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2011年1月18日火曜日

早坂隆『戦時演芸慰問団「わらわし隊」の記録 芸人たちが見た日中戦争』

拡大する日中戦線の中、朝日新聞が吉本興業に依頼して大陸に派遣した、演芸慰問団「わらわし隊」の記録である。
著者は私より一回り年下。若いのにしっかりしているなあ。彼は、当時の記録を漁り、芸人たちの足取りを丹念に辿ってゆく。元兵士の老人と会い、現地を歩く。イデオロギーに惑わされず、自分の目で見たこと自分の感じたことからこの戦争を考えようという、真摯な態度がそこにある。小林よしのりの『戦争論』辺りに影響を受けた世代なのかもしれないが、日本の兵士だけでなく、中国の人々の心情に思いを致すことができるところに私は好感を持った。
それにしても、お国のために戦う兵隊さんも、その兵隊さんのために熱演する芸人さんも(大スターの金語楼も三亀松もエンタツもアチャコも)、みんなみんな健気だ。みんなみんな健気に命をかけて頑張っている。ただ、その戦争自体は、大局的な戦略もなく始められ、ずるずると泥沼にはまっていく。それが、この上なく哀しいのだ。
とりわけ筆者が多く割いているのは、第1回、第2回の派遣に参加し、いちばんの人気者となったミスワカナのエピソードだ。彼女の奔放さ無邪気さは、兵士たちへの思いをまっすぐに表現する。中国人の孤児に対する同情も隠すこともない。それは時に反戦的な匂いを持つほどに踏み込んだものになる。観客は(大陸の兵士も内地の庶民も)そんなワカナの漫才に大いに泣かされた。
「わらわし隊」は大評判を博すが、戦局の悪化とともに規模が縮小されていく。「わらわし隊」という名称も不謹慎だというので使われなくなっていった。世の中に余裕というものがなくなった。
慰問団は送られていたが、その芸人の中に犠牲者も出た。夫の桂金吾とコンビを組んでいた花園愛子という漫才師が、戦闘に巻き込まれ、大腿部に被弾、出血多量で死亡したのだ。彼女の死は大きな衝撃を与える。愛子の遺児トシ子には同情の目が集まり、告別式には東条英機夫人から直々に言葉をかけられた。このトシ子は長じて八代目古今亭志ん馬夫人となった。この人は、前回紹介した『内儀さんだけはしくじるな』にも登場する。彼女は父の反対を押し切って、志ん馬と駆け落ち同然に一緒になった。そうか、その反対した父は、この本に出てくる桂金吾だったか。(その時はもう芸人をやめていたらしいが。)
日米開戦前夜でこのルポルタージュは終わる。そして、最終章では「わらわし隊」に参加した主な芸人たちのその後が語られる。筆者はここでもあのミスワカナの死について懇ろに綴っている。
労作である。筆者の積み上げたひとつひとつの証言は、どれも胸に迫ってくるし、あの戦争に正面から取り組み、誠実に向き合う姿勢には敬意を覚える。見解を異にする箇所もなくはないが、教えられることは多かった。いい本に出会えたと思う。
ただ、ひとつだけ。桂右女助(後の六代目三升家小勝)を神田伯龍の弟子という記述には首を傾げる。右女助の師匠は八代目桂文楽だ。同じ東京の芸人だから、楽屋などで教えを受けたこともあるだろうし、可愛がられてもいたのだろうが、右女助は伯龍と師弟関係にあったわけではない。(些細なことかもしれないが、文楽に関することだったので見逃せなかったのよ。)
蛇足ですが、解説は最近何かと話題の麻木久仁子さんが書いています。それがどうしたと言われても、別に何も、としか答えられないけれど。

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