文楽の「芝浜」における有名な話がある。
文楽が黒門町の自宅に弟子たちを集め、稽古をしていた「芝浜」を聴かせた。
一席語り終え、感想を求めたところ、その中にいた後の三代目三木助が「師匠のは金を見つけた時の嬉しさが出ていない。」と言ってダメを出した。
三木助は「隼の七」と異名を取る博打打ちだった。一発逆転の、思わぬ大金が転がり込むという体験を彼もしていたのだろう。その三木助の目から見れば、文楽の表現は物足りなかった。
それを聞いた文楽は、そのまま「芝浜」をお蔵入りにしたという。文楽の完全主義を物語るエピソードだ。
だが、一方でこんな話もある。これは名古屋を拠点にしていた初代雷門五郎の証言である。
文楽が「芝浜」を演じると、弟子たちが感動して泣いた。
それを見て文楽は言った。「お前たちが泣くようじゃあ、私はこの噺は演らないよ。お客様は寄席に楽しみでお見えになるんだ。お客様を泣かしちゃいけない。」
戦後、三木助は「芝浜」で売り出す。三木助が名古屋に来た時、五郎が確認すると、三木助は「あれは黒門町の『芝浜』だよ。」と答えたという。
(三木助も五郎も文楽の弟子ではなかったが、可愛がられて、よく噺の稽古をしてもらっていた。五郎は文楽が二つ目時代に演っていた「出来心」や「天災」などを教えてもらったという。三木助や五郎が文楽の自宅で「芝浜」を聴いたとしても不自然ではない。)
事の真偽はともかく、「お客様を泣かしてはいけない」というのは、文楽のひとつの主義であった。文楽は人情噺を持ちネタにしていない。「景清」や「心眼」といった人情がかった噺はあるが、泣かせに走らずきちんと落語として演じている。
この文楽の主義を受け継いだ落語家がいる。文楽のライバル、古今亭志ん生の次男、古今亭志ん朝である。
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