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2015年8月6日木曜日

出口一雄と酒

近くのスーパーで剣菱を買って来た。
私にとって菊正宗が金原亭馬生の酒なら、剣菱は出口一雄の酒だ。
毎度、京須充偕からの引用になるが、『みんな芸の虫』中の「鬼の眼に涙」から。
三遊亭圓生レコード制作の交渉の場面である。 

「これで話はまとまった。まア、めでたい。一杯飲んでくれ」  
 二度目の新富町訪問。きょうもまだ日は高い。一升びんから注がれた酒は湯呑みの縁からまるく盛り上がった。
「『剣菱』ですね」
「うん、まア、以前ほどのものじゃない」  
 無感動に言い捨てて、出口さんは自分の湯呑みの残りをグビリと干し、注ごうとする私の手を払って自分で新規をいれた。
「俺はつまみをやらないんだ」 

かっこいいねえ。一升瓶から茶碗酒。男の酒だ。
「つまみはやらない」とこの時出口は言ったが、飲み食いでの印象的な場面はいくつかある。
魚河岸の知り合いからもらった鮪の中落ちをビニール袋から取り出して醤油つけて食べる場面。新富町のなじみの洋食屋でコロッケやカキフライをつまみにコップ酒を傾ける場面。寿司をつまみながら京須に「(圓生の)次は志ん朝だな」と次のターゲットを示唆した場面。
酒飲みはあまりものを食い散らかさない。つまみは少しでいい。とはいえ、豊かな商家に育ち、花柳界にも通じていた出口のことだ。口は奢っていたのだと思う。
京須は落語の世界に淫しながらも、自ら「誰のファンでもない」という人である。文楽・志ん生・圓生といった昭和の名人に対しても、一途に惚れ込むことはない。どこかクールに距離を保っている。
 それが、この出口一雄については晩年のわずかな期間の交流であったのにもかかわらず、『圓生の録音室』『鬼の眼に涙』『落語名人会夢の勢揃い』と3冊にわたって同じようなエピソードを繰り返し書いている。しかも、そこには出口に対する敬慕の念が、ありありと読み取れるのだ。
出口の芸界との関わりは、レコード制作が始まりであった。京須はそんなところにも出口と通じ合うものを感じたのかもしれない。
京須さん、もしかしてあなたは出口一雄のファンではないか、と訊きたくなる。(多分、京須氏はそれでも「ファンではない」と言うだろうけど) 

それはさておき、酒の話だ。 出口にとって酒は終生の友であった。出口は車を運転しない。六本木のマンションから新富町の事務所への通勤には、千枝子夫人に運転させた。
Suziさんの言では「(自分で運転すると)酒が飲めねえじゃねえか」とのことらしい。

志ん生とは、戦前、レコード会社にいた頃からの飲み友達。(志ん生との交友がきっかけとなって、出口は文楽と知り合ったのだと私は見ている)志ん生がくさやを持って来て酒をねだる話は以前ブログで書いた。
八代目林家正蔵とは、劇作家の宇野信夫、川柳作家の坊野寿山、東京新聞記者、富田宏らと「はしば会」を結成、「たいめいけん」を根城に酒を酌み交わす仲だった。
「たいめいけん」といえば洋食の老舗。池波正太郎もそうだったが、明治生まれの男は洋食で日本酒を飲むのが好きだったのか。
出口は口下手で人前でのスピーチは大の苦手だったというが、酒席での座談はどうだったのだろう。ぶっきらぼうで無愛想、いつも苦虫を噛み潰したような顔をしていた、とは出口を知る誰もが言う。それでも出口の周りには人が集まった。
京須がサシで飲んで出口に惹かれたように、出口との酒は何かしら人を惹きつけるものがあったのだろう。
Suziさんの母上は「お父さんに比べたら伯父さんはトーーーってもやさしい話し方をする人よ。あの男前であれだけゆっくりと優しく話されれば、皆ホロッと行くんじゃないかしら」と言っていたという。
 そして、Suziさんによると出口の飲み方はこんなだったらしい。
「伯父は酒の飲み方も不味そうに飲むんですよ。本当に不味そうに飲む。口に持っていくまでは良いんです。口に含んで飲むときです。喉を通しグビッと飲むときに、ニガイ、苦い薬を飲むときのように、口をへの字にして、嫌々ながら飲むようにして飲むんです。『あんな嫌そうに飲むくせに、何時まで経っても飲んでやがる』って、父が笑ってよく言っていました。」 

晩年の出口を知る者が一様に語るのは、彼が酒を飲んで泣くようになったことだ。
これは、川戸貞吉編『対談落語芸談2』から。 

川戸「文楽師匠が亡くなってから、いろんな人がガックリきましたね。」
談志「そうでしょ。」
川戸「まず出口一雄さん。」
談志「TBSのね。」
川戸「TBSの落語番組を牛耳ってた大先輩。出口さんはお酒飲んで泣くようんなっちゃった。」
円蔵「いや、事務所が赤字ンなってきたからだよ。」
円楽「あはははは。」
円蔵「本当に黒門町ファンだったものね、出口さんは。」
円楽「そうなの、芸に惚れてたからね。」 

Suziさんもこう言っている。(ブログ記事『出口一雄と安藤鶴夫』より)
「伯父は落語家に沿った商売をして、その時その時の人と人との心の通じあいがあればそれで良い。そういう人でした。年とともにそれが増して行き、酔いがまわってツーツーに腹が通うとしんみりし、ホロリとするときも多くなりました。 昔話をしていてイロイロ思い出したり懐かしい話になるとそれもホロリ、でした。 父が『兄貴も涙もろくなったなあ』とよく言っていたものです。文楽さんの亡き後は、黒門町、って言葉が出たらもう泣き、そんなでしたね。ガクーーッと来ていました。」 

それほどまでに黒門町桂文楽は、出口一雄にとって大きな存在だったのだな。
京須の『鬼の眼に涙』の中で、こんな場面がある。
CBSソニーから出た、桂文楽全集の制作時、収録演目について、監修者の山本益博と出口との間に意見の対立があり(山本が、文楽の珍品ではあるが失敗作を全集に入れようとして、出口がそれに待ったをかけたのだ)、この全集を企画した市橋茂満と京須を交え会談をした。
出口が例によって茶碗酒を勧めると、山本が断った。もともと酒が飲めないのだという。
出口はそれを聞いて、「そうかい」と低く呟いた後、山本を見据えてこう言った。
「酒が飲めなくて、桂文楽が好きかい」 

無茶な理屈だが、しびれる。いや、きっと理屈じゃないんだ。
出口さん、私は酒も飲むし桂文楽が大好きです。もしもタイムマシーンがあったら、あの頃の新富町へ行って出口さんと酒を酌み交わしたい。
今宵は剣菱を飲みながら、黒門町の噺を聴こうかなあ。…出口さん、一緒に聴いてくれますよね。

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