「しらたまの歯にしみとほる秋の夜酒は静かに飲むべかりけり」(若山牧水)
秋である。秋にはやはり日本酒である。あぢいあぢい、うぐうぐぷはーっ、うめーっというような、ビールとともに過ごした日々ともそろそろ別れを告げ、しみじみと日本酒に親しむ季節なのである。
日本酒と言うと、どこか居住まいを正す感じがする。芳香鮮美、清澄淡白。そんな酒をコップに注ぐ。思わず正座をしてしまう。こういう時にポテトチップなんぞをつまみにしちゃあいけない。塩辛、佃煮なんてのをすこしずつ、つまみたい。
そして、何と言っても灯火親しむ秋、活字をつまみに飲むのがいい。意外にいいのが漢詩である。陶淵明の「菊を採る東リの下 悠然として南山を見る」とか、李白の「頭を挙げて山月を望み 頭を低れて故郷を想ふ」などを読みながらの酒は、また一段とうまいものである。陶淵明にしろ李白にしろ酒豪として知られるが、中国の人であるから日本酒を飲みながらこれらの詩を作ったわけではあるまい。それでいて、これらに合うのは、紹興酒よりもむしろ日本酒であろう。不思議なものである。
ま、いくらいいってったってずっとじゃ飽きる。「やっぱり口語文は漱石だよな」なんて言って漱石の文庫本を取り出す。そのうち志賀直哉もいいな、という気持ちになって「小僧の神様」なんかをとろとろと読み出す。しっかし、この志賀ってのは嫌味なおやじだよな、とつぶやくようになってくると、だいぶ酔いは回っている。
そうなると、もう太宰である。「桜桃」、「トカトントン」、「如是我聞」までいくと歯止めは利かない。しまいには安吾の「堕落論」を片手に「生きよ、堕ちよ、ばかやろめ」と口走りながら寝てしまうのである。
「酒飲みは奴豆腐にさも似たりはじめ四角で後はぐずぐず」 お後がよろしいようで・・・。
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