先日、笠間に行った帰り、旧岩間町に寄って来た。
難台山に向かっていくと、由緒ありそうな神社を見つける。
社殿の裏に御神木の杉の大木が立つ。 |
境内の石碑には式内郷社、羽梨山神社とある。祭神は木花咲耶姫。
その昔、磐筒男・磐筒女の二柱の神が日本武尊の東征を助けたところから、尊より羽梨山の尊称を賜り岩間朝日丘に鎮座したという。坂上田村麻呂の奥州征伐途上にも武運を祈られ、後に大任遂行に報いるための神殿が寄進された。武家の崇敬が深かったのもうなずける。小田の支族、宍戸氏の信仰厚かったが、1542年(天文2年)兵火により焼失。現在地に遷宮された。元の社域はゴルフ場になってしまったらしい。
正面に愛宕山。 |
奉納額は「韓信の股くぐり」であろうか。 |
すぐ近くには難台山普賢院龍光寺がある。
背後の難台山には山城があった。南北朝時代末期に鎌倉府軍に攻められ落城。その時、山の反対側に落ち延びた婦女子たちが麓の松の大木の根元で休んだ。その時の夜明けがあまりに美しかったので、その松を「有明の松」と名付けたという故事がある。
鎌倉府軍は笠間市側から攻めてきたので、婦女子たちは石岡市側に逃げたのだろう。「有明の松」は、石岡市旧八郷町にある。
石岡市旧八郷町にある「有明の松」碑。松は枯死して切り株だけ残っている。 |
高校1年の、あれは夏休みの初日だった。岩間の級友(Yという)の所に友達3人で遊びに行った。岩間駅に降り立ったが、Yは一向に現れない。うかつなことに彼の家の電話番号もメモしていなかった。
「どうする?」と私たちは顔を見合わせた。
ふと見ると、正面に愛宕山が見えた。「あれに登ろう」と話がまとまる。
愛宕山にはものの1時間もかからずに登ってしまった。先に進むと尾根伝いに難台山に向かうハイキングコースがある。他の2人の友だちは、難台山の麓からやって来た。「では、歩いて帰ろう。お前も来いよ」と誘われるまま歩き出した。
無謀だったよ。昼飯も食わず3時間ぐらい歩いたかな。難台山頂まで行かないうちに麓へ下る。やっとFという友だちの家の裏手に出た時には疲労困憊だった。
今ほどの狂暴な暑さではなかったにせよ、よく無事で帰れたものだ。山をなめてはいけない。
ちなみにその時Yは、突然の腹痛に襲われ、トイレから出られなかったという。
岩間駅前通りから見える愛宕山。 |
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