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2013年7月30日火曜日

牛久のかっぱ祭り

先週末は、牛久のかっぱ祭りに行って来た。
広島から義妹も帰省しており、子ども連れで見物。
1日目は雨にたたられたが、2日目は何とかパレードを見ることができた。
30数年の時を重ね、牛久市民の心の祭りになったねえ。
いっぱいの人出で、小っちゃい子どもを連れて歩くのは大変でした。
子どもたちは例によって、クジだ射的だスーパーボールすくいだと散財しておりました。
私と妻は生ビール飲みたかったけど、1日目は雨が心配、2日目は車で帰るので、飲みそびれちゃったなあ。奥さん、来年はぜひ。

パレード。次男は見物しながら軽く踊っておりました。

1日目。雨上がりの団地の空に虹が出た。

2013年7月25日木曜日

五目そばの誘惑

田舎の、昔からの中華屋行くと、五目そばってメニューあるよね。「あんかけ」じゃない方ね。
タンメンの具の少ないやつ、もやし、キャベツ、豚コマなんてを炒めた塩スープの中華麺の上に、ナルト、ハム、チャーシュー、かまぼこ等が載ってるの。
そりゃ邪道ですよ。でも、これがあると、ついつい頼んでしまうのよ。
店によって個性があって、うちの近くの中華屋では、伊達巻が入る。
写真は、鉾田市、おぬま食堂の五目ラーメン。ここは蟹かまが入るのね。


2013年7月23日火曜日

土浦、ちょっと古い写真

土浦のちょっと古い写真。
土浦港。20年ぐらい前かな。当時は潮来行の定期船が出ていた。
壇一雄の『火宅の人』で、主人公と愛人は常磐線で土浦まで来て、船で潮来の手前、牛堀に渡る。別れ話の末の旅行なのだが、二人は牛堀の宿で侘しく体を重ねる。この場面がまた、しみじみしていいんだよね。
私も一回ぐらい乗ってみればよかったなあ。

中城通りの奥にあった居酒屋。今は廃業している。入ったことはない。
ご主人、六代目三遊亭圓生のファンだったのかしら。

向かって左がカツラ屋さんで、右はおにぎり屋さん。
共に現在は営業しておりません。


看板が読みにくいけど「北総ラムネ」とある。
撮影当時には既に閉店していたようですな。

2013年7月21日日曜日

昨日の日記

昨日の日記。
朝、パン、牛乳、ポークビッツと卵の炒めもの。
朝いちで床屋に行く。地元の床屋さんは朝8時からやっている。ご主人と世間話をし、「あまちゃん」を見ながら散髪。コーヒーをご馳走になる。
父と妻子を連れて、病院へ母を見舞う。
一週間前、転んで大腿骨を折り、手術した。
術後の経過も良好。これからリハビリが始まる。頑張ろうな。
昼は丸亀製麺。冷やしぶっかけうどん、イカ天、鮭のおにぎり。安い、早い、旨いの三拍子。
午後、長男は子ども会のイベントへ。クイズやらBBQやら花火やらで夜の8時まで、たっぷり遊んで来る。
私は次男と遊ぶ。ボードゲーム、自転車、野球。普段、なかなか一緒に遊べない、ごめんね。
夕食は、チンジャオロース、冷やしトマトでビール、焼酎。父の作った、ピーマンやトマトが山のようにあるのだ。
寝しなにボウモア。

写真は前の山で咲いている百合。一歩山に足を踏み入れた途端、濃厚な百合の香りが鼻腔をついてきた。艶やかだねえ。

次男が種を撒いたのも、花が咲きました。

白の桔梗もいいねえ。

2013年7月18日木曜日

「神様ありがとう」とこの頃言っていない

私の中に、私だけの神様がいて、「神様ありがとう」と言える瞬間が確かにあった。
それは、今の職業に就けた時。
それは、妻と恋愛して結婚した時。
そして、こんな私でも人の親になれた時。
いや、そんな大それた時ばかりではなく、日々の生活の中のほんのひと時に、そう思える時があったのだ。

ふと気づいた。この頃、「神様ありがとう」と言っていない。
それは、決して私が不幸だったのではなく、そのように思える心を失っていたのだな。
「心を亡くす」と書いて「忙」。だけど、それほど忙しかったわけじゃない。心を何かに奪われていただけなのだ。
「何か」は分かっている。
でも、そんなことはどうでもいい。
先日も書いたが、霞ヶ浦を眺めることや、陶淵明の詩を読むことや、「神様ありがとう」と言えるような心を取り戻すことが必要なのだ。
自分らしくあれ、無理するな。自分に言い聞かせながら一歩一歩進んで行くよ。

ゴーヤーも随分伸びた。植物は健気でいいねえ。

2013年7月16日火曜日

ゆめの寄席 落研先輩編

伝助版「ゆめの寄席」シリーズ。
今回は落研先輩編をやってみよう。

まず、サラは三代目松風亭紫雀さん、『浮世床』。
三代目紫雀さんの『浮世床』は三遊亭圓生の型。将棋盤の横で駒を打ってから指す癖のある男をからかうのに、盤の横に膠を付けて悪戯をするくだりが楽しい。長身でいい男だし、所作もきれい。本人は林家正蔵ファンだけど、今思うと圓生タイプだったかなあ。
お次は二代目松風亭歌ん朝さんの十八番、『猫と金魚』。うちの落研初、眼鏡をかけて高座に上がった方です。若き日の橘家圓蔵を髣髴とさせる面白さです。
歌ん朝さんとともに落研の幹部だった、初代夢三亭海太郎さんには、『短命』をやっていただく。スケベな感じがたまらなく可笑しいのよ。
4番目には四代目夢三亭一生楽師匠。『寄合酒』がいいなあ。一生楽さんのお酒は楽しかった。この噺にはその雰囲気にあふれている。私の前に「木賊刈り」を出囃子に使っていた方だ。語り口は「愛嬌のある立川談志」といった感じ。桂文楽ファンでもありました。
ここで、この会の紅一点、夢三亭艶奴さん。『饅頭怖い』。私の同輩に、彼女に勧誘されて落研に入部した奴がいます。私ら後輩にとっては憧れのアイドルでしたな。
仲トリは二代目松風亭紫雀師匠の、数ある得意ネタの中から『蜘蛛駕籠』はどうでしょう。口調はもう古今亭志ん朝。まさに華麗な高座でした。『愛宕山』もよかったけど、楽しいキャラがたくさん出てくる、こちらを選びました。
クイツキは松風亭小柳家元の『代脈』。1年の春合宿で聴いた時の面白さは忘れられない。エキセントリックで知的な雰囲気は川柳川柳に通じる。そういえば『ジャズ息子』もよかったなあ。
補導出演として二代目桂小文治師匠。落研時代は三代目夢三亭艶雀を名乗られておりました。ここはプロとしてご登場願います。ネタは私のいちばん好きな『虱茶屋』をリクエスト。
トリは私が1年の時の4年生の中でのトップ真打、四代目松竹亭金瓶梅師匠。私のリクエストは、太郎ちゃんとお花ちゃんの小噺から『勘定板』。怒られるかな。でも、端正で威厳たっぷりの金瓶梅さんの、この噺での爆発力は凄いのよ。校内寄席の高座はまさに衝撃的でした。あの感動をもう一度味わいたい。

もっとたくさん挙げたかったけど、当時の発表会の出演人数、9人で組んでみました。場所は、そうだな、懐かしの高田馬場ビッグボックスなんてどうでしょうかね。

2013年7月14日日曜日

東京庵

石岡、東京庵の店内。
シブいよねえ。
この空間が出来上がるまで、半世紀以上がかかっているのよ。
ここで天ざるでビールなんかたまんないよね。
もう一枚、こちらは通りに向かって。
で、何度も載せてますが、外観。
いいよねえ。

2013年7月7日日曜日

身辺雑記

早くも梅雨明けらしい。
庭では紫陽花がきれいに咲いています。
桔梗もいいですなあ。
お気に入りの置物。野球猫です。
こちらも猫の置物。親子猫ですかね。

統一感はないけど、今回は身辺雑記ということで。

2013年7月4日木曜日

小川の、今はもうない建物

小美玉市小川の商店。
道のカーブに沿ってV字型になっている。
ついこの間、取り壊されてしまった。
向かって右端にトラックが突っ込んでしまったのがきっかけかなあ。
面白い造りなので、好みの建物だったのだが。

以下、小川のもうなくなった建物です。
蕎麦屋の小月庵。建て替えて元気に営業中。カツ丼が絶品。

2013年7月2日火曜日

風柳の根多帳①

久し振りに落研の話。
私は3年の9月、三代目松風亭風柳を襲名し、真打に昇進した。
真打になると、覚えた噺を自由に人前でできるようになる。
『穴泥』のネタ下ろしは、ゼミのコンパじゃなかったかな。何度か書いているが、ゼミのコンパでは私の落語が定番になっていたのだ。
桂文楽の持ちネタだが、私は入船亭扇橋のが好きだった。高校の頃聴いて、腹を抱えて笑った。柳家小さんの型なのだとは思うが、扇橋の気弱な甚兵衛さんがニンに合って、やたら可笑しかった。文楽の『穴泥』は大学になって聴いたが、サゲ際が少々もたつく印象があって、もうひとつノレなかった。
扇橋のテープが手に入らなかったので、文楽のテープを元に扇橋のを思い出しながら覚えた。
この噺には陰陽の枕を振るのだが、私は当時流行っていた「明るい暗い」で作ってみた。明るい人は東京駅から帰省する、暗い人は上野駅から帰省する、というのを導入にして、うちの大学の学生でも、小田急線の下北沢方面から通ってくるのは明るい、小田急線の新百合ヶ丘方面から通ってくるのは暗い、もっと暗いのは南武線で通ってくる、というのであった。まあ他愛のないものではあるが、そこそこウケたな。文学部的なネタだったんだろうね。
文楽はサゲの「三両なら俺の方で上がってく」を泣き声で演じていた。若き日の川戸貞吉が「三両もらえるのだから、喜ぶべきじゃないですか」と文楽に疑問をぶつけた。文楽はそれには答えず、しばらく『穴泥』を高座にかけなかった。久々に川戸の前で『穴泥』を演じた時、文楽はやはりサゲを泣き声で演ったという。
実際演ってみると、喜色満面では上がれないな。大体甚兵衛さん、ものを盗るつもりでこの家に入ったわけじゃないもん。金策にさ迷い歩くうち、戸締りをし忘れた大店に声を掛けるつもりで入ったら、宴会の後そのままにされた座敷にあった酒を見つけ、それを飲んで酔っ払い、そこにいた赤ん坊をあやすうちに穴蔵に落っこちてしまったんだよな。それで泥棒にされちまったんだよな。身の不運に情けなくって、そりゃあ泣いちゃうよ。三両もらえたって、上に上がれば泥棒扱いされるんだもんな。
というわけで、私も泣き声の気分で演りました。
校内寄席にも一回ぐらいかけたかな。年末の噺だから、あまり演る機会がなかったんだよね。