うちの落研は、前座・二つ目・真打ちの階級制度が、はっきりと確立されていた。
前座の時は、噺を先輩から口移しで教えてもらう。
落研によっては、最初から録音で好きな噺を覚えていいというところもあったが、うちはその点では極めて保守的であった。
最初は『一分線香即席噺』。
私たちの代は、二代目紫雀さんから教わった。「雷は怖いね。」「なる(鳴る)ほど。」、「隣の空き地に囲いができたってね。」「へー」という一分線香即席噺に花見の小咄をくっつけたやつ。これを稽古して春合宿で発表する。「雷」と「へー」の間に、オリジナルを入れて演る。合宿の時は部屋の先輩が考えてくれる。
こういう場合、大体、シリーズものになるね。公園シリーズで、「井の頭公園でデートしない?」「いーのかしら。」とか、ブルース・リーシリーズで、「ブルース・リーさん包丁取ってください。」「ほちょーっ」とか、薬シリーズで、「薬屋の親父が子どもに小便させているよ。」「はいちおーるしー。」とかあったねえ。私の場合は、当時のアイドルが歌った楽曲シリーズだった。「この五十嵐ゆきのレコードどうする?」「わーる、割る。」(元ネタは『悪』です。)とか、「君、中華街で包茎手術したんだって?」「チャイナタウンで皮剥いて(振り向いて)。」(下ネタかっ)なんてのをやらされた。
この噺で、校内寄席の初高座を踏む。私は初高座で、この噺を演った時、客の反応を気にして三平さんみたいな感じになってしまって、四代目金瓶梅さんから「真面目にやれ。」と叱られた。
2番目は与太郎の小咄と泥棒の小咄をつなげたもの。これも紫雀さんに教わった。
次はいよいよ1本の噺をやる。『寿解無』。これは四代目一生楽さんに教わった。この噺は夏合宿で発表する。
夏合宿で2本目の噺を教わる。ここから2グループに分かれた。うちの代は『道灌』と『手紙無筆』だった。私のグループは、雀窓さんに『道灌』を教わった。私は『道灌』という噺が好きだったので、この噺ができるのが嬉しかった。やっていいよという許可が出てからは、盛んに『道灌』をやって、「道灌小僧」と呼ばれた。八代目桂文楽が前座時代、「道灌小僧」と呼ばれていたということもあり、そう言われるのは、ちょっとばかり誇らしかった。
その後、冬合宿の発表用に、これも2グループに分かれ、『藪医者』と『つる』を教わった。私は『藪医者』の方。七代目風来坊さんが教えてくれた。風来坊さんの権助は、それは素晴らしかった。得意ネタにはならなかったが、考えてみれば、この噺で田舎言葉の稽古ができたのは、私にとって非常にプラスになったと思う。
この、『道灌』、『藪医者』というネタの流れは、幅があっていい。多分偶然だったのであろうけれど、今思うとラッキーだったな。
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