前回で「次回をお楽しみに」と書きましたが、現在、細部の確認作業を進めています。
すみません。出口一雄に関しての記事は、もう少々お待ちを。
先日、土浦の真鍋宿通りを歩いた。
旧水戸街道。今も古い商家が立ち並ぶ。
まあまあ交通量があって、いささか歩きづらい。
もとは商売をされていたとおぼしき建物も、多くは閉店してしまったようだ。
それでも、雨上りの夕暮に、旧街道をとぼとぼと歩くのは、なかなかに趣きがある。
では、初冬の黄昏時、真鍋宿通りの情景です。
震災にも耐えた街並み。少しでも長くこの雰囲気を残して欲しいなあと思います。
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2014年11月26日水曜日
新コーナーを始めます
戦後の落語黄金期を支えた人の一人に、出口一雄という人がいる。
ラジオ東京(現在のTBS)の演芸部門のプロデューサー。いち早く落語家との専属契約を結び、当時の放送業界に衝撃を与えた。
囲い込んだ落語家がすごい。八代目桂文楽、五代目古今亭志ん生、六代目三遊亭圓生、五代目柳家小さん、昔々亭桃太郎。後世になってみると、桃太郎は何で? と言われるかもしれないが、そのバランス感覚は見事といっていい。とにかく、文楽・志ん生・圓生・小さんに関しては、まさにいいとこ取り。先を越された他局が、やはり落語家と専属契約を結ぶが(NHKが『とんち教室』がらみで六代目春風亭柳橋、三代目桂三木助。文化放送が八代目三笑亭可楽など)、どう見てもTBSのブランドには敵わない。所詮、お余りを集めた感が漂ってしまう結果となった。
TBSを定年退職した後は、デグチプロを設立し、芸人のマネジメントをした。その仕事ぶりは、およそビジネスライクとは程遠い、徹頭徹尾芸人たちに寄り添ったものだったという。
私は八代目桂文楽のファンであり、このブログを始めたのも、文楽のことを語ってみたいと思ったのがきっかけだった。
そして、この文楽の信任厚い出口一雄という人に行きあたる。
前述したようなことは、高校の時読んだ大西信行著『落語無頼語録』中の「桂文楽の死」で知っていたが、出口はあくまで脇役に過ぎなかった。その後、京須偕充の『圓生の録音室』で出口の人柄に触れ、そして、同じ京須の『みんな芸の虫』中、「鬼の眼に涙」で、ついに出口を主役に据えた文章を読むことができた。
しかし、それは出口の最晩年を切り取っただけで、出口がどのような足跡を辿った人なのかについては、ほとんど分からなかった。
ネットで調べても、京須の文章が元ネタになったものしか出てこない。
あれほどの人が、生年すら明らかでないとはどういうことか、出口一雄を埋もれさせている状況に、私は密かに憤慨した。
そんな気持ちも込めて、手持ちのネタをかき集め、「文楽と出口」という記事を書き、ブログにアップした。 四代目桂三木助や森田童子のような反応はなかったが、とりあえず出口一雄のことを形にして発信したことに、私は満足していた。
出口のことを書いて1年半以上経って、思わぬ展開になった。出口一雄の姪御さんから、ブログにコメントを頂いたのだ。メールのやり取りで、出口の生い立ちやTBS入社前のことが明らかになってきた。私は少なからず興奮した。
彼女は、Suzi Leavensさん。ロス在住。出口一雄の弟の娘さんである。
最近、石口玲という筆名で『女70歳のアメリカ一人旅 ― ルート66から始まる大陸走破11100キロ』という本を書いた。
写真大学卒業。卒業制作は、先代三遊亭小圓朝。あの八代目桂文楽からは甘納豆の食べ分けを教わったという。
というわけで、これから、「桂文楽と出口一雄」というコーナーを新設し、彼女の証言をもとに記事を構成して随時ブログにアップ、戦後落語史における重要人物でありながら、その詳細について、ほとんど知られていなかった出口一雄の足跡と人となりを辿っていくことにする。
では次回をお楽しみに。
ラジオ東京(現在のTBS)の演芸部門のプロデューサー。いち早く落語家との専属契約を結び、当時の放送業界に衝撃を与えた。
囲い込んだ落語家がすごい。八代目桂文楽、五代目古今亭志ん生、六代目三遊亭圓生、五代目柳家小さん、昔々亭桃太郎。後世になってみると、桃太郎は何で? と言われるかもしれないが、そのバランス感覚は見事といっていい。とにかく、文楽・志ん生・圓生・小さんに関しては、まさにいいとこ取り。先を越された他局が、やはり落語家と専属契約を結ぶが(NHKが『とんち教室』がらみで六代目春風亭柳橋、三代目桂三木助。文化放送が八代目三笑亭可楽など)、どう見てもTBSのブランドには敵わない。所詮、お余りを集めた感が漂ってしまう結果となった。
TBSを定年退職した後は、デグチプロを設立し、芸人のマネジメントをした。その仕事ぶりは、およそビジネスライクとは程遠い、徹頭徹尾芸人たちに寄り添ったものだったという。
私は八代目桂文楽のファンであり、このブログを始めたのも、文楽のことを語ってみたいと思ったのがきっかけだった。
そして、この文楽の信任厚い出口一雄という人に行きあたる。
前述したようなことは、高校の時読んだ大西信行著『落語無頼語録』中の「桂文楽の死」で知っていたが、出口はあくまで脇役に過ぎなかった。その後、京須偕充の『圓生の録音室』で出口の人柄に触れ、そして、同じ京須の『みんな芸の虫』中、「鬼の眼に涙」で、ついに出口を主役に据えた文章を読むことができた。
しかし、それは出口の最晩年を切り取っただけで、出口がどのような足跡を辿った人なのかについては、ほとんど分からなかった。
ネットで調べても、京須の文章が元ネタになったものしか出てこない。
あれほどの人が、生年すら明らかでないとはどういうことか、出口一雄を埋もれさせている状況に、私は密かに憤慨した。
そんな気持ちも込めて、手持ちのネタをかき集め、「文楽と出口」という記事を書き、ブログにアップした。 四代目桂三木助や森田童子のような反応はなかったが、とりあえず出口一雄のことを形にして発信したことに、私は満足していた。
出口のことを書いて1年半以上経って、思わぬ展開になった。出口一雄の姪御さんから、ブログにコメントを頂いたのだ。メールのやり取りで、出口の生い立ちやTBS入社前のことが明らかになってきた。私は少なからず興奮した。
彼女は、Suzi Leavensさん。ロス在住。出口一雄の弟の娘さんである。
最近、石口玲という筆名で『女70歳のアメリカ一人旅 ― ルート66から始まる大陸走破11100キロ』という本を書いた。
写真大学卒業。卒業制作は、先代三遊亭小圓朝。あの八代目桂文楽からは甘納豆の食べ分けを教わったという。
Suziさんの著書はこちら。ぜひご一読を。
というわけで、これから、「桂文楽と出口一雄」というコーナーを新設し、彼女の証言をもとに記事を構成して随時ブログにアップ、戦後落語史における重要人物でありながら、その詳細について、ほとんど知られていなかった出口一雄の足跡と人となりを辿っていくことにする。
では次回をお楽しみに。
2014年11月23日日曜日
吾妻庵総本店 天ぷらそばを食す
土浦、吾妻庵総本店、天ぷらそば。
百年天ぷらそばと銘打ってある、この店の看板メニューだ。
海老天と小海老のかき揚げが一体となっているのが載せてある。
1350円。ちょいと値は張るが、たまにしかここに来れない私としては、これ食べないと何だか損したような気持ちになるんだよなあ。
ほんとはこれに燗酒が欲しいところだが、車で来ているので我慢我慢。
旨かった。いつの日か昼酒をやってみたいもんだねえ。
アップでもう1枚。
この店構えも味のうちですぞ。
2014年11月20日木曜日
2014年11月17日月曜日
2014年11月16日日曜日
小川の街並み
先日、小美玉市小川の街を歩いた。
かつて霞ヶ浦の舟運で栄えた町。
今はもう往時を偲ぶべくもないが、それでもけっこう古い建物が残っていて、歩いて楽しい所である。
秋晴れで空気も澄んでいて気持ちよかったな。
では、小川の街並みです。
鉾田の方に向かう街道沿いにある、大町商店街。
ここが小川の街のメインストリートかな。
水戸の方に向かう街道沿いには、古い建物が多い。
小川上宿バス停辺り。
もとは牛乳屋さん。
造り酒屋の蔵。
肥糧なんかを扱っている会社の倉庫。
もとはお医者さん。洋館風の造りになっている。
これタクシー会社なのよ。いいねえ。
その向かいにある土蔵。
こういうの見つけると得した気分になります。
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