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2011年12月6日火曜日

『鼠穴』について語ろう②

高校の時、ラジオで三遊亭圓生の『鼠穴』を聴いた。これはカセットテープに残してある。
50分に及ぶ大作だった。登場人物は田舎者だが、江戸情緒溢れる華麗なものだった。
枕では江戸名物から火事の話題を振る。竜吐水という江戸時代の消防ポンプを紹介、その水が出る様子を描写し、絶妙の間で「えいやあぁぁ、ぴゅっ、ぴゅって…、テヘッ、こんなんで、貴方(ああた)火が消(け)えるわけがない。」と言って爆笑を誘う。
話の途中でも「夢は五臓の疲れ」を仕込むのに自分の見た夢の話を挿入。マリリン・モンローと同衾し、「さあと思って抱きすくめようとするが手が回らない。よく見ると、これが高見山だったという…。」これもやたら可笑しかった。圓生の噺には、こうした茶目っ気が、よく顔を出す。
談志の『鼠穴』はもっと引き締まった構成だ。金を巡る兄弟の葛藤に、より焦点が絞られている。
兄は徹底したリアリストである。最初に三文しか貸さないのも、弟の状況を冷静に判断した末のものだ。夢の中とはいえ、三度目の対面では、「落ち目のお前にとても50両は出せない」と突っぱねる。弟へ金を貸すのも投資なのである。夢とはいえ、実際にそんなことを言い出しかねない雰囲気が、この兄にはある。一方、弟はロマンチストだな。肉親の愛を信じずにいられない。
このリアリストとロマンチストの相克が、あの夢の中の対決だ。この場面の談志の迫力は凄い。聴く者を圧倒する。感情が奔流のようにほとばしる。金を巡って兄弟の業と業がぶつかり合う。
そして、リアリストもロマンチストもどちらも談志なのだと思う。彼の金銭感覚にはそんな両極端な所があるような気がする。そういえば、談志の得意な『芝浜』『黄金餅』『文七元結』なんかは、どれも金が絡む噺だな。
この文を書くのに、プレミアムベストCDを聴いてみた。平成5年10月の「にっかん飛切落語会」での録音である。ふと、後半の田舎言葉の訛りが薄くなっているのに気づく。談志の演出は乱暴に見えて実は緻密だ。文楽を満足させる程の演じ分けかどうかは私には分からない。ただ意識的な演出なのだとは思う。
サゲの後、将棋の感想戦のような案配で観客に話しかけている部分も収録されていた。
あの初めて観た池袋演芸場、談志はサゲの後、高座から客席に下りて暫し客と話し込んだ。そんなことをやる落語家を初めて見た。今なら、談志はそういうことやるんだよな、ということを知っているけど、当時はびっくりした。噺にも感動したけど、この場面にも私は感動した。あの『鼠穴』が私の大学での落語生活を方向付けたのだ。
上手くまとめることはできなかったが、思い出の噺についてあれこれと書いてみたかった。ご容赦願いたい。ちなみに私は『鼠穴』を持ちネタにすることはなかった。

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