四代目柳家小せん。この人の名前が寄席のプログラムに載っているだけで、何となくにんまりしてしまったものだった。
初代は大正デカダンを体現するような破滅型の天才だったが、私たちがよく知る四代目は、それとは対極にあるような、のほほんとした持ち味の、いわば癒し系の落語家だった。
若い頃から「お笑いタッグマッチ」で売れ、「ケメコ」という流行語を生んだ。私が子供の頃は、「末広演芸会」の大喜利コーナー「お笑い七福神」のレギュラー回答者をやっていた。
この「お笑い七福神」では、拙い答えをした者には、罰として顔に墨を塗る。笑点の座布団競争に比べるといささか泥臭いが、大喜利としては実はこちらの方が伝統に則っている。
小せんはボケ役だったから、よく墨を塗られていた。小せんが、もう顔中真っ黒になるまで塗られるのが、このコーナーの売りになっていたくらいだ。
子供心にすごく面白かったなあ。
だから、寄席に行くようになってからも、小せんはお気に入りの落語家の一人だった。
私は、特にこの人の『やかん』とか『浮世根問い』のような八つぁんと隠居さん(『やかん』は先生か)が出てくる噺が大好きだった。
五代目小さんが、小三治の『道灌』を評して、「おめえの『道灌』は八つぁんと隠居の仲が良くねえな。」と言ったという。小さんの凄味を感じさせるエピソードだ。
小せんの場合は、この八つぁんと隠居の仲が良いのよ。二人じゃれ合っている感すらする。やりとりはすげえくだらないんだけど、思わずにこにこしてしまう。
『道具屋』の与太郎のすっとぼけ方もいいし、『犬の目』で目玉をくり抜く時の「きゅるきゅるすっぽん」なんて擬音の楽しさも忘れ難い。
平成18年に83歳で亡くなったが、亡くなるほんの少し前まで寄席に出ていた。晩年は、現役落語家の最長老だった。衰えを、ほとんど感じさせなかったから、死去のニュースには驚いた。かけがえのないものを失ったなという思いが、ひしひしと胸に湧いてきたのを憶えている。
名人という存在ではない。だけど、名人でなければ価値がないというわけでは、決してない。素敵な落語家だった。素敵なおじいちゃんだった。こんな人が出てくるところに寄席の楽しさがある。
私にとって、忘れられない落語家の一人です。
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