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2025年6月12日木曜日

追悼、長嶋茂雄

 

ミスタープロ野球、長嶋茂雄さんが亡くなった。

長嶋(ここからは敬称を省略する)が現役を引退したのは、私が中2の時だった。引退してすぐドキュメンタリー映画ができて、学校の映画鑑賞会でそれを観た。

体育館の床に座り、スクリーンを見つめながら、私は長嶋茂雄の一挙手一投足に魅了されていた。バッティングはもちろん、その華麗な守備、走塁、すべてにおいて全力を尽くすプレイに、私は心を奪われたのだ。

私が野球を見始めた頃には、すでに長嶋の選手としてのピークは過ぎていた。むしろアニメ『巨人の星』や漫画の『ちかいの魔球』などの長嶋の方がキラキラしていたような気がする。

しかし、全盛期の長嶋のプレイをまとめて見ると、改めてうなった。何てすごい選手なんだ。

野球部だった私は、早速、長嶋の打撃フォームを真似た。マンガ『野球狂の詩』の「おれは長嶋だ」の回に出てきた、長嶋に憧れ長嶋の真似を極めた長島太郎というキャラクターにも共鳴した。

後に大学や職場でソフトボールをやることがあったが、そういう時は当然のようにサードを守った(中学時代、私のポジションは捕手だった)。スローイングはサイドスロー、投げた後は手をひらひらさせた。いい球が届け、と念を送ると、自然と手はひらひらするのだ、ということに気づいた。

監督としての長嶋よりも、私はプレイヤー長嶋に夢中になった。


数ある追悼番組の中で、私はBS日テレの『1974.10.14引退試合』を選んだ。長嶋のプレイを心ゆくまで堪能しようと思ったのである。

素晴らしかった。

そもそも引退する選手がダブルヘッダーにフル出場し、第1試合は4打数3安打1本塁打、第2試合も5打数1安打1得点すること自体、尋常ではない。年間を通した成績は、確かに引退に値するものだったかもしれないが、引退試合というここ一番でこういう結果を残すことが、長嶋の真骨頂だと思う。長嶋は最後まで長嶋であり続けた、ということを、私はこの目で確かめたような気がした。

3番、王貞治の一本足打法。

4番、長嶋。

栄光の背番号3。

現役最後の打席に向かう。

長嶋さんが亡くなった日は、一日中肌寒く、ずっと雨が降っていた。古今亭志ん朝が亡くなったのも、寒い雨の日だった。ああいう太陽みたいな人が亡くなる時は涙雨が降るのだろうか。命日は6月「3」日。享年89歳。89(ヤキュー)の齢か。見事だなあ。まさに、長嶋茂雄は最後の最後まで長嶋茂雄だった。それは大変なことだったに違いない。心よりお疲れさまでした、ありがとうございました、と言いたい。

4 件のコメント:

moonpapa さんのコメント...

私もかつて野球少年でした。じつはミスターは高校の同級生の名付け親でやっこさんの仲人として披露宴でお会いしたことがあります。(お父さんが旧知の仲だそうで)。「三番サード長嶋」というフレーズは、ある意味「一丁入り」や「野崎」「老松」などと並んで、心躍る出囃子ではなかったでしょうか。あらためてご冥福をお祈り申し上げます。

densuke さんのコメント...

いやー、すごいですなあ。もしかして、お友だちのお父さんは、元プロ野球選手ですか?

匿名 さんのコメント...

野球界の方ではないです。その披露宴では同級生たちがミスターと記念写真をとりまくっていて(なぜか私は躊躇してしまって)ご夫人に「今日の主役は新郎新婦よ」 とたしなめられたのを覚えています。

densuke さんのコメント...

そうなんですね。
ミスターが仲人なんて、なんて贅沢な。主役が仲人になってしまうのも分かります。
ただ、私もそういう時には躊躇してしまうタイプです。