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2011年12月19日月曜日

K君を悼む


大学時代、同じクラスで同じゼミだったK君が亡くなったと、やはり同じクラスで同じゼミだった岐阜のT君が報せてくれた。亡くなったのは今年4月。喪中のための賀状欠礼葉書で知ったという。是非とも彼の家に弔問に伺いたいとのことだった。
色々調整した結果、岐阜のT君、クラスメイトの静岡のT君、私の3人で、神奈川県H市のK君の家を訪問することにした。
K君の家の最寄り駅まで電車で行き、車で来た両T君と合流、K君宅へ。K君の仏前にお線香を上げ、遺影を拝見する。学生時代よりは大分太っていたが、あの頃と同じような穏やかな笑みを浮かべている。
ご両親にお話を伺った。鬱病になって10年、2年間休職し退職したのが8年前。その後統合失調症と診断される。大量の薬を服用し、その副作用で身体に症状が出ると、それを抑えるためにさらに薬が処方されたという。さんざんに薬漬けにされ、臓器不全に陥っての最期だった。
聞いていて堪らなくなったな。
K君は大学では司書の資格を取っていた。本が好きで本に囲まれて生きたかったんだろう。しかし、K君は役所の窓口業務の仕事に就く。いささか浮世離れした大学の文学部という所と違って、実社会はきつい。部下を抱え、様々な人に対応しなければならないような状況が、K君にはしんどかったんだろう。彼はいい加減に手を抜くなんて事はできない人だったからなあ。
あの頃、K君はいつも静かに笑っていた。私たちの馬鹿話から少し離れた所で。でも、その笑顔はとても優しかったんだ。
就職後も、静岡T君はK君をテニスに誘ったりしてお互い行き来していたらしい。文学部仲間のM君はK君の薬の量に驚き、飲んでいいものと飲まなくていいものとに分類してあげていたという。
ご母堂の剥いてくださった柿を食べながら、そんなことを話し合った。
お墓が近いというのでお参りさせて頂く。ご両親と一緒にお墓に行く途中、家並みの隙間から、けっこう大きく富士山が見えた。真新しい墓石に向かって手を合わせる。我々の訪問を、ご両親が喜んでくださったのが、唯一の救いだった。
K君宅を辞し、岐阜T君が宿を取っている本厚木へ向かう。本厚木でシロコロホルモンをつつきながら昔話をし、K君を偲ぼうというのだ。
途中、車から富士を見た。K君の戒名に孤岳院とあったのが、その富士と重なる。これから富士を見たら、K君を思い出すことにするよ。大変だったな。安らかに眠ってくれ。K君のご冥福を祈る。

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