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2012年12月27日木曜日

伝助の根多帳⑦

3年夏合宿の噺。お次は『浮世床』の上。将棋と本の場面だ。
音源が手に入らず、興津要編『古典落語』で覚えた。本で覚えちゃいかんよなあ。
これも三代目紫雀さんが勧めてくれた。
正直言って、演りたくてしょうがないって感じではなかった。とにかく3本の噺を持っていきたかったんだな。
当時はこういうわいわいがやがやの噺には、あまり魅力を感じなかった。啖呵を切るとか、酒に酔うとか、ちょっとほろっとするとか、見せ場のある噺を演りたがっていたなあ。
こんなふうに、大したストーリーもない、登場人物がじゃれ合っているような噺こそ難しいのだよ。これこそ落語だ、と言ってもいい。とやっと思えるようになった。
後半の夢の場面も覚えれば、こっちはストーリーとしても起伏があって面白いし、十分トリネタにもなっただろう。ただ、こっちは芝居の場面があり、『湯屋番』で夢楽師匠から「学生さんには芝居の噺は無理だよ。」と言われたのがブレーキをかけていたのかもしれない。
発表会で演っただけで、客前では演らなかった。
プロの落語家さんみたいに、寄席で毎日落語を演るといった状況だったら、きっと重宝なネタになったろうな。軽やかに自らも遊ぶように喋ってみたいと、今にして思う。
そう考えると、寄席のシステムってすごいな。毎日客前で喋る。それも、客は自分を目当てに来ているとは限らない。そこで聴かせようというのだ。工夫もするだろうし、反応は直に感じられる。そりゃあ力になるわな。しかも、楽屋で先輩方からアドバイスが貰えたりもするのだ。羨ましいなあ。

2012年12月24日月曜日

豊洲へ行く

昨日、キッザニアに行って来た。
誕生月の特典があるので、次男がどうしても行きたいとせがむのだ。よし、連れて行ってやろうじゃないの、というので出掛けることにした。
朝食は守谷のSAでかき揚げそば。立ち食いの味。そうそうこれなんだよ。
豊洲には8時半ごろ着く。 キッザニアの前は、もうけっこうな行列。皆、緑色の財布を首からぶら下げている。リピーターが多いなあ。
もう子どもたちは慣れたもんで、あちこちのパビリオンで、思い思いの体験をしておりました。
3時まで目いっぱい遊んで、少し外に出る。都会の絶景ですな。
その後、ららぽーとの中をぶらぶらする。宝探しのイベントをやっていて、子どもたちは夢中で走り回っておりました。
夕食はレストラン街のさぼてん。ロースカツ定食。ビールが飲みたかったが、しょうがないね。
妻は服、私はボブ・ディランの新作を買って帰る。
けっこう疲れたが、楽しかったよ。
寝しなにウイスキーを飲みながら、買って来たCDを聴く。ディランも70過ぎたか。老いてますます盛ん、すげえなあ。

キッザニアにて。長男はパイロット。次男は薬剤師を体験中。

2012年12月21日金曜日

伝助の根多帳⑥

学年で最も早く真打に昇進した者を、我々はトップ真打と呼んだ。
トップ真打は、3年の夏合宿で誕生するのが通例だったが、諸般の事情もあり、私が入部して以来、2年続けて夏合宿でのトップ真打誕生はなかった。
その3年の夏合宿で、私は3本の噺を用意した。真打昇進を意識したのである。
『締め込み』は秋の対外発表会のネタ。
『権助提灯』、『浮世床』は三代目紫雀さんが「お前に合うネタだから。」と言って勧めてくださった。
合宿の発表会では、まず『権助提灯』をかけた。1年の時『藪医者』やっててよかった。
覚えたのは、立川談志のテープ。談志そのままだったろうな。そこそこウケた。多分、まんま談志の所が可笑しかったんだろう。
この合宿の後、すぐ文学部のゼミ合宿があったんだけど、そこで披露したのがこの噺だった。
この時は、4年生のKさんが前座で松茸の小噺を演ってくださった。Kさんは高校時代落研に入っていて、私が入る前の、ゼミでの落語担当だったという。
その後で『権助提灯』を演ったけど、バカウケだった。私の傾向としては、落研部員よりも一般客の方がウケるのだ。この時は、喋ってて楽しかったな。いい客だった。
落語の後は、ジャズ研のDさん(美人である)が、『センチメンタル・ジャーニー』を歌った。これがよかった。
これ以降、ゼミのコンパの余興は、私の落語とDさんのジャズが定番となる。落語とジャズ。いかにもアカデミックですなあ。
とりあえず、今日はここまで。『浮世床』『締め込み』については次回書きます。

2012年12月18日火曜日

沖縄・伊江島

出張で沖縄に行った時の写真。
伊江島に行きました。
伊江島のスロット屋。2階がスロット、1階が洋品店です。
お次は魚屋さん。
この坂道を上ると、現在は使われていない滑走路に出る。ここを軽トラが走ってたりするんだよな。
塗装屋さんかな。きれいな絵だね。
きれいな海だ。このずっと先にオスプレイの演習場があるんだよね。

2012年12月15日土曜日

昼間っからハートランドビール

朝、ごはん、石狩鍋、納豆、ウインナーソーセージ。
雨。寒い。島尾敏雄『死の棘』読了。
午前中、子どもたちを床屋に連れて行く。帰りに、マクドナルドに寄って昼食を買う。
家に帰り、昼食は、チキンタツタ、テリヤキバーガー。夕方飲もうと思って買って来た、ハートランドビールを、妻が「飲めばいいじゃない」と言うので、ありがたく頂戴する。旨し。
ビートルズ『ア・ハード・デイズ・ナイト』『ヘルプ』、ジョン・レノンのベスト盤を聴く。
夕食は、ほっけ、ちくわ麩と大根の貧乏おでん、豚肉と玉葱の炒めもので、いただきものの濁り酒。

写真は、春頃飲んだハートランドビール。昼間っから飲むビールは旨いよねえ。

2012年12月12日水曜日

はとバスツアー

OB会ではとバスに乗った時の写真。 自由時間は限られていたけど、東京の街を歩くのは楽しい。 まずは東京駅。
最初の見学地は皇居。二重橋を見ると、『東京だよ、おっ母さん』を歌ってしまう。
お次は浅草。どの裏道に入っても、いい雰囲気なんだな。
一度ここでゆっくりお湯に浸かりたいねえ。
この後東京タワーに行きました。あれ、写真撮ってなかったな。

2012年12月9日日曜日

土浦へお出掛け

朝、パン、マーマレード、コーンスープ、炒めもの。
長男が、どうしても土浦のイトーヨーカドーに行きたいと言うので、行く。 来年2月の閉店が決まっており、土浦駅周辺からは、これで大型商業施設が全てなくなることになる。
昔は、西友があり丸井があった。京成霞も小網屋もあった。西友や京成霞の屋上遊園地に行くのは、それは楽しみだったよ。旧イトーヨーカドーでは、初めて回転寿司なるものを食べた。社会人になって、初めて礼服を買ったのが、小網屋だった。妻と結婚する時は、結納返しに丸井で夏のスーツを買ってもらった。
寂しいけど、しょうがないのかなあ。私も今は、買い物はつくばに行くか、土浦だったらイオンだものなあ。
店内は閉店セールもやっていたためか、まるっきりの閑古鳥というわけではなかった。子どもたちは、本屋見ておもちゃ屋見て大喜び。妻は子どものトレーナーを買う。私は本屋で、フロイトの『精神分析入門』、雑誌『東京人』、マンガ『毎日やらかしてます。』を買う。
昼食は和洋中何でもありの、いわゆるデパートの食堂。私は五目あんかけそば、長男は醤油ラーメン、妻はオムライス、次男はハンバーグセットをそれぞれ食べた。
昭和のデパートの気分だな。懐かしかった。安くもないし、すんごく旨いわけでもないけど、よかったよ。
閉店までにまた来ようと長男は言う。分かったよ、また連れて来てあげよう。お父さんも小さい頃、こういう所が大好きだったんだ。

2012年12月3日月曜日

眼鏡落語家

48の誕生日に眼鏡デビューをして以来、4年になろうとしている。最近は面倒くさいので、遠近両用眼鏡をかけっぱなしにしている。そろそろ「眼鏡は顔の一部」になりつつあるかなあ。
落語家で眼鏡をかけたまま高座に上がる人がいる。
落語は一人で何人もの人物を描き分けるので、扮装や小道具を嫌う。本来は眼鏡などのように人物を限定させてしまうものは外すべきなのだが、私は子どもの頃からわりとすんなり「眼鏡をかけた落語家」を受け入れていたな。
それは、何と言っても、二人の売れっ子、三遊亭歌奴(現三代目三遊亭圓歌)と月の家圓鏡(現八代目橘家圓蔵)の存在が大きい。
歌奴の売り物『授業中』や『浪曲社長』なんてのに、眼鏡はよく似合っていた。圓鏡の眼鏡を外した顔はどこか貧相で、眼鏡をした方が愛嬌が出てよかった。圓鏡は眼鏡のおかげで、メガネクリンビューのCMというヒット作に恵まれたよね。
この二人に続く「眼鏡落語家」としては三遊亭圓丈か。この人も、ぬう生時代の眼鏡なしの写真を見たけど、眼鏡があった方が個性が際立つ。アメリカンコミックに出てくるような、日本人のステレオタイプの眼鏡出っ歯みたい。それがエキセントリックな部分を誇張させ、圓丈ワールドの形成に役立っている。
それから、川柳川柳もいい。知性と狂気が交錯する川柳の世界に、あの銀縁眼鏡はよく似合う。
当代の売れっ子、春風亭昇太のいつまでも若々しい雰囲気は、あの眼鏡が一役買ってはいないだろうか。
漫才などでは、キャラを立てるために眼鏡を利用する人が多い。Wけんじの東けんじはレンズのない眼鏡をかけていた。現在でもきゃいーんの天野ひろゆきもそうだよね。
そこへいくと落語家の場合は、普段も眼鏡をかけて生活をしていて、そのまま高座に上がるといった自然体な感じがある。そこがいいね。
ただ、本格派は眼鏡を外すという固定観念めいたものはある。
故三笑亭夢楽師匠は、大喜利に出演する時は眼鏡をかけたままだったが、落語を演る場合には外しておられた。現林家正蔵は、こぶ平時代は眼鏡をかけていたが、正蔵襲名を控え本格派を志向するようになってから、高座で眼鏡をかけるようなことはなくなった。
うちの落研は、もちろん眼鏡をかけて高座に上がるのはご法度だった。多分、初めて眼鏡をかけて落語を演じたのは、二代目松風亭歌ん朝さんだったと思う。歌ん朝さんは眼鏡をしたままの方が、本来のほんわかした人柄の良さが出るのだ。その人の芸にとってプラスになるなら、形式的なタブーはいらないよね。
立川談志が髭を生やしても本格派だったように、眼鏡をかけていても本格派という人が出てきていいと思うし、本格派ばかりが落語家じゃないとも、私は思いますよ。

2012年12月1日土曜日

寒い休日

朝、焼きたてのパンにマーマーレード、オニオンスープ、魚肉ソーセージと卵の炒めもの。
午前中から雨、昼ごろ霰から雪、午後には晴れるという忙しい天気。
次男が風邪。これでとりあえず風邪は一回りしたか。これで収まってくれればいいが。
昼食は、漫遊亭のとんかつ。本当は店に行きたかったが、雨なので弁当を頼み家で食べる。
吉行淳之介『娼婦の部屋・不意の出来事』を拾い読み。木村伊兵衛、桑原甲子雄、鬼海弘雄の写真集を見る。
午後は床屋。散髪してもらいながらうとうとするのが、月一度のお楽しみ。
夕食は、パスタ3種とピザで赤ワイン。

下の写真は、鬼海の写真集にあった、向ヶ丘遊園北口駅前の饅頭屋。