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2009年10月21日水曜日

幸田文『流れる』

芸者置屋で女中に雇われた梨花。彼女の目を通し、花柳界に生きる女たちを描く。
またしても、閉じた世界だ。天下国家など、これっぽっちも出てこない。見栄の張り合い、金銭にまつわるもめ事、痴情のもつれ、様々な事件が巻き起こる。
出てくるのは本当に女ばかり。
置屋の主人。娘の勝代。姪の米子。その娘不二子。主人の姉で米子の母、鬼子母神。芸者の蔦乃、なな子、染香、等々。事件の度に彼女たちの虚々実々の駆け引き、神経戦が繰り広げられ、それを梨花が冷徹に、時に愛おしげに眺める。
現在形を多用したスピード感あふれる文体、下町言葉を駆使した文章が魅力的だ。何より背筋がしゃんとしているところがいい。
それにしても女は恐い。女が描く女は恐い。『細雪』も女の小説だが、あれは男である谷崎が造形した女だ。ここに出てくるのは、正真正銘の女。その女たちが絡み合い、もつれ合う。ぴりぴりと火花を散らし、ぐずぐずとなれ合う。
その様を、私も楽しめるようになったのだなあ。若いうちだったら、絶対分からなかったろうし、色濃い女の匂いにむせかえったことだろう。青春の文学に出てくるのは女ではない。少女なのだ。この爛熟退廃の味は、やはり大人のものだ。
ここに幇間が出てくれば、まるで桂文楽の『つるつる』である。ちょいと理に詰むところはあるが、偉い人間なんざ一人も出てこないところが落語に通じている。
出会えてよかった一冊です。

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