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2009年2月27日金曜日

カツ丼はさらに重く運ばれてきた

子供の頃、外食でしみじみとうまいなあと思ったものは、あまりない。カレーライスは子供の口に辛すぎたし、ラーメンは、正直言ってサッポロ一番みそラーメンの方がおいしく思えた。町の食堂でお金を出して食べるものより、ただで家で食べる物の方が好きだったのである。 
そういう思い込みを根底から覆したのが、カツ丼だった。 
カツ丼に関して一番古い記憶は、小学校の低学年の頃である。親戚と一緒に鹿島神宮にお参りに行き、食堂に入った。中学生になっていた従兄は、かたやきそばなんぞというコザカシイものを頼んでいたが、私は勧められるままカツ丼を頼んだ。これがうまかった。
それまでにとんかつは食べていたのだが、それとは全く違うものに思えた。それだけでもおかずとして成立するとんかつを、さらに卵をからめて煮てご飯の上にのせるという行為に感動すらおぼえたのだ。そのときの私の気持ちを表すとすれば、多分こんな言葉だ。「藍は藍より出でて藍より青し」、「カツ丼はカツより出でてカツよりうまし」。 
三上寛の唄に「カツ丼はさらに重く運ばれてきた」という歌詞があるが、やはり(それが出前であっても)、カツ丼は瀬戸物の丼で重く運ばれてくるのが望ましい。あの左手にかかる、ずっしりとした重量感こそが、カツ丼にもっともふさわしい。
食べる時には、おれの場合、まず一番手前のカツを二番目のカツの上に載せるね。そして、あざやかに露出しためしを、わしわしと食べる。丼のふちとカツの間のめしをすっかり食べ終えたあと、おもむろにカツを食べる。こうして順順に食べ進んでいくと、最後にカツが一切れ残る。それをお茶とともに余韻を楽しみながら食べるのである。 
この近くでは小川の小月庵がうまい。何の変哲もない町のそば屋だが、肉厚の、とても優しい味のカツ丼が出てくる。この頃は年齢のせいか、昔ほど頻繁には食べないが、時々無性に恋しくなる時がある。
以前、北海道を旅した時、最終日にどうしてもカツ丼が食べたくなって、室蘭の食堂でカツ丼を頼んだ。持ってこられて驚いた。それはカツ煮を皿に載せ、白いめしを丼に盛った、いわば「カツ煮定食」というべき代物だったのだ。これは丼もんじゃないよなあ、私はそうつぶやきながら、カツ丼の世界の奥深さに、暫し呆然としたのであった。  

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