カスミストアで「菊正宗樽酒」を買ってきた。
この頃、この酒をよく飲む。五代目古今亭志ん生、十代目金原亭馬生の親子が愛飲した酒だ。私が買うのも、この「古今亭の酒」であることが大きな理由である。
もちろん、味も好き。樽の木の香りがほんのりして旨い。燗をして、蕎麦とか鰻とかおでんとかによく合う。
この酒を飲んでいると、なじみの寿司屋のカウンターで、自宅で夫人を前にして、馬生が旨そうにちびちびやっている光景が目に浮かぶ。
それにしても、この馬生という人ほど、割に合わない生き方をした人はあるまい。
生まれたのは父志ん生のどん底時代。噺家になった時は戦時下で人手が足りず、いきなり二つ目にさせられるが、年寄りの前座にいびられる。そのうち志ん生は空襲が恐くなって、満州に行ってしまう。その留守中、志ん生を快く思わない連中からいじめ抜かれた。戦後、弟志ん朝が入門。順調に屈託なく伸びてゆく志ん朝と比較され、大西信行には「志ん朝の幸福は志ん生の子として生まれたこと、馬生の不幸は志ん生の子として生まれたことだ」とさえ言われた。志ん生は志ん朝を溺愛し、馬生は志ん生の名跡を志ん朝に譲ることを約束する。三遊亭圓生の三遊協会設立に伴う落語協会分裂騒動で落語協会副会長に就任。圓生、正蔵亡き後、五代目柳家小さんに続く名人への道を歩み始めるも、喉頭癌のために昭和57年、55歳で惜しまれつつこの世を去った。と略歴を書いているだけで泣けてくる。
しかし、死後、その評価は高い。CDも多く発売され、よく売れているようだ。不遇時代が長く、そのためネタが多い。志ん生や圓生もそうだが、そういう人はCDがよく売れる。
寄席では『しわいや』ばかり演っていた。出来不出来が激しく、酷いときに当たった日にゃあ目も当てられない。「引き」の芸で、派手さはなかった。
でもねえ、いいんですよ。しみじみと癖になります。
私にとっては、録音の方に名演が多い。(名演をあまり実体験できなかったのは、その高座に触れる回数が、残念なことに、やはり足りなかったのだと思う。)
CDの『もう半分』『干物箱』、爛漫ラジオ寄席の『うどん屋』、中学の時テレビで観た『たがや』…。ひとつひとつが愛おしい。
若い頃から老成していた。40代で既に白髪だった。書画骨董を愛し、一年中着物で通した。仕事の合間、少しでも時間があれば自宅に戻り、夫人の前で酒を飲んだ。がつがつしたところなんかこれっぽちもなく、飄々と生きた。多分にポーズもあったろうが、無理をしてでも力を抜く、そんな生き方に、今私は憧れる。
馬生が好きだった酒肴に、夫人手製の梅肉の叩きがある。梅肉と紫蘇、鰹節なんかを叩いて和えたものだ。そいつをつまみに「菊正宗樽酒」。この秋の夜長に、馬生を聴きながら飲むのも悪くない。
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