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2011年10月17日月曜日

つまらない大人にはなりたくない


「つまらない大人にはなりたくない」とその昔、佐野元春は歌った。
今、私のやっていることや言っていることを思うと、まさに「つまらない大人」になってしまったなあという感慨を抱く。
でもさ、責任とか守るものとかあるから「つまらない大人」になってしまうんだよ。つまらなくない大人なんて、所詮、子どもなんじゃないか。そんなことを呟いて、自分自身を正当化していた。
ところが、雑誌『SIGHT』の小出裕章(京都大学原子炉実験所助教)の記事を読んで、そういう自分がちっぽけに見えたよ。
一部を引用してみる。
「私にできることなんて、ほんと些細なことしかない。歴史の中で、個人のはたせる役割なんて、どんなことやったって、ちっちゃいもんです。私はずーっと原子力をやめさせたいと思ってきたけれども、もちろん私の力なんか全然役にも立たないまま、原子力はどんどん拡大してきてしまっている。でも私という人間は、1回しか生きられない。人生は戻ることもできないし、飛び越えることもできないし、今この場で私という命というものを、1回1回生きていくしかないわけです。どうせできることが、たかが知れているといったって、この人生しか生きられないんだとしたら、自分のやりたいことをやる、ということしかないわけで。ですから、私の周りは敵だらけでしたけど、別になんの迷いもありません。勝てるとも思わないけれども、やらなければならないことは、私にとってはもう、自明のことなんだから。」
もうひとつ。
「要するに個人の力なんて、たかが知れているわけで、私自身は負けることは別になんでもありません…『なんでもありません』って言ったらおかしいけど。もちろん、負けたいと思って負けているわけではありませんが、私の敵は国家なわけです。国家と、その周りに巨大な力がみんな集まっているわけですから、私が勝てるなんてことはあり得ないわけです。負けるのが当然という戦い方をしてきたわけです。」
肝の据わった言葉だ。きちんと大人だし、しかもかっこいい。
自分が、「つまらない大人」であることに自覚的でありたい。そして、それに甘んじたくないと思う。

写真は、沖縄の少年。去年、出張で行った時に撮った。頭にグラブをひょいと載せている姿が粋だねえ。

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