寄席に初めて行ったのは、中学を卒業した年の春休みだった。
高校の合格祝いも兼ねて、父親が上野の鈴本へ連れて行ってくれたのだ。
芸術協会の興行(現在は鈴本で芸術協会の興行はない)で、NHKの「お好み演芸会」の収録がある日だった。
今でもその日の様子は覚えている。
柳好『道具屋』。圓馬『三人癖』。助六『あやつり』。いずれも先代である。
色物も充実していた。獅子てんや・瀬戸わんやの漫才。やなぎ女楽の曲独楽。
ひっくり返って笑い、目を凝らして見つめた。夢のような一時だった。
主任は六代目春風亭柳橋。ここから、TVの収録が入る。
ネタは『山号寺号』。子どもの私にとっては、全く面白くはなかったが、この人は偉い人なんだな、ということは分かった。
この後に、「針すなおの似顔絵コーナー」というのがあった。
針すなおが、赤い達磨にゲスト(この日は春風亭柳橋である)の似顔絵を描き、客にプレゼントをするという趣向である。
司会の桂米丸が「欲しい人は手を挙げてください」と言うと、一斉に客が手を挙げる。
私は学帽を振り回したが、結局、柳橋は他の人を指名した。
米丸は「そこの学生さんが帽子を振ってくれたんですがね」とすまなそうに言ってくれた。
最後は大喜利「はなしか横町」。
司会は若き日の柳家小三治。メンバーは、柳家さん八、桂文朝、三遊亭歌奴、三遊亭圓弥、三笑亭夢二(現夢太郎)といった面々。文朝、歌奴、圓弥は既に鬼籍に入った。皆あの頃はまだ若手だった。小朝が、笑点の山田君のような役割で出ていた。
NHKだけに「笑点」のようなはじけ方はなかったが、それでも私にとっては十分に面白かった。
この日のことは、私にとって大切な思い出となった。
いつか我が子も寄席に連れて行ってあげたいと思う。かつての私のように、喜んでくれるとは限らないのだが。
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