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2009年11月16日月曜日

田山花袋『田舎教師』

このところ昔読んだ本を読み返している。これもその一つ。
高校生の頃読んだときはつまんなかったなあ。でも、今読んでみると面白いのよ。
青雲の志を抱くものの、家の貧困のため、やむなく小学校の教員になった青年、林清三。
友人は東京の学校に進み、学問に恋愛に青春を謳歌している。それを羨望の眼差しで眺めつつ、自らも文学や音楽で世に出ようと試みるが、結局挫折してしまう。密かに想っていた女も親友に取られ、絶望の淵に落ちる。
一時女郎買いにはまり身を持ち崩しかけるが、やがてその女郎が身請けされ店からいなくなると、目が覚め立ち直る。平凡の尊さに気づき、日々の生活に向かうようになるのもつかの間、病魔が清三を襲う。肺病を病み衰弱し、日露戦争の遼陽陥落を祝う提灯行列賑わう中、息を引き取る。
切ないねえ。
皆、若いうちはひとかどの人物になりたいものだ。人間として生まれてきたからには、人の世にわずかでもいいから自分の名前を残したい。しかし、実は名も知られず死んでいく人の方が圧倒的に多いのだ。しかも、実際に世の中を支えているのは、一握りの名を残した人ではなく、名もない多くの人々なのである。
多くの人にとって人生とは、自分は特別な人間ではないということを知っていくことなのかもしれない。そして、自らの平凡と向き合い、自分と自分に関わる人たちの幸福への道を探っていくものなのだ。
清三は、恋に破れ、功名に挫折し、女の肉に溺れた。そうした体験をくぐり抜け、やっと平凡の尊さに気づいた直後、死病に冒された。日々衰弱していく清三が、路傍の草花を丹念に書きとめ(「じごくのかまのふた」「ままこのしりぬぐい」なんて名前の植物があるんだねえ)、元教え子との淡い恋に想いを寄せる。私は、この人は死ぬのだろうなと思いながら読み、死なないですむ終わり方はないものかと思いながら読んだ。
主人公は実在の人物をモデルにしている。実際にこういう人生を歩んだ人がいて、結核で死ぬ人が多かった時代、それがそんなに特異な人生であったわけでもないのだろう。
時折差し挟まれる「ラブ」や「ライフ」などの英語が何とも気恥ずかしいが、若者の稚気がよく出ていて微笑ましい。一度女の肉を知った後、それに溺れていくのも気持ちは分かる。元教え子との恋も応援したくなった。林清三は、至らぬところは多いが、側に行って手を差し伸べたくなるようないい奴だったな。
この小説の読み所をもうひとつ。片田舎の自然描写がすばらしい。清三の功名心や鬱屈とは関わりなく悠然と流れる四季の移ろいがいい。
ちなみに、この舞台となっている埼玉県の羽生・行田・熊谷にかけての辺りが、妻との交際時代よく通った所なんだよねえ。私事で申し訳ない。

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