馬生の「うどんや」のテープを持っている。私が高校生の頃に録音したものだから、もう30年も前の音である。 私はこのテープを何度も繰り返し大事に大事に聴いた。
好きなんだなあ、この馬生。
様々な客に翻弄される気弱なうどんや。何度も何度も同じ話を繰り返す酔っ払い。ひそやかな馬生の語り口が、しみじみと心に響く。馬生自身、酒に酔うと多少くどくなる癖があったらしい。とすれば、あの酔っ払いなどは、まさにはまり役といっていい。寒風吹きすさぶ中、ちぎれる売り声。サゲ際の、風邪っ引きのお店の若い者が、一心にうどんを食う様子。この「うどんや」の中には、馬生の、名もなきひとへの限りない愛情が感じられる。
馬生という人、弱き者、小さき者を描くのがうまい、と私は思う。「干物箱」の善公、「百年目」で旦那の前で恐縮する番頭、こらえこらえて最後に啖呵を切る「たがや」。彼らを馬生は慈しむように丁寧に演じていく。
よく父志ん生、弟志ん朝と比較された。人は、父の才能を天真爛漫に受け継いだのが志ん朝で、馬生は父の呪縛を逃れようと、父とは違う路線を歩んだ、と言った。大西信行は、「馬生の不幸は、志ん生の子として生まれたことだ」とまで言った。
しかし、今にして思えば、志ん生がよくやった三遊系の人情噺を、志ん朝はあまりやらなかった。志ん朝はむしろ、「お客様を泣かしちゃいけない。」と言って落語にこだわった文楽のやり方を継承したように見える。また、出来不出来の激しかった志ん生に対し、志ん朝はどんな状況でも一定の水準は保とうと心がけていた。この辺も、志ん朝は、文楽タイプであろう。
一方、馬生は、出来不出来の激しい人だった。ひどい時の高座は、ただ噺の筋を追っているだけのようなものだった。端正なように見えて、高座度胸はすごかったらしい。時にはうろ覚えの噺でさえ平気で高座にかけたという。このような天衣無縫さを、三遊系の人情噺とともに、馬生は父からしっかりと受け継いでいる。
私が東京に出て寄席に通えるようになった頃、既に、馬生は早い晩年を迎えていた。寄席の高座では、ほとんど「しわい屋」ばかりやっていた。その中で、新宿末広亭での「替り目」が強く印象に残っている。「替り目」は、寄席ではポピュラーな噺で、ほとんどいつ行っても誰かがやっている。例の「元帳見られちゃった」の辺りは特に聴かせ所だが、馬生のものほど心にしみじみと迫ってくるものはなかった。 妻にしつこくからみながらも、その実、感謝の気持ちを表さずにはいられない酔っ払い。口ではあれこれ言いながらも、優しく見守る妻。そんな彼らに対して、馬生は限りない愛を注いでいる。そして、高座の上で自在に酔う境地に馬生はいた。
「元帳見られちゃった。」そう言って、馬生はにっこりと笑って頭を下げた。何ともいえない、優しい笑顔だった。
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