著者は吉川潮。茨城県出身というのも親近感を感じたし、奥さんの柳家小菊は大好きな芸人さんだ。ファンとまでは言わないが、落語に関する物書きとしては気になる存在だった。
『突飛な芸人』『江戸前の男』『浮かれ三亀松』は好きだった。しかし、『芸能鑑定帖』辺りから違和感を持ち始めた。
立川談志及び立川流に対する手放しの賛美。そしてそれを自らが立川流の顧問である以上当然だと言う。確かに人間である以上、完全な客観性など持ち得まい。ただ、評論・批評を名乗るからには、常に自らの客観性を意識するというのが誠実な態度ではないか、と私は思う。それをハナからそう言われてしまうと、正直鼻白む。
そんなわけで、しばらく彼の著作からは遠ざかっていたが、『戦後落語史』というタイトルで「ちょっと読んでみるか」という気になった。まさか通史ともなれば、そうそう無茶もできないだろう。資料としても使えるかもしれない。そう思って遅ればせながら読んでみたのだ。
さらっと読む。いつもの調子だ。
あとがきにこうあった。担当からは吉川史観で書いてくれと言われた。だから「立川流史観」になっている。それは自分が談志シンパで立川流顧問だから。当然、談志一門についての記述が他の一門より多いのも仕方がない。
それなら『吉川流戦後落語史』というタイトルにして欲しかった。
芸術協会に関して言えば、十代目桂文治・三笑亭夢楽・二代目桂小南・四代目春風亭柳好・三遊亭小圓馬辺りの記述に乏しい。戦後の芸術協会を支えた彼らを、もうちょっと評価してもいいだろう。
現在の落語協会寄席派のエース、柳家さん喬・柳家権太楼については完全無視。当代きっての名人柳家小三治についても通り一遍のことしか書いていない。
金原亭馬治の十一代目馬生襲名の記事では、本来なら一番弟子の伯楽が継ぐべきだが、彼には人気も実力も人望もなかった、というようなことを書いている。あるブログにも書いてあったが、これは、伯楽が『落語協団騒動記』で談志を非難したことへの意趣返しだろう。こういう狭量さは著者の株を下げるだけなのに、残念だ。
八代目桂文楽や三代目桂三木助を賛美する一方で、初代柳家権太楼や三代目三遊亭金馬を露骨に嫌った安藤鶴夫を、立川談志は痛烈に批判している。その安藤鶴夫と著者が同じ轍を踏まないことを私は祈る。
著者の立ち位置は鮮明だし、歯に衣を着せぬ論調も痛快に感じる人には魅力的だろう。だが、私はもう少し距離を置かせてもらう。そして、そのように感じる人も私だけではあるまい。
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