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2014年11月7日金曜日

河原子海岸

先日、日立へ行く用事があり、ついでに河原子海岸に寄ってみた。
台風の影響で、ひどく波が高い。
県北随一の海水浴場。シンボル烏帽子岩の近くには旅館が多かったが、閉館しているのもけっこうあった。交通事情がよくなって、海水浴が日帰りのものになってしまったせいか、それとも福島の原発事故の影響か。景観も素晴らしいし、まだまだ観光地として頑張ってほしいものです。

では河原子海岸の写真です。

この辺はサーフショップもあったりして、お洒落な雰囲気。夏は海水浴客でいっぱいなんだろうなあ。

河原子漁港付近。
凄い波。漁もお休みらしい。
防波ブロックを越えて波がやってくる。
漁師の皆さんが船の手入れをしていました。
後方に見えるのが、河原子海岸のシンボル、烏帽子岩。
河原子漁業協同組合。

 この近くには、旅館だったような建物がけっこうあった。
この小さい橋なんざ、洒落たもんですな。
上の橋があった建物。立派だねえ。

もと旅館らしき建物。
かすかに看板の字が見えます。 
裏から見るとこんな感じ。

なかなか味のある建物ですなあ。

黒板壁の家。粋な感じ。

烏帽子岩。周りはフェンスに囲まれて、入れないようになっている。
 
岩の上には神社があって、以前は参拝できたんでしょうなあ。

真新しい記念碑。地元の人の思いが伝わる。


2014年11月5日水曜日

新聞で『三四郎』を読む

朝日新聞で『こころ』に引き続き、『三四郎』が連載されている。
朝食を済ませ、これを読むのが、今の私の朝のお楽しみになっている。
改めて新聞小説として読むと、新鮮な面白さがあるなあ。
特に『三四郎』は、挿絵も当時のものを使ってて、それを見るのも楽しい。今朝のなんか、死神か?シュールだねえ。
そして、地方出身の三四郎の目を通した東京の風景が、またいい。漱石の筆によって、明治の東京を散歩しているかのようだ。
何かと大変な朝日新聞だが、こうして毎朝楽しみにしている読者もいるんだから、頑張ってよね。
(ちなみに高橋源一郎の月一連載も楽しみにしていますよ。)

下は、3年前、東大に行った時に撮った三四郎池の写真です。



2014年11月3日月曜日

お気に入りの置物シリーズ

お気に入りの置物シリーズ。

まずはミニカー。
飾ってあるのは、この4台。

シンガポールで買った、カントリーマン。

           こちらはロンドン土産。ワーゲンバスとミニ郵便屋さん仕様。

                                             モンテカルロラリー仕様のミニ。
これは本屋のラリー名車シリーズで買いました。

お次は新婚旅行のお土産です。新婚旅行はオーストラリアに行きました。
シドニーで買ったボトルシップ。

ホーボーコアラ。なかなか可愛い

最後は国産でシメましょう。
清水焼の香炉。
妻と京都へ行った時、買いました。

東京タワーのスノードーム。妻子を連れて行った時、買ったもの。
スノードームのコレクターとしても知られる、故安西水丸も持っていたといいます。
東京のスノードームといえば、まずはこれでしょうな。

この頃の休日のお楽しみ、夕方ビールの時は、こういうものを取り出しては、愛でながら飲んでおります。

2014年11月1日土曜日

港公園

外に出る仕事があって、ちょいとばかり時間が空いたので、久し振りに港公園に行ってみた。
ここまで来たら展望台に上らなきゃ。
鹿島臨海工業地帯の夕暮れの風景が圧巻。
しばしうっとりと眺めておりました。

カメラを持っていなかったので、ケータイで撮影しました。







2014年10月30日木曜日

お休み

平日の休み。
朝食は、ご飯、味噌汁、マルシンのハンバーグ。
妻と石岡のイオン、ウェルサイトで買い物。
昼は、南台の燈屋でランチ。
私は生ハムとにんにくのパスタ。妻はカルボナーラ。旨し。
バルサミコ酢を使った前菜が、また旨かった。
午後は床屋。
夕方、ヨークベニマルで買って来たハートランドビールを飲む。
DVDで、古今亭志ん朝の『締め込み』を観る。
泥棒が夫婦喧嘩の仲裁に出て、「お前は間男か?」と亭主に訊かれ、「あたしは、そんなあやしい者じゃないっ!」ってのが可笑しかった。くすぐりに作為を感じさせないところが、志ん朝の天才たる所以だな。
ふと気づいた。この時使っていたまんだら(手拭い)は、八代目桂文楽のではないか。私は雑誌『サライ』の付録に付いていた復刻版を持っているのだが、色といい家紋といい、まったく同じ。文楽の持ちネタを、落語研究会でかけるのにあたって、意識的に選んのだろう。志ん朝の黒門町に対する敬慕の念が偲ばれる。
前半は「間抜け泥」という古今亭の型だが、噺の呼吸は黒門町。それでいて、のびやかで楽しい、志ん朝ならではのものになっている。改めて凄い人だなあと思いました。
夕食は、さんまの味醂干し、もつ煮込み、回鍋肉で酒。
いい休みだったよ。

写真は親父が育てた菊。見事に満開。


2014年10月28日火曜日

ちょっと昔の風景シリーズ

ちょっと昔の風景シリーズ。自己満足かもしれないけど、私としては楽しいのよ、これ。

かつて土浦駅前にあった丸井。ここで結納返しでスーツを買ってもらった。
今は居酒屋が入る雑居ビルになっています。

土浦。手前の蔵は今もあるけど、後方の煉瓦造りのはいつの間にかなくなっていた。

これも土浦。もとは立派なお屋敷だったのか、お店だったのか。
もちろん今は跡形もありません。

小美玉市小川の本屋さん。
この時には看板はそのままで美容院になってたんだっけかな。
今はカフェになってます。「スタブラ」でタカトシが特製ベーコン食べてました。

鹿島鉄道の常陸小川駅近くにあった建物。もとは何のお店だったんだろう。





2014年10月26日日曜日

大仏餅

『大仏餅』という噺がある。
名人八代目桂文楽の最後の演目として知られている。文楽は、この『大仏餅』の口演中、絶句して高座を下り、それから4カ月足らずで死んだ。
もともとは三遊亭圓朝作といわれる三題噺である。「大仏餅」「袴着の祝い」「新米の盲乞食」の三つのお題をまとめたものだ。
大福さんが以前ブログで書いていたように、それほど面白い噺ではない。立川談志は「文楽師匠は、自分のネタはすべて十八番と言っているが、本当にそうか? 『大仏餅』なんか酷いもんだ。」と色んな所で言っていた。
あらすじは次の通り。

ある雪の晩、河内屋金兵衛の店に、子連れの新米の盲乞食が現れる。上野の山下で乞食連中に親父の方が袋叩きにされ、血止めのための煙草の粉を恵んで貰いにきたのである。子どもは6歳。ちょうどその晩、河内屋は子どもの袴着の祝いで、八百善の料理で客をもてなしたばかり。同情した金兵衛が、親子に料理の残りをやろうとして、面桶を預かって驚いた。それは、名器、朝鮮さはりの水こぼしだったのだ。素性を訊くと、その盲乞食は芝片門前でお上の御用達をしていた茶人、神谷幸衛門のなれの果てだった。そこで、金兵衛はおうすを一服立て、大仏餅を茶うけにして幸衛門に差し出すが、幸衛門は大仏餅をのどに詰まらせ苦しむ。背中をたたいてやると、餅が喉を通った拍子に幸衛門の目が開いた。しかし、と同時に彼の鼻が抜ける。「今食べたのが大仏餅、目から鼻へ抜けた」というのがサゲ。
結末がきれいではないし、サゲも分かりにくいのは確かだ。

柳家小満んは、著書『べけんや―わが師、桂文楽』(河出文庫)の中で、『大仏餅』について、こう述べている。
「よく出来ていると思うのは、三題のうち二つが噺の最初に出て来て、後の一つがサゲ際に現れるという点だ。三題のうち二題がいきなり出て来るから、お客は成程三題噺になりそうだと安心をする。ところが、あとの一つがなかなか出てこない。そのうち噺の内容に引き込まれて、それが三題噺であることを忘れて噺に聴き入ってしまう。すると、突然もうひとつの題が出て来てオチがつく。お客は、やられた! と思う寸法だ。」
プロならではの分析だ。とすれば、枕で三つの題を明示しておいた方がいい。その点で、文楽演出は、簡潔だが理にかなっている。
そして、この『大仏餅』が、文楽の絶句から10年後、同じ国立小劇場の落語研究会に、林家彦六の口演でかけられることになった。しかし、彦六は直前に入院してしまった。しかも脳軟化症を患っているらしい。とても高座は無理だ。そこで小満んにお鉢が回ってきた。気が進まぬまま引き受けたが、その日、彦六の弟子正雀と、『大仏餅』の作者とされる三遊亭圓朝の墓参りをしていたことに気づき、小満んはめぐり合わせを感じる。
さて当日、文楽が絶句した、神谷幸衛門名乗りの場面で、小満んも絶句に近い感覚に陥る。
「それは、乞食にまで零落した神谷幸衛門の無念さと、師匠文楽の絶句した口惜しさが交叉したからである。」と小満んは言う。
小満んは、何とかその危機を乗り切ったが、サゲ際に前座が鉦・太鼓をひっくり返してしまう。
ただ、この出来事は、小満んにとって『大仏餅』の真髄を掴むきっかけとなった。小満んはこう続ける。
「ポイントは神谷幸衛門の名乗りにあると悟ったからだ。その無念さこそ、この核心である。あとの難問はサゲである。楽屋の粗相も『そこを何とか解決してみてくれ』という師匠の心残りの現れだったのかもしれない。」
鳥肌が立つな。この「私の難問」という章は、この本の中でも白眉をなす一文だと思う。
桂米朝は、『CDブック八代目桂文楽』(小学館)の中で『大仏餅』についてこう書いている。
「食べ物をあげると言われて乞食が差し出す器を受け取った旦那が、手触りでふっと気付き、たしかめてみて、『こりゃあ大変だ』と低い声で軽く言うのだが、その一言で、複雑な驚きが充分に表現されていた。あの辺の呼吸も忘れがたい。」
確かに、文楽ネタの中では小品であり、また、体調が悪い時や客筋のよくない時に多くかけられた演目ではあったが、それでもしみじみとした味わいのある噺であった。
今なお談志の影響力は大きく、若い落語ファンの間では、彼が酷評した志ん朝の『鰻の幇間』や、この文楽の『大仏餅』などを低く見るきらいがあるが、決してそんなことねえぞ、と私は思うのだ。
ちなみに、古今亭志ん朝の生涯最後のネタ卸しは、この『大仏餅』であった。