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2013年4月15日月曜日

てんびんばかり

故河島英五の初期の作品で、『てんびんばかり』という曲がある。
タイプとしては、吉田拓郎の『イメージの唄』とか三上寛の『夢は夜ひらく』みたいな感じ。
私は高校の時聴いて衝撃を受けた。
「母親が赤ん坊を殺しても仕方のなかった時代なんて悲しいね/母親が赤ん坊を殺したらきちがいと呼ばれる今は平和なとき」なんてフレーズにしびれたな。
この歌は、英五の「てんびんばかりは重たい方に傾くに決まっているじゃないか/どちらももう一方より重たいくせにどちらへも傾かないなんておかしいよ」という絶叫で終わる。

そうだな、両極にある両方重いものを抱え、私たちはバランスを取りながら生きている。てんびんばかりのように。
バランスを崩しそうになると、私は支点をずらしてバランスを保つ。
支点とは自分のことだ。状況に自分を合わせ、バランスを保つ。
若いうちは違ったな。自分にこだわっていた。「おれはおれだ」「これがおれだ」「おれのスタイルは変えない」…。うっとうしいな。
自我なんて相対的なものだ。私はいつかそんな風に思うようになった。
そして、それは私を幾分自由にしてくれた。
それは、妻や子や、自分より大切なものができたことと無関係ではあるまい。
ただ、その支点にも重みはかかる。それを時にはしんどく感じることもある。

そんなことを考えていたら、村上春樹の新作『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』の最後の方に、同じような述懐が出てきた。今回のは、個人的に身につまされる話だったな。
オーケー多崎つくる君、おれも頑張るよ。

今のところ割と頑張ってバランスを取っているけど、そのうち、私の芸名のように風に柳といけるかなあ。
あんまり関係ないけど、息子が撮ったEテレ「0655」のたなくじ。



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