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2009年9月9日水曜日

三遊亭圓丈『ろんだいえん』

三遊亭圓丈。言わずと知れた新作落語の旗手である。
闘う男だ。圓丈の言葉はいつも熱い。
その圓丈が遺言のつもりで書いたのが、本書である。
落語論、落語台本論、落語演技論が、圓丈によって思う存分語られる。そして、そこには新作落語を数多の偏見をはね返し牽引してきたこと、六代目圓生の弟子として三遊亭の本流を受け継いでいることへの強烈な自負がにじむ。
圓丈の怒りは古典の伝統に胡座をかき、何の工夫もない落語家に向かう。古典落語を信奉し、落語の大衆演芸としての生命を細らせる落語愛好家へ向かう。
圓丈は客にウケるためにのたうち回る。高座の上ではベテランも若手もない。勝負は客の反応だ。それが潔い。

圓丈は1980年頃、「グリコ少年」で、スポットライトを浴びた。
私が圓丈を知ったのもこの頃だ。「グリコ少年」はもちろん、「悲しみは埼玉に向けて」「夢地獄」「パニックイン落語界‘80」等々に私たちは大きなショックを受けた。ぶっとんだ面白さだった。そして伝説の池袋演芸場三題噺。圓丈は時代の先端を疾走していた。
ただ、圓丈にはテレビの人気者として定着するには、知的で毒があり、ちょっとばかりマイナーな匂いがした。程なく圓丈はテレビの表舞台からは去る。
しかし、圓丈は自ら切り開いた新作落語の道を突き進む。彼の先鋭的な噺は、時に理解を得られないこともあったが、やがて時代が彼に追いついてくる。
立川志の輔や春風亭昇太が自作の新作落語を引っさげ、華々しく登場し、それに続いて柳家喬太郎、三遊亭白鳥、林家彦いちなどの「圓丈チルドレン」が表舞台に立ってきた。
彼らには圓丈の影響が色濃く見られたし、この新作落語の隆盛を圓丈の功績と認めない者はいないと思う。さらに圓丈の凄いのは、「新作落語の大御所」として君臨するのではなく、彼らとムキになって競うところなのだ。

圓丈を男だなあと思ったのは、「御乱心」の刊行であった。
圓生一門による三遊協会設立騒動を描いたこの本で、圓丈は痛烈な三遊亭圓楽批判を展開した。そこには三遊本流をずたずたにした圓楽への激しい怒りがあった。そして、それは私憤ではなく、正しく義憤と言われるものであったと私は思う。
この一件で圓丈もダメージを受けた。「御乱心」刊行後、圓丈はおろか彼の弟子も、1度として「笑点」に出演していない。

どれもよかったが、私としては落語演技論が面白かったな。
型から入って内面に迫る三遊亭の演出が、つぶさに語られている。圓丈は、まぎれもなく三遊本流を受け継ぐ落語家なのだ。
ただ残念だったのは、誤植が多いこと。せっかく圓丈が渾身の力を込めて書いた本だ。出版社ももう少し努力してもいいだろう。

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