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2008年12月25日木曜日

川柳川柳の伝説

「すいません、酔っ払ってます。」
 その日、高座に上がった川柳川柳は、開口一番こう言った。2001年のゴールデンウィーク、浅草演芸場夜の部、客席は立ち見が出ていた。
 川柳という人には無頼の匂いがある。とりわけ彼の酒の上での失敗は数限りなくあり、師匠六代目圓生のマンションの玄関に、酔っ払って大便をしてしまった話は有名である。私自身、旧池袋演芸場の初席で、彼が酔っ払って高座に上がり噺にならなかったことを見ているし、七代目橘家圓蔵の葬儀の際、来客用のテントの中でコップ酒をあおりながら、「圓蔵は死んだんだ。」と気勢を上げて顰蹙を買っていたところも見ている。
 しかし、この時の彼は、これまでのような無頼漢ではなかった。続けて彼はこう言ったのである。
「右朝が死んだんだよ。今、骨揚げから帰ってきたの。おれが可愛がっていた奴なんだよ。」
 古今亭右朝が亡くなったのは新聞で知っていた。放送作家の高田文夫とは日大芸術学部での同級生。落研時代二人会を開き、学生でありながら上野本牧亭を満員にした伝説を持つ。最初寄席文字書きをしていたが、落語家の夢絶ちがたく、古今亭志ん朝に遅い入門を果たす。52歳。将来を期待されながらの急逝であった。私も彼の高座を見たことがあったが、すっきりとした何とも様子のいい落語家だった。
「右朝知ってる? 新聞に出てたでしょ?」
 川柳が高座の上から客に話しかける。反応はなかった。落語ファンのなかでは評価は高かったが、右朝の存在は広く一般的に知られているわけではなかった。川柳は自分の悲しみを客席と分かち合いたかったのだろうが、よしんば知っていたところでどう反応すればいいのだろう。正直、私は困惑した。
「そうか、知らないか。志ん朝の弟子。志ん朝が死んだって言った方がインパクトあるか? ま、いいや。」
 川柳は前座に水をコップに一杯持ってこさせ、それをぐっと飲み干すと、いつものネタを始めた。手慣れた芸で客席を沸かせた後、「志ん生の伝説を川柳が再現してやったぜ。」と言って高座を下りていった。(五代目古今亭志ん生は酒豪で知られ、寄席の高座で酔っ払って寝てしまった伝説を持つ。)川柳を見送りながら私は思った。確かにこの日、私は伝説を見た。それはただ単に酒に酔った落語家の高座を見たということではない。右朝の死を、川柳川柳がそんなになるまで悲しんだということ、そして、古今亭右朝がそれほどまでに急逝を惜しまれる落語家だったということである。

2 件のコメント:

moonpapa さんのコメント...

こんばんは。先日はあらためてありがとうございました。右朝さんの切り絵を手にしてからいろいろとググっているうちにこちらに…。YouTubeにあがっていた右朝さんの「百年目」を偶然見つけ、聞き入ってしまいました。録音状態はちょっと悪いかもしれませんが、聴きどころの終盤、ご隠居や番頭さんそれぞれの人物がくっきりと浮かび上がるようでいいですね。サゲの空気感もさらっとしていて…。落語協会100周年に協会100人目の真打、右朝さんの「百年目」をライブで聴きかったなぁ。せっかくなのでいろいろな師匠方の「百年目」聴いてみます。
 追記 ネットラジオで白酒さんの「白酒のキモチ」というのがあります。第94回に右朝さんの面白いエピソードがあるのでお時間のある時にでもよろしかったら…。

densuke さんのコメント...

FBの右朝の切り絵の写真、見ました。いいですねえ。
「百年目」も聴きました。志ん朝写しではない、いい調子ですね。あの調子は、一門の中でも抜群だと思います。落語家にとって50代、60代はいちばんいい時だと思います。体力、気力に経験が加わる。右朝が52歳で亡くなったのは、本当に惜しいと思います。
なるほど、今生きていれば、落語協会創設100周年に、100人目の真打の「百年目」が聴けたんですね。生きていれば75歳。どんな噺が聴けたのでしょうね。本人がいちばん悔しかったのだと思います。
右朝の真打昇進披露の口上も聴きました。「意地悪ばあさん」の志ん馬の司会。協会理事の馬風のどうでもいい話(これが楽しい)。橘右近の心のこもった口上。志ん朝の短いけどピリッと効いた挨拶。いいものが聴けました。
いい機会をいただきました。ありがとうございます。
白酒のも聴いてみようと思います。