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2011年5月29日日曜日

雨の一日


台風2号の影響で1日中雨。
ぼんやりと本を読んだり、テレビを見て過ごす。
本は、嵐山光三郎『悪党芭蕉』。
テレビは『鶴瓶の家族に乾杯』。被災地、石巻への再訪編だ。見ながら、ぽろぽろ泣けてくる。笑福亭鶴瓶の飾らない人柄、地元の方々の健気な姿が胸に迫る。
昨年の夏、私は仕事で福島へ行った。その時は郡山と福島で仕事をした。この福島を代表する2市では、現在1時間あたりの放射線量が、私の住む地域とは一桁違うのだ。一緒に仕事をした方たちを思う。皆、朴訥とした優しい人たちだった。
私の愛読している、TVブロスという雑誌があって、その最新号に福島訪問記が載っている。(この雑誌は、原発事故直後にいち早くメルトダウンを指摘していた。)そこでは、目に見えぬ放射能の不安を抱えながら、日常を生きる人々の姿が綴られている。「現場から距離が遠い人ほど放射能を不安に感じる」という言葉が重い。
写真は、昔、福島で買った会津焼のお地蔵様。原発事故の一日も早い収束を祈る。

2011年5月26日木曜日

六代目三遊亭圓生

昭和の名人といえば、文楽・志ん生・圓生である。
そして、この中で私が間に合っているのは、圓生だけなのである。
もしかしたら、私が噺を聴いている中で最も上手いのが、この圓生ではあるまいか。
小学生の高学年の頃だったか、テレビで『包丁』を観た。
『包丁』という噺は、女房と別れようとした男が、友達に女房に言い寄らせる噺だ。およそ小学生が聴くような噺じゃない。でも、これがよかった。子ども心に上手いなあと思わせるものだった。特に酒を飲みがら図々しく勝手につまみを出し、さらには女房に手を出そうとする場面の上手さといったらなかった。
「あたしが出しましょ」という間の良さ。佃煮を、糠味噌を食べる仕草。その後で言う、「バカウマ」の台詞の面白さ。(当時、圓生は「ハウス本とうふ」という手作り豆腐の材料のCMをやっていて、「バカウマ」というのは、その決め台詞だったのだ。)
その後テレビで観た『掛け取り万歳』での芸域の広さ、ラジオで聴いた『鼠穴』の劇的な展開などにも魅了された。
確かに上手い。技術は最高だろう。
だが、それは認めながらも、やがて私は少し圓生から距離を置くようになる。
私は圓生の落語に、どこか「生な感じ」を感じるようになった。感覚的なものでしかないかもしれないが、剥き出しの欲のようなものを感じるのだ。
圓生という人には、飽くなき向上心があった。言い方を換えれば、それは名誉欲とか権力欲といったものだろう。圓生が芸術院の会員になりたがっていたとか、圓朝を襲名したがっていたとかいうエピソードはそれを裏付けるものだったかもしれないし、春風亭一柳の『噺の咄の話のはなし』に出てくる圓生も、そんなことを想像させるに足る人物だった。
人によっては、私の感じた「生な感じ」は、「いかにも自分は上手いだろうという感じ」に映っただろう。
つまり、「芸は人なり」というが、その部分に私は感応したのだ。
もちろん、私は圓生と直接触れ合ったことはない。落語を通した感じと本などで知った印象だけのことだ。いわゆる先入観でしかない。およそ論理的な判断ではないことは自覚している。ただ、圓生の芸が、私にとってそう思わせるものだったのは確かなのだ。(それもあくまで主観だが。)
だけど、それだけに嫌な奴が出てくる噺は絶品だった。『包丁』、いいよお。『鰍沢』壮絶だよな。『鼠穴』の兄貴の嫌な奴ったらない。『なめる』、いやらしいよなあ。『真景累ヶ淵―お園殺し』の口説きもねちねちといやらしい。好みじゃないが、凄いと素直に思う。文句はない。
昔、私のいた落研では、圓生ファンは1年先輩の美恋さんくらいで、人気はあまりなかった。クラブの活動の中で、落語鑑賞会という落語のテープを聴いて感想を述べ合うってのがあったんだけど、圓生の回の時は「臭くて嫌だ」という意見が連発した。そん時はちょっとむかっときたなあ。「何言ってんだ、圓生だぞ」と、「文句あるか」と。自分だって好みじゃないのに。
私にとっては、そういう複雑な思いを抱かせる名人でしたな。

2011年5月24日火曜日

映画ドラえもんを観る


この前の日曜日、妻子と土浦イオンに行った。
一通り遊び、昼食を食べ、午後は長男が楽しみにしていたドラえもんの映画を観る。
気まぐれな次男は、「僕は観ない」と言って、妻と帰った。
久し振りの映画。前回も子どもとのドラえもんだったな。
けっこう面白かったよ。ドラえもんが何世代にも渡って、子どもたちの心を掴んできたのが分かるような気がした。今回のはロボットの描写が宮崎駿っぽかった。きっとスタッフに「ナウシカ」や「ラピュタ」に影響された人がいたんだろう。そう考えると、老舗にも随分新しい血が流れているんだなあ。
映画館の料金表を見たら、どちらかが50歳以上の二人連れは2000円で入れるという。いつの間にか有資格者だ。今度は妻と観に来よう。もちろんドラえもんではないよ。
夕食は、次男の好きなサイコロステーキを焼いて赤ワインを飲む。一晩中雨。梅雨も近い。

2011年5月20日金曜日

妻とデート


平日の休み。妻とデート。つくばへ行く。
西武とQ’tを行ったり来たり。子ども連れではないので、雑貨なんかをゆっくりと見る。
昼食は、西武の6階のエルベ。ドイツ料理のレストラン。土浦の亀城公園近くに本店があって、昔よく宴会をやった。アイスバインという豚の塩茹でが絶品だった。
本日のランチ。妻は豚のスパイス焼き。私はハンバーグ。旨し。
本屋で新書を2冊買う。
Q’tのフードコートで妻はココアフロート、私はクリームソーダを食べて帰る。
夕食は冷やし中華とそら豆。おふくろが揚げた天ぷら。初夏の味でビールを飲む。
久々の、のんびりした休日でした。

2011年5月14日土曜日

七味焼き定食よ、もう一度


震災以降、たきの井食堂が開かない。
入り口には「長い間お世話になりました」という貼り紙がしてある。
あの辺りは液状化がひどく、電柱なんかも随分傾いていた。
店の建物も、心なしか沈み込んで見える。
本当に、これでもう閉店なのだろうか。ご主人はもう再起を諦めたのだろうか。
もう、あの七味焼き定食や肉煮込み定食が食べられないかと思うと、ひどく寂しい。
貼り紙を写真に撮ってアップしようと思ったが、それも忍びない。
願いを込めて、七味焼き定食の写真を再び載せることにする。
七味焼き定食よ、もう一度。

2011年5月12日木曜日

入船亭扇橋

志ん朝・談志に少し遅れて世に出てきた人たちとして、柳家小三治・三遊亭圓窓・入船亭扇橋・桂文朝などがいる。
この中では、現在、柳家小三治が名人の地位を確立し、一人抜きん出た存在となったが、他の人たちにも、やはり捨てがたい味がある。
私としては、小三治を除けば、入船亭扇橋がいちばん好きだな。
彼は、24歳という遅い入門で、最初の師匠、三代目桂三木助の死後、五代目柳家小さん門下に移り、小三治とは兄弟弟子になった。
前座だか二つ目だかの時、桂文楽から稽古に来いと言われ、真打ち昇進時には、三遊亭圓生から帯を貰ったというエピソードは、若いうちから扇橋が期待されていたことを示している。
私が中学の頃、よくラジオの落語番組に扇橋が出演していた。特に『穴泥』は面白かった。気の弱いにわか泥棒がよく彼のニンに合っていた。(私は、後で聴いた文楽の『穴泥』よりも扇橋の方がいいと今も思っている。)
扇橋は青梅の生まれだ。東京とはいっても山深い田舎育ち。しかも、彼は落語をやる前は浪曲師だった。粋とは程遠い。どこか土の匂いがするが、それがかえって彼の芸を滋味深いものにした。また、彼は「光石」の号をもつ俳人でもある。俳句の持つ軽み、侘びといったものも彼の落語に感じられる。
見るからに押し出しは強くない。無口な農民といった風貌である。飄々と高座に現れ、独特の唄い調子でふんわりと噺を始める。ドラマチックな展開はない。退屈と感じる人もいるだろう。だけど、あのしみじみとした味わいは、この人だけのものである。
甚兵衛さんなんかハマリ役だな。『鮑のし』がお勧めだ。『道具屋』『ろくろっ首』なんかの与太郎もぼんやりしてていい。私は何より甚五郎がいいな。最初の師匠三木助も得意にしていたが、三木助のは粋に過ぎる。甚五郎は田舎生まれのはずなので、扇橋の程よい野暮さがぴったりだ。師匠譲りの『三井の大黒』、『ねずみ』は絶品だと思う。
今は随分年取っちゃって、声量も落ちて、何だかもごもご言っているだけのように聞こえて、そのためにウケも少なくなってきてしまった。寂しい感じはするが、それもしょうがないだろう。がつがつしたところもなかったし、名人というのではないよな。でも、あのふわふわとした雰囲気が私は大好きなのよ。名人ではなくても伝説の人にはなり得るのかもしれない。もはや平成の林家彦六と言っていいんじゃないかなあ。

2011年5月11日水曜日

日本酒の旨さ

前回、私は日本酒を愛飲していると書いた。
その、日本酒を最初に旨いなあと思ったのはいつかと、今夜、埼玉の銘酒「神亀」を飲みながら、つらつら思い出してみた。
そうだ、あれは大学4年の時だった。箱根のホテルでバイトをした時、たまたま「全国地酒大会」というイベントをやっていたのだ。
バイトの最終日、私はイベント会場へ行って、「越乃寒梅」はありませんか、と訊いた。当時の私でも、この幻の銘酒の名前は知っていたらしい。
担当の人は、「ないよ」とにべもなく答えた。
私はなおも食い下がった。「父親に土産にしようと思って。では、何か旨い地酒はないですか?」
すみません。嘘をつきました。もちろん、自分で飲むつもりだったのだ。
担当の人は、ちょっと私に同情してくれたらしい。「じゃあ、『鶴の友』がいいんじゃないかな。同じ新潟の地酒だよ。」と勧めてくれた。
私が喜んで購入したのは、言うまでもない。
私は、その足で東京に帰った。そして、狛江の駅から30分ぐらい歩いたところにある、同輩の悟空君の寮に行った。
そこで、私は買ってきた「鶴の友」で酒盛りをしたのだ。
旨かったなあ。鼻腔に立ち上る芳醇な米の香り。すっきりとした喉ごし。日本酒特有のべたつきも後味もない。私はこの酒で日本酒の旨さに開眼したと言ってもいい。
今にして思えば、あの、いわゆる端麗の味わいは、新潟の酒の特徴だったな。就職してから職場の先輩にご馳走になった「越乃寒梅」も、後に愛飲することになった「吉乃川頒布限定純米」も方向性は同じだった。「久保田」、「〆張鶴」、「萬寿鏡」もそうだな。
私もあの頃より大分歳をとったので、端麗だけを愛しているわけではない。日本酒の世界は、もっと多様で豊かなことを知っている。
どっしりとした米の味(「神亀」だな)。上等な和菓子のような透明な甘さ(「霧筑波」がこれにあたる)。樽酒の木の香(「住吉」がいいねえ)。
そればかりじゃない。居酒屋で逆さに突っ込まれた一升瓶から出てくる、やたら熱い燗酒だって、そういう雰囲気で飲めば旨いのだ。
上手さを突き詰めれば桂文楽だが、そこを突き抜けると古今亭志ん生に至る。酒もそういうものなのかもしれない。
これからも、旨い酒を飲んでいきたいな。そのためにも、体を大事にしないとね。

2011年5月10日火曜日

目には青葉

目には青葉、の季節である。こうなると食い物が旨い。
裏山では筍が生える。取れたての筍は味噌汁にするのがいちばん旨い。
畑ではアスパラガスがにょきにょき生えている。そいつをぽきんと折って、さっと茹で、マヨネーズをつける。
そして、このラインナップに主役として食卓に上るのは、鰹の刺身をおいて他にあるまい。
鰹はたたきより刺身、それも皮付きが望ましい。あの鮮やかな銀色がたまらない。
江戸の昔は、薬味に辛子を使ったそうだ。私も一度試してみた。それはそれで結構ではあったが、あの、にんにくのパンチ力にはかなわないなあ。
1杯目はビールだな。私は基本的には日本酒を愛飲しているが、気温が20度を超えてくると、ビールが恋しくなる。とはいえ、ビールは350ml缶1本でいい。後は純米の冷やでいく。
20年前、スーパー山内が小川にあった頃はよかったねえ。奥の角に鮮魚コーナーがあって、ここに捌き立ての鰹の刺身が次々と並ぶのだ。そして、それが飛ぶように売れるのだ。T君が遊びに来ると、いつもここの刺身を買って来た。彼はいつも「これがスーパーの刺身か」と言って感動してくれた。
今の一押しは、行方市の新網鮮魚店だね。鰹1本刺身にしてもらって、感動の1200円。安くて旨いので、客がひっきりなしに来ていたな。
ちなみに、その昔の落語ファンが「噺家魚見立て」というのを作ったが、「鰹」は八代目桂文楽であった。そのココロは「これぞ粋。喰わぬは江戸っ子の恥」だったそうだ。

2011年5月5日木曜日

ポティロンの森


先日、妻子を連れ稲敷市のポティロンの森に行った。
地域密着型のちょっとゆるいテーマパーク。
GWはキャラクターショーやビンゴ大会なんかがあって、けっこうな賑わいになる。
絶叫マシンもパレードもないけど、緑が多く動物もたくさんいて、子どもを遊ばせるにはちょうどいい。
子ども二人、大喜びで自転車に乗る。
お昼は妻が作ったおにぎり。曇天の下ではあったが、外で皆で食べると美味しい。
長男お待ちかねのビンゴ大会は、リーチにもならず終了。
最後に迷路に入って帰る。
写真は、入り口付近にあった、焼き芋製造マシン「やきいもくん」。このゆるさがたまんない。

2011年5月1日日曜日

これで一段落

2年以上かけて八代目桂文楽の生涯を辿ってみた。
途中、これじゃあ文楽の自伝(実際は正岡容による聞き書きだが)、『あばらかべっそん』の抜粋じゃないか、と嫌になったこともあった。だけど、せっかく始めたことだし、とりあえず最後までと思ってやってきた。
本当にやっつけ仕事だったし、抜けも多いが、それなりに感慨もある。私自身、35年以上文楽ファンをやってきたのだが、こうして形にしてみると、新たな発見や思いも出てくるものなのだなあと思う。
まだまだ、語り足りないこともあり、これで終わりということはないが、まあこれで一段落といったところである。
これからは、時系列にとらわれず、もっと自由に文楽について語っていこうと思う。
時に独りよがりな論調に陥ることになるかもしれないが、その辺りは出来るだけ気をつけることにする。
このブログが続く限りはお付き合いを願いたい。よろしくお願いします。