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2024年7月21日日曜日

樋口一葉を読む

 梅雨が明けて暑い日が続く。この週末も猛暑日となった。

どこへ行こうとか、何をしようとかという気になれない。

で、この二日間、樋口一葉を読んでいた。

「にごりえ」「たけくらべ」「わかれ道」「うつせみ」「ゆく雲」「われから」。一葉の描く女は哀しい。女が「ひとりの人間」として認められなかった時代。そこで女は子を生す器械か性的快楽を提供するものでしかなかった。その中で一葉の女は「ひとりの人間」であろうとしてもがく。それはほとんど悲劇として終わるのだが、それでもこの社会の歪みをはっきりと可視化する。それは明治の昔の話ではなく、今日的な問題として迫ってくる。

貧困の中で、自らを性の市場に差し出す女。何不自由ないはずの富裕層の女でも、夫のモラハラに苦しんだり、人ととして大切にされない苦痛に身もだえる。

一葉のヒロインは多くは美貌の持ち主だ。しかし、その美貌ゆえに男の欲望の対象にされ、否応なしに市場に提供されてしまう。一葉自身、『閨秀小説』という女性作家特集号で肖像写真が掲載されて注目を集めた。私が読んでいる、ちくま文庫の『樋口一葉小説集』の解説で菅聡子は「世間の評判の背景には、自分の女性であるという性に対する好奇心があることに気づいていた」と書いている。

だからこそ「たけくらべ」の美登利の「いやいや、大人になるは厭なこと」という台詞は痛切に響く。美登利が花魁として店に出されるのは必定のことだったからだ(美登利がこのように言ったのは、初潮を迎えたことによるという説と「水揚げ」説とがある)。

歴史的仮名遣い、文語文、会話は口語だがカギカッコがない、など読みづらく敷居は高いかもしれない。しかし、文章のリズムといい、品がありながら洒落た文体といい、下手に現代語訳などせず、原文で読むべきものである。ただ、現代仮名遣いにして、カギカッコをつけ、改行を多くするのはありだと思う。そういう監修があってもいいんじゃないかな。

百合が満開


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