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2017年6月28日水曜日

「こうや」 醤油ラーメンとチャーシュー丼


この前の休み。次男と妻がお出かけ。昼飯を食いに長男を連れ出す。
「何が食べたい?」と訊くと、「ラーメン」と答える。長男はラーメンが大好きなのだ。
では、たまにはチェーン店ではない所に行こう。寄る所があるので、そっち方向、かすみがうら市の「こうや」がいいぞ。
なかなかあっちの方で飯を食うことがないので、たまーにしか行かないが、「こうや」は開店したての頃から食べている。確かな味と穏やかなご主人の人柄で、たちまち人気店にのし上がった。
11時半過ぎ入店。カウンターはほぼいっぱい。座敷が空いていたので、そっちに行くことにする。
まずはその前に券売機で食券を買う。ここは基本の醤油ラーメンだな。長男も一番好きな醤油を選ぶ。飯も欲しいな、と思い、チャーシュー丼を押してみるが、ダメ。
「お父さん、『平日の夜限定』って書いてあるよ」と息子に指摘される。
食券を渡す時、そのやり取りを聞いていたのか、おかみさんが「チャーシュー丼できるそうですよ」と言ってくれた。目が合ったご主人が、にこっと笑ってくれる。
「ありがとうございます」と言って、現金310円を追加した。

で、出て参りました、醤油ラーメン、580円。

端正な佇まい。

アップね。

チャーシューが3枚も。

麺は中太。もちもちして旨い。

スープは豚骨と鶏ガラがベースで、魚介の風味が加わる。ネットでの情報だが、ご主人は小美玉にあった名店「いにしや」で修行されたとのことだ。
ご主人の人柄がにじみでる、誠実な味。旨し。

やがてチャーシュー丼が登場。



1つを長男と分けていただく。胡麻の香りが食欲をそそる。普段は小食の長男もぺろりと平らげた。

お腹いっぱい。美味しかった。
用事を済ませ、1時半過ぎ店の前を通ると、表に空席待ちのお客が数人。さすが人気店だねえ。





2017年6月27日火曜日

霞ケ浦サイクリング


ちょっと前の土曜日。次男と霞ケ浦の堤防までサイクリングをしてきた。
釣り人がけっこういたな。でっかいボラを釣り上げていた人がいた。
水のある風景は心が落ち着く。みんな霞ケ浦が好きなんだ。


堤防をしばらく走ると、次男がもう疲れたという。
私は別にスパルタ親父ではない。んじゃ、いい気分のまま帰ろうか。


栗の花が満開でした。
帰って、昼食はつけめん。旨し。シメに冷御飯をスープに入れてかっこむ。これもまた旨し。

2017年6月26日月曜日

井上井月とつげ義春

S君と伊那谷へ行くことになった時、私はひそかに心を躍らせた。それは、そこが井上井月ゆかりの地であったからだ。
私が井月の名を知ったのは、つげ義春の『蒸発』という漫画であった。初出は1986年12月の「COMIC ばく」。私はこれをリアルタイムで読んだ。 

この話は主人公「私」の友人、古書店店主の山井という男の紹介から始まる。
山井の経歴は、ただ伊那の高遠の出身らしいという以外は、詳しくは分からない。ふらりとこの町にやって来て、主人を亡くしたばかりの古書店の後家さんとできてしまい、ずるずるべったり、その店の主人となった。死んだ亭主の名前が「山井一郎」で、彼はその表札の名前に一本足して「山井二郎」を名乗った。
「どうせ私は帰るのだから・・・」「ほんのちょっとここに来ているだけですから」と時々口にする山井は、どうやら故郷に妻子を置いて蒸発して来たらしい。彼は「私」の「自分のすべてを捨てて蒸発するってのはなんだろう」という言葉に対し、「自分を『あってない』と観想するための具体的方法でしょう」と答える。
ある日、山井が「私」に『漂泊の俳人 井月全集』という本を貸してくれた。
井月と山井が二重写しに描かれていく。
井月は幕末から明治にかけての俳人。世に知られることなく、伊那谷で死んだ。
井月が伊那谷にやって来たのは安政5年、井月、36、7歳の頃。学識に優れ達筆で吟詠迅速神技の如し、相当の尊敬を受けたという。
伊那谷では定住せず、あちこちの俳諧趣味のある旦那衆の家を泊まり歩く。無類の酒好きですぐに泥酔し、脱糞失禁に及ぶことも少なくはなかった。
そのうちシラミはたかる、ヒゼンは病む、悪童どもからは「乞食井月」と馬鹿にされるようになった。
村人も彼を持て余すようになり、ある時、とうとう善光寺詣りに連れ出され、捨てられた。善光寺なら井月の故郷越後に近いので、そちらに帰るだろうと思われたのである。
しかし井月はまたふらりと伊那谷に舞い戻る。以前彼をもてなした旦那衆も、もうその頃には軒先で酒食を与え、家に上げようとはしなかった。
明治19年12月、枯田の中に糞まみれで倒れている井月が発見された。
あちこちたらい回しされた後、最も縁故の深かった俳友宅にかつぎこまれる。井月は納屋に寝かされ、そこで翌年の3月10日まで生き、死んだ。死ぬ間際、俳友たちは無理矢理彼に筆を握らせ辞世の句を書かせた。「何処やらに鶴の声聞くかすみかな」
ラストシーンで、「井月も山井も大馬鹿ものだよ・・・」と「私」はつぶやく。 

2012年には岩波文庫から『井月句集』が出た。参考編として「略伝」や「奇行逸話」などが付いていて、『蒸発』で使われたエピソードも多く含まれており、興味深い。
『芸術新潮』2014年1月号のインタビューでつげ義春は、「井月の句集が岩波文庫になる時、文章の依頼があったのですが、自分の井月像は俳人としての関心ではなく、あくまでも蒸発者の視点なので、それではまずいと思いお断りしてしまった。」と述べている。
つげ自身も蒸発志向があり、「蒸発旅日記」(『貧困旅行記』新潮文庫に収録)という文章も書いている。(これは名作。映画化もされた。)
つげ義春も今年で80歳か。妻を1999年に亡くし、一人で引きこもりの息子の面倒を見、目の具合もよくないという。もう新作は無理だろうな。でも、よく生き延びてくれた。落語を語らなくなった志ん生と同じで、もうそこにいてくれりゃいい。 

だらだらと新味のないことを書いたけど、もし、これで、ちょっとでも、つげ義春や井月を読んでみようか、と思ってくる人がいたら幸いです。

では伊那谷の風景を1枚。


2017年6月24日土曜日

豊崎自転車商会ラーメン事業部


土浦の旧水戸街道沿いにある自転車屋。右側にラーメン屋の暖簾が揺れているのが分かるだろうか。
実はこのラーメン屋、自転車屋のおじさんとおばさんがやっている店なのだ。
二つの店は中で行き来ができるようになっていて、ラーメン屋の暖簾をくぐると、自転車屋で店番をしている二人がやって来て、注文を取りラーメンを作ってくれる。
ラーメン屋には店名はなく、地元の人は「豊崎自転車商会ラーメン事業部」と呼んでいる。
前を通りかかったのは午後3時過ぎ。ちょうど小腹が減っていたので、せっかくの機会だし、ラーメンの一杯でも、と寄ってみることにした。
話には聞いていたが、入るのは初めて。入るとテーブルが二つ。10人も入ればいっぱいになってしまう。一つのテーブルには先客がいて、餃子をつまんでいる。おじさんとの会話を聞くと近所の人のようだ。
おじさんに「ラーメンひとつ」と告げると、おばさんがラーメンを作ってくれる。
で、やって来ました、ラーメン400円。



見事に昔ながらのラーメン。おやつとしてもいけますな。また散歩の途中にいいかもね。

2017年6月23日金曜日

6月の晴れた日、土浦の旧水戸街道を歩く

6月のよく晴れた日曜日、真鍋宿から旧水戸街道を歩いた。
明治22年(1889年)4月4日の冷たい雨が降る日には、正岡子規が、私とは逆方向に土浦から真鍋の坂を上って来た。
元治元年(1864年)、旧暦の6月21日の朝には、天狗党の田中愿蔵率いる通称ザンギリ隊が、松明を片手に真鍋宿を焼き払った。家屋、土蔵、板蔵等、147棟が焼け落ち、2名が殺害され3名が負傷、強奪された金は3061両に上ったという。(吉村明『天狗争乱』より)
歴史は彼岸にあるのではなく、地続きにある。そんなことを思いながら、ぶらぶらと歩いた。

旧6国から旧水戸街道に入る。

まず旧藤本蚕業株式会社土浦支店がある。

藤本蚕業株式会社の本社は長野県にあった。この土浦支店は大正13年(1924年)に設立。ちなみに上田市にある本社は藤本蚕業歴史館となっている。
ここも、できれば保存してもらいたいものだが、ここまで老朽化していると無理かもなあ。

真鍋の坂を下り、土浦市街へ向かう。街道沿いにはシブい街並みが続く。



この辺りからご城下に入っていくのだ。


見事な看板建築。

正面から。


土浦市出身力士、高安が大関昇進を果たした。街を挙げての祝賀ムード。
この看板は商工会議所のものです。



2017年6月22日木曜日

火の見櫓 その8

最近また新たに火の見櫓の写真を撮ることができた。
やはりずいぶん減っているなあ、というのが実感するところだ。昔は本当に消防団の詰所があれば必ずと言っていいくらいあったのにな。

では、まず昨日1枚載せた、美浦村の火の見櫓。

きれいな形してますなあ。


錆もない。

きちんと半鐘もぶら下がっております。

お次は鹿嶋市津賀(旧大野村地区)にある火の見櫓。

お稲荷さんの脇に立っている。
こういうシチュエーションもわりとあるね。

赤錆が目立つなあ。

装飾的なデザイン。
昔、鉾田の街中にあったやつに似ているな。

これが鉾田の。
製造元が同じなのかねえ。

もひとつ。こちらは鉾田市梶山(旧大洋村地区)。北浦を望む高台にありました。


状態も素晴らしい。
美しいねえ。

おまけは土浦市真鍋のやつ。
最近建て替えられたのは、こういうタイプが多い。


2017年6月21日水曜日

稲敷を行く

ちょっと前、仕事で神栖に泊まった。
翌日は用事があったので、土浦に向かった。
まず潮来に出て、霞ケ浦の南端を渡り、霞ケ浦の西側をぐるっと、稲敷、美浦、阿見と北上して行った。
この道を通るのは久し振り。途中、休み休み写真を撮りながら車を走らせる。

稲敷市伊佐部の辺り。旧東村かな。空が広い。

利根川に並行して流れる新利根川か。


稲敷市阿波(あんば)の大杉神社にお参りする。




『常陸風土記』にも登場する古い神社。海河の守護神として、「あんばさま」の愛称で信仰を集める。御神木である杉の巨木が、霞ケ浦を航行する舟人たちの目印になっていたという。

門前の街並みが楽しい。









ここは旧桜川村だった。

美浦村では火の見櫓を見つけた。


土浦まで約2時間かけて行った。天気も良く、気持ちのいいドライブだったよ。

2017年6月20日火曜日

旅の昼飯

S君との旅の昼飯。
旅の昼飯は楽しい。
夕飯は基本的には宿におまかせ、ビジネスホテルで外に飲みに出るのでも、何品かのつまみを取ったり、シメにラーメンを食べたりだが、昼飯は基本的に一品勝負。そこに至るまでには、店の選択、メニューの選択がある。逡巡、懊悩、決断を経ての一品だ。そこが楽しい。

では1日目。



中央道、原PAの山賊ラーメン、700円。
豚の唐揚げが載る排骨麺(パーコーメン)に似ているが、こちらは鶏肉。豚の方は異国の味だが、鶏になると、ぐっとこちら側に近づいてくる。
信州松本のソウルフードとのこと。
揚げ物に麺は、天麩羅蕎麦の例を見るまでもなく、よく合う。スープに溶け出る脂が堪んない。月(にくづき)に旨(うまい)で脂(あぶら)というのも納得できる。

原PAは食事がウリらしい。



2日目は菅の平バスセンターのレストランのソースかつ丼、1280円。




洋食がメインの店とあって、いくぶんお上品だ。丼を使わず、ボウルだしね。
信州らしくきちんと野沢菜が付いているのがうれしい。
甘めのソースをしっとりと身にまとったコロモがにくいな。まさに、月(にくづき)に旨(うまい)と書いて・・・、もういいか。
旅のシメは肉がそそる。スキー帰りの、宮のステーキ。その辺のフツーの食堂のカツ丼。ファミレスのハンバーグ。非日常から日常へ戻る狭間の味である。

わしわしとソースかつ丼をたいらげ、外に出ると、目も痛いほどの新緑の向こうに駒ヶ岳が見えた。