前回はそれぞれの亭号の止め名(最高位の名前)の話だった。少々不正確な部分はあるが、勘弁してください。
その中で、今回は柳派について思いを巡らしたい。
柳派の祖は船遊亭扇橋という名前だ。船遊び、扇から芸者を思わせる。落語家らしく色っぽくていい。次に出たのが麗々亭柳橋。芸者のイメージがより具体的になる。そしてその後が、春風亭柳枝。春風に柳の枝が揺れる、具体から抽象への飛躍がある。さらにそこから柳亭燕枝。季節が春から初夏へと移る。
いやあ、この辺の主題の転がり方が実に見事だなあ。江戸時代に流行した俳諧連歌のようだ。
余談だが、初代三笑亭可楽の高弟、朝寝房夢羅久、林屋正蔵、三遊亭圓生、三笑亭可上、うつしゑ都楽、翁家さん馬、猩々亭左楽、佐川東幸、石井宗叔、船遊亭扇橋の10人を総称して「可楽十哲」という。もちろん、松尾芭蕉の高弟、蕉門十哲に倣ったものだろう。(ただ、三遊亭圓生については可楽の弟子というわけではなかったらしい。)
そういえば、俳諧も本来は滑稽を基調としている。
この柳派の中で、現在最高位にある名前は燕枝門から出た柳家小さんであろう。
柳派の祖である名跡、船遊亭扇橋は現在、入船亭と亭号を変え、現在は柳家の一派に入っている。
春風亭の止め名、柳枝は早死にが続いたところからか、現在は継ぐ者がいない。止め名には最高位という意味と共に、永久欠番という意味もあるけれど、文字通りの止め名になっている。いい名前だけに使って欲しいな。故三遊亭圓弥が適任だったと思われるだけに残念だ。
柳橋は現在は春風亭になっている。六代目が襲名時、師匠柳枝と同じ春風亭に変えたのだ。
本来柳枝は柳橋門から出た名前なので、ここで逆転現象が起きたわけである。柳枝が止め名状態になっているので、現在この柳橋が春風亭の最高位となっている。
燕枝は明治大正にかけて柳派のトップに君臨した名前だが、三代目が野垂れ死にのような死に方をしたために継ぐ者がいなくなった。誰か今の小三治に襲名してもらいたいと言っていた人がいるが、それをよく知る小三治がその気になるとは思えない。
小さんは柳派では比較的新しい名前だが、二代目以降名人上手が途切れることがなかったため、最高位となった。結局、名前はそれを名乗る人によるのである。その意味では当代は大変だなあと思います。
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