら温泉に浸かる。至福のひと時。
湯上りには休憩室で三ツ矢サイダー。昼食は海鮮かき揚げそば。
畳の上に寝転がって、テレビのNHKのど自慢を見ながらうつらうつらする。
もう一回入って帰ることにする。
すぐ近くの湖岸は、人工の砂浜になっている。
もともと霞ヶ浦は白砂青松の風景が広がっていた。度重なる洪水を防止するため、周囲をすべて堤防で囲ったため、そんな風景は姿を消した。
最近になって、堤防の向こう側に、何ヵ所か人工の砂浜が作られている。
ちょととだけ、砂浜に出る。やっぱ砂浜はいいなあ。
母の実家が霞ヶ浦に近く、子供の頃にはよく湖岸で遊んだ。小学校に入った頃は、まだ砂浜だった。霞ヶ浦の向こうには筑波山。あれが私の原風景なのだ。
夕食は、ピザとナポリタンで赤ワイン。たまには洋食もいいね。
2013年11月15日金曜日
秋の休日
この間の休み。
お出掛けをするつもりだったが、子どもたちが風邪気味だったので自粛。
お昼だけでもと、はま寿司へ行く。いわし、さば、さんま、あじと青魚を中心に攻める。
午後は少しだけ、石岡を散歩。国分町、若松町を中心に攻める。
この頃お気に入り、休みの日の夕方ビール。ちょっと贅沢に、キリンハートランド。
夕食はいも煮鍋で酒。
小室等のCD『プロテストソング』を聴く。
以下は石岡の写真。
白壁の土蔵が美しいねえ。
路地の奥にあった商家。私の好みだが、震災でやられたみたいだなあ。
若宮八幡宮。創設は神亀年間、奈良時代に遡る。
透かし彫りもいい。
こういうお店も好きなんだよね。
お出掛けをするつもりだったが、子どもたちが風邪気味だったので自粛。
お昼だけでもと、はま寿司へ行く。いわし、さば、さんま、あじと青魚を中心に攻める。
午後は少しだけ、石岡を散歩。国分町、若松町を中心に攻める。
この頃お気に入り、休みの日の夕方ビール。ちょっと贅沢に、キリンハートランド。
夕食はいも煮鍋で酒。
小室等のCD『プロテストソング』を聴く。
以下は石岡の写真。
白壁の土蔵が美しいねえ。
路地の奥にあった商家。私の好みだが、震災でやられたみたいだなあ。
若宮八幡宮。創設は神亀年間、奈良時代に遡る。
透かし彫りもいい。
こういうお店も好きなんだよね。
2013年11月13日水曜日
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