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2012年1月30日月曜日
餃子を作る
この前の土曜日は午前中仕事だった。
仕事を終えて、近くの洋食屋でカツカレーを食べる。
いそいそと帰り、午後は家で餃子を作る。
餡は妻が作る。挽肉、キャベツ、ニラに胡麻油とオイスターソースを混ぜたもの。カレー粉を混ぜたやつも作る。それを親子4人、せっせと皮に包んだ。
妻の餃子の焼き方は絶妙。ぱりっと焼いてくれるのよ。
晩飯はそいつをつまみに燗酒を飲む。
餃子は、広島の義妹のとこで送ってくれた、スダチぽん酢醤油につけて食べる。これが旨い。さっぱりしていくらでもいける。カレー味のはマヨネーズが合うね。
皆で作って、皆で食べるのはいいね。またやりましょう。
2012年1月26日木曜日
晃玉人形店・しばのや
2012年1月25日水曜日
落研の合宿②―シャレの諸注意―
入部して間もなくの春合宿のことだった。先輩たちの中で不穏な空気が漂っていた。「…の部屋で」「誰から呼ぶ?」などと小声で話し合う様子が、何かを思い出させた。
そうだ、中学校の時の野球部で、ヤキを入れられる前がこんな感じだった。ヤキ入れるというのは、暴力的な説教である。野球部ではバットを何本も並べた上に正座させられる。しかも足の間に1本バットを挟んでだ。これが痛い。説教が済むと、一人一発ずつビンタをもらう。嫌な思い出だ。
まさか大学のクラブ活動でヤキはないよな、と思いながら、何があるのが分からないのが落研だ、油断はできないという不安もあった。
部屋で4年生のいるかさん(いるかさんは、この合宿で真打に昇進され、四代目夢三亭一生楽を襲名した。)に、「今夜なんかあるんですか?」と聞いてみた。「先輩たち、様子が変ですよね。」
いるかさんは、最初ははぐらかしていたが、そのうちこんなことを教えてくれた。「実は“シャレの諸注意”というのがある。まあ説教だが、シャレだ。皆集まっている部屋に呼ばれてがんがん説教される。その後で『シャレだよ~』みたいな感じで皆で笑うんだ。」
そして、ふと思いついたように言った。「そうだ、お前、『シャレだよ~』になる前に、『こんなのやってられません』って言って、部屋を飛び出せ。うちの部屋に来て、泣き真似してろ。皆驚くぞ。」
私はびっくりして言った。「そんなことできませんよ。」
「いいからやれ。ここまで教えたんだ。絶対やれよ。」いるかさんは、ちょっと怖い顔で言った。
やがて、先輩が私を呼びに来た。私は緊張して、先輩方が集まる部屋に入った。まさに前門の虎後門の狼であった。
やったかって?やりました。もう必死だった。「こんなのやってられません!」と言って、無我夢中で部屋に戻り、突っ伏した。私の番が最後だったこともあり、説教もみっちりやられたから、リアリティーもあったのだろう。4年生の女の先輩が「伝助、これはシャレだから。」と言って必死に慰めてくれた。
堪らなくなって、「いるかさん、どうしましょう?」と助けを求めた。
芝居だということが分かって、わっと受けた。ドッキリに逆ドッキリで返すのは面白いもんな。
この成功体験が、後に悲惨な事件を引き起こすことになる。その話はいずれまた。
そうだ、中学校の時の野球部で、ヤキを入れられる前がこんな感じだった。ヤキ入れるというのは、暴力的な説教である。野球部ではバットを何本も並べた上に正座させられる。しかも足の間に1本バットを挟んでだ。これが痛い。説教が済むと、一人一発ずつビンタをもらう。嫌な思い出だ。
まさか大学のクラブ活動でヤキはないよな、と思いながら、何があるのが分からないのが落研だ、油断はできないという不安もあった。
部屋で4年生のいるかさん(いるかさんは、この合宿で真打に昇進され、四代目夢三亭一生楽を襲名した。)に、「今夜なんかあるんですか?」と聞いてみた。「先輩たち、様子が変ですよね。」
いるかさんは、最初ははぐらかしていたが、そのうちこんなことを教えてくれた。「実は“シャレの諸注意”というのがある。まあ説教だが、シャレだ。皆集まっている部屋に呼ばれてがんがん説教される。その後で『シャレだよ~』みたいな感じで皆で笑うんだ。」
そして、ふと思いついたように言った。「そうだ、お前、『シャレだよ~』になる前に、『こんなのやってられません』って言って、部屋を飛び出せ。うちの部屋に来て、泣き真似してろ。皆驚くぞ。」
私はびっくりして言った。「そんなことできませんよ。」
「いいからやれ。ここまで教えたんだ。絶対やれよ。」いるかさんは、ちょっと怖い顔で言った。
やがて、先輩が私を呼びに来た。私は緊張して、先輩方が集まる部屋に入った。まさに前門の虎後門の狼であった。
やったかって?やりました。もう必死だった。「こんなのやってられません!」と言って、無我夢中で部屋に戻り、突っ伏した。私の番が最後だったこともあり、説教もみっちりやられたから、リアリティーもあったのだろう。4年生の女の先輩が「伝助、これはシャレだから。」と言って必死に慰めてくれた。
堪らなくなって、「いるかさん、どうしましょう?」と助けを求めた。
芝居だということが分かって、わっと受けた。ドッキリに逆ドッキリで返すのは面白いもんな。
この成功体験が、後に悲惨な事件を引き起こすことになる。その話はいずれまた。
2012年1月21日土曜日
落研の合宿
以前、大福さんも書いていたが、私も合宿について書いてみる。
落研の合宿は、年に3回。GWの春合宿、9月初めの夏合宿、2月の冬合宿だ。
夏は伊豆は河津のいわたに旅館、冬は伊豆長岡の東や旅館と決まっていた。
春は特に定宿はなく、渉外係の腕の見せ所だった。私が1年の時は草津、2年は房総の千倉、3年は小諸、4年は江の島だった。
落研の合宿で何をやるかというと、これが落語をやるのだ。1日に2、3回、発表会と称し、ひたすら落語をやるのだ。しかも、真打が上がるまで正座で噺を聴く。詳しくは大福さんのブログの中の「冬の正座」という記事に書いてあるように、これが本当につらいのだ。
朝は発声練習。もちろん1年生は全力疾走で練習場所に向かう。夏はすぐ近くの海岸だったからいいが、冬は宿の裏山だ。上り坂をけっこう走る。途中、鶏を放し飼いにしてある家があり、鳥が苦手な夕姫さんがいつも大騒ぎしていた。
合宿というのは、文字通り部員が寝食を共にする。当然、1年生は礼儀作法を叩き込まれることになる。スリッパを揃える。お茶を入れる。お茶を入れるのにもやり方がある。急須から茶碗に注ぐのに、2回に分ける。1回急須に注いだお湯は、きっちり使い切る。
そうそうご飯のお給仕の仕方も、大福さんが詳しく書いていた。先輩から「おかわり」と言われてはいけない。常に気を配り、先輩の茶碗が空になるころに、正座して両手でいただく。ご飯は2度に分けてよそう。茶碗の半分ぐらいふわっとよそわなければならない。
このご飯のよそい方は、実は八代目桂文楽の好みなのだ。文楽は大ぶりの茶碗にご飯をちょっとだけよそってもらうのが好きだった。五代目柳家小さんが文楽の預かり弟子となって給仕をしたとき、文楽がちょっとだけよそったご飯を何度もおかわりするので、面倒になって、てんこ盛りにして出したところ、「君ねえ、こういうのはちょっとずつ食べるのが旨いんですよ」と言われたという。私はこのエピソードを知っていたから、こういうふうにするのだと教えられたときは、けっこう嬉しかった。多分、圓蔵師匠経由の教えなのだろう。私たちは黒門町の孫弟子なのだと改めて思えたものだ。
大福さんのメモでは、夏合宿は5泊6日に及んだという。そんなに長かったんだ。その間、表に出るのは朝の発声練習ぐらい。最終日1日前の午後にリクレーションと呼ぶ外出があるのだが、それまでは基本的に宿の中で過ごす。いい若い者がずっと屋内にいるのだ。当然ストレスが溜まる。何で解消するかというと、後輩を脱がすのだ。(もちろん男子部員に限る。)中には自分から脱ぎ出す奴までいる。何かってえと裸になるという柳家小さん一門か。しょうがねえなあ。
合宿についてはまだまだ語り尽くせないな。近いうち続編を書きます。
落研の合宿は、年に3回。GWの春合宿、9月初めの夏合宿、2月の冬合宿だ。
夏は伊豆は河津のいわたに旅館、冬は伊豆長岡の東や旅館と決まっていた。
春は特に定宿はなく、渉外係の腕の見せ所だった。私が1年の時は草津、2年は房総の千倉、3年は小諸、4年は江の島だった。
落研の合宿で何をやるかというと、これが落語をやるのだ。1日に2、3回、発表会と称し、ひたすら落語をやるのだ。しかも、真打が上がるまで正座で噺を聴く。詳しくは大福さんのブログの中の「冬の正座」という記事に書いてあるように、これが本当につらいのだ。
朝は発声練習。もちろん1年生は全力疾走で練習場所に向かう。夏はすぐ近くの海岸だったからいいが、冬は宿の裏山だ。上り坂をけっこう走る。途中、鶏を放し飼いにしてある家があり、鳥が苦手な夕姫さんがいつも大騒ぎしていた。
合宿というのは、文字通り部員が寝食を共にする。当然、1年生は礼儀作法を叩き込まれることになる。スリッパを揃える。お茶を入れる。お茶を入れるのにもやり方がある。急須から茶碗に注ぐのに、2回に分ける。1回急須に注いだお湯は、きっちり使い切る。
そうそうご飯のお給仕の仕方も、大福さんが詳しく書いていた。先輩から「おかわり」と言われてはいけない。常に気を配り、先輩の茶碗が空になるころに、正座して両手でいただく。ご飯は2度に分けてよそう。茶碗の半分ぐらいふわっとよそわなければならない。
このご飯のよそい方は、実は八代目桂文楽の好みなのだ。文楽は大ぶりの茶碗にご飯をちょっとだけよそってもらうのが好きだった。五代目柳家小さんが文楽の預かり弟子となって給仕をしたとき、文楽がちょっとだけよそったご飯を何度もおかわりするので、面倒になって、てんこ盛りにして出したところ、「君ねえ、こういうのはちょっとずつ食べるのが旨いんですよ」と言われたという。私はこのエピソードを知っていたから、こういうふうにするのだと教えられたときは、けっこう嬉しかった。多分、圓蔵師匠経由の教えなのだろう。私たちは黒門町の孫弟子なのだと改めて思えたものだ。
大福さんのメモでは、夏合宿は5泊6日に及んだという。そんなに長かったんだ。その間、表に出るのは朝の発声練習ぐらい。最終日1日前の午後にリクレーションと呼ぶ外出があるのだが、それまでは基本的に宿の中で過ごす。いい若い者がずっと屋内にいるのだ。当然ストレスが溜まる。何で解消するかというと、後輩を脱がすのだ。(もちろん男子部員に限る。)中には自分から脱ぎ出す奴までいる。何かってえと裸になるという柳家小さん一門か。しょうがねえなあ。
合宿についてはまだまだ語り尽くせないな。近いうち続編を書きます。
2012年1月17日火曜日
2012年1月16日月曜日
尾崎紅葉『金色夜叉』
明治のベストセラー。
あの熱海の海岸、貫一お宮の別れの場面は、あまりにも有名だ。昔、百面相の波多野栄一が寄席でよく一人芝居をやっていたな。
お宮と別れた貫一は姿をくらまし、高利貸しの手代となって金銭の鬼となる。明治の人は、高利貸しをアイスクリームと呼んでいたんだね。氷菓子(こおりがし)の洒落なんだそうだ。
高利貸し仲間の満枝と、富山との結婚に後悔し貫一への想いを募らせるお宮。二人の愛を頑なに拒む貫一。その三角関係を中心に波乱万丈のストーリーが展開される。
それにしても高利貸しって職業、えらい言われようだなあ。(鷗外の『雁』のお玉の旦那も、『ヴェニスの商人』もそうか。)ほとんど鬼畜の所業みたい。まあそれほど高利貸しに苦しめられた人が多いんだろう。おかげで貫一は旧友に証文は強奪されるは、暴漢に襲われ重傷を負うは、次々に厄災に見舞われる。挙句の果てに、主人の鰐淵夫妻は客の母親の放火により非業の死を遂げてしまうのだ。
雅俗折衷の絢爛たる文体、漢籍の素養のない現代人には読みづらいな。私も若いうちだったらきつかったろう。でも、講談みたいで楽しいぞ。
終盤には塩原温泉郷の畑下が出てくる。ここは以前T君と行ったことがある。私たちが泊まった旅館から、もうちょっと川沿いのところに、その舞台となった清琴楼がある。瀟洒でいい感じの建物だったな。当時、紅葉には俗物のイメージがあって関心はなかったけど。
硯友社の大立者。その門下からは、泉鏡花、徳田秋声を生んだ。長者の風があるが、死んだのは37歳。貫一お宮の行く末を、満都の読者に気を揉ませながら、未完のまま逝ってしまったんだな。
私も紅葉の早逝を惜しむ。ああ、続きが読みたいなあ。
あの熱海の海岸、貫一お宮の別れの場面は、あまりにも有名だ。昔、百面相の波多野栄一が寄席でよく一人芝居をやっていたな。
お宮と別れた貫一は姿をくらまし、高利貸しの手代となって金銭の鬼となる。明治の人は、高利貸しをアイスクリームと呼んでいたんだね。氷菓子(こおりがし)の洒落なんだそうだ。
高利貸し仲間の満枝と、富山との結婚に後悔し貫一への想いを募らせるお宮。二人の愛を頑なに拒む貫一。その三角関係を中心に波乱万丈のストーリーが展開される。
それにしても高利貸しって職業、えらい言われようだなあ。(鷗外の『雁』のお玉の旦那も、『ヴェニスの商人』もそうか。)ほとんど鬼畜の所業みたい。まあそれほど高利貸しに苦しめられた人が多いんだろう。おかげで貫一は旧友に証文は強奪されるは、暴漢に襲われ重傷を負うは、次々に厄災に見舞われる。挙句の果てに、主人の鰐淵夫妻は客の母親の放火により非業の死を遂げてしまうのだ。
雅俗折衷の絢爛たる文体、漢籍の素養のない現代人には読みづらいな。私も若いうちだったらきつかったろう。でも、講談みたいで楽しいぞ。
終盤には塩原温泉郷の畑下が出てくる。ここは以前T君と行ったことがある。私たちが泊まった旅館から、もうちょっと川沿いのところに、その舞台となった清琴楼がある。瀟洒でいい感じの建物だったな。当時、紅葉には俗物のイメージがあって関心はなかったけど。
硯友社の大立者。その門下からは、泉鏡花、徳田秋声を生んだ。長者の風があるが、死んだのは37歳。貫一お宮の行く末を、満都の読者に気を揉ませながら、未完のまま逝ってしまったんだな。
私も紅葉の早逝を惜しむ。ああ、続きが読みたいなあ。
2012年1月13日金曜日
グアムの昼飯その2
グアムの昼飯その2。
マイクロネシアモールのフードコート。
地元のイオンシヨッピングモールみたいなもの。地元の人が利用するショッピングモールは面白い。ただ観光コースに入っており、観光客も多い。
「ナンバーワンローカルフード」とカタカナで書いてある店で買う。
ライスとおかず2品がセットになっている。
妻はレッドライス・春巻・春雨サラダ、長男はチャーハン・焼き鳥・春巻、私はレッドライス・豚の角煮・豚足みたいなやつ。カレーみたいに見えるのがそれ。ただカレー風味はまるでない。レッドライスというのはケチャップライスではない。チャモロ料理の代表的なものだ。味はほとんどついていないな。細長いいわゆる外米。日本米のような粘りはない。パラパラしているが、これはこれでいい。次男はサブウェイのサンドイッチを買った。
その土地ではその土地の食べ物が旨い。サブウェイのサンドイッチもいいが、ローカルフード旨かったねえ。また盛りがいい。妻と長男は食べきれなかったよ。
私はもちろんバドワイザーを飲みながらいただきました。
下の写真は「ナンバーワンローカルフード」のお店です。
2012年1月12日木曜日
グアムの昼飯
グアムの昼飯。
半日観光のシメ、DFSギャラリアの中のレストラン、プラネット・ハリウッドの「チェダーチーズハンバーガーBBQソース」。
アメリカンサイズのハンバーガー。付け合せのフライドポテトもたっぷり。旨かったよお。しっかりと肉の味がする。ポテトもおざなり感がない。アメリカの味。もちろん、お供はバドワイザーだ。
その前には、スペイン広場でヤシの実ジュースを飲んだ。きりっと冷えて、旨い。さっぱりしたスポドリって感じ。ジュースを飲んだ後、果肉を一口大に薄目に切ってもらって醤油をかけて食う。驚いたことに、これがイカ刺しそっくり。ちょっとホタテのような風味もある。旨かったねえ。ガイドさんが教えてくれた。試してみて大正解。もし、機会があったらお試しを。
2012年1月10日火曜日
グアムに行っちゃった
妻子を連れ、グアムに行ってきた。
勤続25年を超えると、特別休暇が貰える。それをありがたく使わせていただいた。
妻も手術があったりして頑張ったからね。ご苦労さんも兼ねての旅だ。
さすが年末年始、予約も混んでたね。やっと取れたのが、大韓航空のチャーター便。行きは夜9時半に成田を出て、グアムに夜中の2時半に着く便、帰りはグアムを夜中の2時半に出て、成田に朝7時半に着く便という、子どもにとってはかなりハードなスケジュールになった。
大韓航空には初めて乗った。CAさんが美人ぞろいだね。機内食は、座席の関係で配られるのが最後の方になってしまい、魚料理しか選べなかった。これが辛い。夜中の激辛は胃にこたえるなあ。
グアムのホテルはPICを選んだ。ここはプールが充実している。子どもたちは大喜び。3日で合計7時間はプールで遊んだなあ。カヌーコースもあったりして楽しい。ビーチのアクティビティーも無料。我々はシーカヤックをやりました。(4人乗りは小回りが利かず、操作に難儀したけどね。)
やはり常夏の島はいい。陽射しは強いが、気温は高くて30度。1日に3回ほどスコールが来る。妻のしもやけも完治した。何といっても、コバルトブルーの海を見ながら飲むビールが旨い。昼飯にバドワイザー、夕食にバドワイザー、寝酒にバドワイザーといった具合。南の島では、バドワイザーのような軽い味のビールがよく合う。
観光客の大半は、日中韓の三カ国の人たち。顔は似てるが、それぞれ違って面白い。朝のバイキングも、お粥、キムチが用意してある。韓国の人たちは必ずキムチを取ってたね。
飛行機に3時間しか乗らなくてすみ、時差は1時間。私たちにはちょうどいい。毎年は無理だけど、倹約して、何年かしたらまた行こうよね。
写真は、ホテルの部屋からの眺め。ね、ビールが飲みたくなるでしょ。
2012年1月2日月曜日
村松虚空地蔵尊に行く
妻子を連れて、村松虚空地蔵尊にお参りに行く。
虚空地蔵は丑年と寅年生まれの守り本尊。お使い姫は鰻とのこと。だから、「丑寅の者は鰻を食わない」のだという。それで、寅年生まれの古今亭志ん朝は好物の鰻を絶った。
いつも通り、原子力機構前の駐車場に車を止めて歩く。
例年より出店が少ない。道沿いの家がいくつかなくなっていた。震災のせいだろうな。
津波がもう少し高かったら、東海原発もえらいことになっていたらしい。
お参りを済ませ、もと来た道を戻る。屋台で、たこ焼き、広島焼き、大判焼きを買う。子どもたちは、チョコバナナを頬張る。
車で阿字ヶ浦に出て、海を見ながら昼食をとる。屋台で買ったものとコンビニのおにぎり。広島焼き、焼きそばが入ってないぞ。
それから、ひたち海浜公園に行って遊ぶ。寒いので長居はできなかった。今度、ゆっくり来ようね。
阿字ヶ浦、大洗、涸沼を通って帰る。途中、妻がまだ見たことがないというので、茨城空港に寄ってみる。大晦日に放映された、ダウンタウンの「笑ってはいけない」の舞台だった。すごかったねえ、あれ。子どもたちがげらげら笑いながら見てた。おかげで紅白をちょっとしか見れなかったよ。
夕食は、鯵の丸干し、刺身蒟蒻で酒。妻は風邪気味だといって早々と寝る。寝酒にボウモアを飲む。
2012年1月1日日曜日
謹賀新年
元旦。
うちの方の風習で、朝食は男が作る。もっとも、私は餅を焼いただけ。父は雑煮を作っただけだ。おせちの盛り付けなんかは、母と妻がやる。
我が家の雑煮は、具が人参のみ。それから、おせちには「海藻」というものが必ず入る。私は当然のように思っていたが、妻はどちらも嫁に来て初めて体験したことだという。「海藻」の材料は普通に地元のスーパーで手に入る。文字通り、昆布のらしきものの根っ子の部分をゼリー状に固めたもの。だからといって、寒天は使用しない。醤油を付けて食す。味は至って淡泊。
これで一杯やって、常会の新年会へ。
新年会を終えて、年賀状を出しに行く。
近くの神社に初詣。参拝しに来た人がけっこういたね。もっとも、写真に写らない程度だが。
いい年になりますようにとお願いしました。
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