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2009年9月6日日曜日

桂文楽 ひーさん

大正14年、文楽は寿江と結婚式を挙げた。
当時、落語家で結婚式を挙げる例は少なく、後年まで文楽はこれを自慢した。
その式で仲人を務めたのが、樋口由恵。長年文楽のお旦であり、「つるつる」の旦那ひーさんのモデルとしても有名な人物である。
文楽と樋口との出会いは、関東大震災(大正12年)から間もなくであった。
向島の待合いから寄席に電話が来て文楽が呼ばれた。
何でも客が文楽を呼べと言って聞かず、とにかく来てもらいたい、来てくれないと困る、とのことだった。
それが樋口だった。文楽が呼べないのか、と言って芸者に暴力さえふるっていたらしい。
恐る恐る文楽が座敷に出ると、樋口は「文楽が来た」といって大喜び。それ以降、樋口は文楽を大の贔屓とすることになった。
文楽は樋口のお供の際は、必ず幇間を呼んでもらった。そして、座敷での幇間の立ち居振る舞い、客とのやりとりを観察する。
やがて、それは「鰻の幇間」「つるつる」「富久」「王子の幇間」など幇間ものの十八番となって結実した。
樋口が呼ぶのは一流の幇間だった。だから、文楽の演じる幇間は、野幇間であっても、どこかしら気品があった。
樋口は暴君だった。無理も言えば、女も殴った。
しかし、文楽は樋口に付き従うことで、暴君の孤独も知る。
噺の中で、一八が旦那に振り回されながら、それでいてどこかで許しているような気配があるのは、その辺に所以があるような気がする。
もちろん芸人とお旦である。そこには絶対的な服従関係があるのは間違いない。けれども、一八と旦那には、それだけではない心の交流がある。
文楽と樋口もそんな心の繋がりがあったのだと思う。
文楽は、三代目圓馬に、五代目左楽に、本気で付き従うことで多くのものを吸収した。多分、樋口もその意味では、文楽にとって師の一人といっていいのかもしれない。

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