昭和の名人といえば、文楽・志ん生・圓生である。
そして、この中で私が間に合っているのは、圓生だけなのである。
もしかしたら、私が噺を聴いている中で最も上手いのが、この圓生ではあるまいか。
小学生の高学年の頃だったか、テレビで『包丁』を観た。
『包丁』という噺は、女房と別れようとした男が、友達に女房に言い寄らせる噺だ。およそ小学生が聴くような噺じゃない。でも、これがよかった。子ども心に上手いなあと思わせるものだった。特に酒を飲みがら図々しく勝手につまみを出し、さらには女房に手を出そうとする場面の上手さといったらなかった。
「あたしが出しましょ」という間の良さ。佃煮を、糠味噌を食べる仕草。その後で言う、「バカウマ」の台詞の面白さ。(当時、圓生は「ハウス本とうふ」という手作り豆腐の材料のCMをやっていて、「バカウマ」というのは、その決め台詞だったのだ。)
その後テレビで観た『掛け取り万歳』での芸域の広さ、ラジオで聴いた『鼠穴』の劇的な展開などにも魅了された。
確かに上手い。技術は最高だろう。
だが、それは認めながらも、やがて私は少し圓生から距離を置くようになる。
私は圓生の落語に、どこか「生な感じ」を感じるようになった。感覚的なものでしかないかもしれないが、剥き出しの欲のようなものを感じるのだ。
圓生という人には、飽くなき向上心があった。言い方を換えれば、それは名誉欲とか権力欲といったものだろう。圓生が芸術院の会員になりたがっていたとか、圓朝を襲名したがっていたとかいうエピソードはそれを裏付けるものだったかもしれないし、春風亭一柳の『噺の咄の話のはなし』に出てくる圓生も、そんなことを想像させるに足る人物だった。
人によっては、私の感じた「生な感じ」は、「いかにも自分は上手いだろうという感じ」に映っただろう。
つまり、「芸は人なり」というが、その部分に私は感応したのだ。
もちろん、私は圓生と直接触れ合ったことはない。落語を通した感じと本などで知った印象だけのことだ。いわゆる先入観でしかない。およそ論理的な判断ではないことは自覚している。ただ、圓生の芸が、私にとってそう思わせるものだったのは確かなのだ。(それもあくまで主観だが。)
だけど、それだけに嫌な奴が出てくる噺は絶品だった。『包丁』、いいよお。『鰍沢』壮絶だよな。『鼠穴』の兄貴の嫌な奴ったらない。『なめる』、いやらしいよなあ。『真景累ヶ淵―お園殺し』の口説きもねちねちといやらしい。好みじゃないが、凄いと素直に思う。文句はない。
昔、私のいた落研では、圓生ファンは1年先輩の美恋さんくらいで、人気はあまりなかった。クラブの活動の中で、落語鑑賞会という落語のテープを聴いて感想を述べ合うってのがあったんだけど、圓生の回の時は「臭くて嫌だ」という意見が連発した。そん時はちょっとむかっときたなあ。「何言ってんだ、圓生だぞ」と、「文句あるか」と。自分だって好みじゃないのに。
私にとっては、そういう複雑な思いを抱かせる名人でしたな。
0 件のコメント:
コメントを投稿