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2013年6月30日日曜日

ちょっと寄り道―霞ヶ浦

休日出勤の帰りに回り道。
30分ほど霞ヶ浦を眺める。
風が強く、波がある。曇って筑波山も見えない。
でも、湖面を見つめているだけで、気持ちが落ち着く。
ここで魚も鳥も人も、あらゆる生き物が生きている、いや生かされているんだな。
人の世なんてちっぽけなものだよね。
ちっぽけなりに色々あるんだけど、ちっぽけだってことを認識しておきたいよな。

2013年6月27日木曜日

陶淵明『飲酒』

漢詩では陶淵明の『飲酒』が好き。
これはもともと連作だが、有名なのは「其の五」である。
私もやっぱりこれが好き。引用は岩波文庫から。
  

  結廬在人境  而無車馬喧
  問君何能爾  心遠地自偏
  採菊東籬下  悠然見南山
  山気日夕佳  飛鳥相与還
  此中有真意  欲弁已忘言

(人里に廬を構えているが、役人どもの車馬の音に煩わされることはない。
「どうしてそんなことがあり得るのだ」とおたずねか。
なあに、心が世俗から遠く離れているため、ここも自然と僻遠の地になってしまうのだ。
東側の垣根のもとに咲く菊の花を手折りつつ、ゆったりとした気持ちで、ふと頭をもたげると、南方はるかに廬山のゆったりとした姿が目に入る。
山のたたずまいは夕方が特別すばらしく、鳥たちが連れ立って山のねぐらに帰って行く。
この自然の中にこそ、人間のありうべき真の姿があるように思われる。しかし、それを説明しようとしたとたん、言葉などもう忘れてしまった。)

いいんだよなあ。
肝は、俗世にいながら世俗を離れているってことかなあ。
自然とともに生きる日常の生活の中に「真意」がある、そんなふうにとろとろと酒に酔いながら思えるのは、幸せなことだと思うよ。
そうだ、これが私の原点だったのだ。しばらく忘れていたな。
季節季節の美味しいもので酒を飲み、妻や子どもを愛し、自分の好きな仕事をする。これでいいんだ。ひとつひとつを誠実に、人生の苦みも味わいながら、一日一日を大切に過ごしていこう。
そうだ、これでいいのだ。

写真は、昼飲みのハートランド。

2013年6月23日日曜日

水戸をちょっとだけ歩く

この間、大福さんと水戸で飲んだ時、宮下銀座で飲んだ後、ぶらぶら歩きながら撮った写真です。
東照宮の階段。
路地裏にはシブいお店がたくさんありました。

2013年6月20日木曜日

五代目小さん批判を批判する

今回は引用から。文章は松本尚久編『落語を聴かなくても人生は生きられる』中の、「落語を聴かない者は日本文化を語るな」(小谷野敦)より。
「だが、小さんは『名人』ではなかった。それどころか、小さんの落語は『落語』だったのだろうか、とさえ思う。確かに笑いはとれるし、描写は巧い。だが、毒や翳がなさすぎる。だから生前、小さんは一般人には人気があっても、落語好きには人気がなかったと思う。実際、小さんの人気は顔の愛嬌にあったのであって、耳で聴くとあまり味がない。武家噺、長屋噺は演じられても、廓噺や人情噺はできない。小さんの落語は、お茶の間で安心して聴けるお茶の間落語であって、落語ではないと思う。談志師匠が袂を分かったのも当然である。」
呼んでの通り五代目柳家小さん批判の件だが、この文章を読んで以来、一度、きちんと異議を申し立てたいと思ってきた。 言いたいことは分かる。小さんのどのような部分を批判しているかも分かる。しかし、そこにリスペクトの欠片も感じないのは如何なものか、と思うのだ。
私は落語家になれなかった人間だ。落語は好きだったし、演じることにもささやかだが自信もあった。でも、なれなかった。怖かったのだ。人気という得体の知れないものに、人生を賭けることができなかった。それだけに、落語家の凄さが分かる。彼らは人生を博奕の元手にする覚悟を持った人たちなのだ。落語家について語るなら、そこにリスペクトがなければなるまい。お前、自分でできるか?安全なとこからもの言うな、である。
肝心の小さんの芸についてだが、「自分にはそのよさが分からない」と言えばそれでいい。くだくだと述べれば述べるほど、見識の浅さを露呈してはいないか。「小さんの人気は顔の愛嬌にあったのであって」に至っては暴論と言っていい。そんなことを、小三治、さん喬、権太楼、小燕枝、小里んなど、今も小さんの芸に惚れている弟子たちに、面と向かって言えるか。彼らはプロだぞ。
小さんは大向うをうならせるタイプではない。(例えば三遊亭圓生のように)だから、熱狂的に追いかける対象になりにくい。だが、落語を聴きこめば聴きこむほど、落語を愛すれば愛するほど、小さんの大きさが見えてくる。あまりに自然体なので見過ごしてしまいがちだが、その巧緻な構成は戦後の滑稽噺の型を完成させてしまったと言っていい。さらにきめの細かい描写、恬淡な語り口、登場人物への愛情、ひとつひとつ目立たないけど、きちんと聴いていれば、いつか見えてくるはずだ。
著者は談志信者らしいが、小さんを落とすことで談志を持ち上げるような真似は、当の談志も喜ばないだろう。乱暴に見えて立川談志という人は、先人へのリスペクトを忘れない人だった。まして、師であった人をあんなに悪し様に言われて嬉しいはずがない。
もひとつ言う。この人は「昼間、家族揃って聴けたら、それは落語とは違うもので、落語は大人の聴くものだ」と言うが、確かにそう言えばかっこいいけど、私も大人の落語が大好きだけど、落語はそんなに偏狭なものではない。もっと大きく豊かなものだ。お茶の間落語だって落語なのだ。(「お茶の間落語こそ落語だ」と言っているわけではない。念のため。)
久し振りに落語についてまとまった文章を書いた。感情的にならず、特定の立場に拠らないよう心掛けたつもりだが、判断は読者にまかせたい。好きなことを語るのは楽しい。でも、そこには、気楽な立場でものを言っているという自覚と、その道のプロフェッショナルへの敬意が、なくてはならないと私は思うのだ。

2013年6月16日日曜日

潮来をちょっとだけ歩く

この前、潮来をちょっとだけ散歩した時の写真。
十二橋巡り乗り場。一度は乗ってみてくださいな。
けっこう楽しいよ。
もとは写真屋さんだと思うけど…。
潮来の街角にジョン・レノンがいた。
屋形船で宴会というのもいいねえ。

2013年6月13日木曜日

大福さんと飲む


昨日の日記。
水戸へ出張。大福さんと食事の約束をする。
台風の影響で、強風に加え、細かい雨が降る。
大洗鹿島線に乗る。
昼は水戸駅ビルの和幸。やっぱりとんかつはロースだよな。ビールといきたいが、仕事前なので、我慢我慢。
仕事を終え、待ち合わせまで時間があったので、宮下銀座でちょっと一杯。飲み会前の、フライング一人飲みがこの頃はお気に入り。もつ焼き屋に入り、カシラとシロをつまみに生ビールと燗酒。
ほどのいい所で切り上げて、待ち合わせの水戸駅へ。
大福さんと駅ビルの居酒屋。3時間、ずっと落語と落研の話をしてた。その間、酒の飲めない大福さんはウーロン茶で付き合ってくれた。申し訳ない。内容について詳しくは大福さんがブログで書いてくれるでしょう。
これまで、落語のことを話せる人が身の周りにいなかったので、楽しかったなあ。
また水戸に出ることがあれば、付き合ってね。

2013年6月10日月曜日

2年ぶりに神栖に泊まる


先週末は仕事で神栖に泊まった。2年ぶり。
仕事の打ち上げで宴会。二次会に流れて、11時頃ホテルに帰る。
翌朝は6時半に朝食。朝食バイキングでは洋食が好き。
パン、サラダ、スープ、コーンフレーク、スクランブルエッグ、ベーコン、ウインナーソーセージなんてところを取る。カレーがあると完璧なんだがな。飲み物はオレンジジュース、食後にコーヒー。旨し、でした。
8時前にはチェックアウトして、家に向かう。
途中、ちょっとだけ、潮来を歩く。十二橋巡りのおばちゃんの客引きを避けての散歩。もう少しのんびりしたかった。
9時過ぎに帰宅。
子どもの小学校区のイベントに行く。
長男は「よさこいソーラン踊り」を発表。暑い中、よく頑張っていたよ。
次男はざりがに釣ったり、くじ引きしたり、切り絵体験したりと、めいっぱい遊んでいた。
昼は木陰で霞ヶ浦を眺めながら、焼きそばとフランクフルトを食べる。天気も良かったし、いい気持ちでした。
午後は散髪して、夕方はハートランドビールを飲む。
夕食は、ピザと牛久のロゼワイン。いいお休みだった。

2013年6月5日水曜日

大甕神社


仕事で日立へ行った。
帰りに大甕神社に寄ってみた。
国道6号線沿いにあるので、鳥居はよく見ていたが、行ったのは初めて。
鳥居をくぐると、森閑とした森。
まずは拝殿にお参り。ふと裏手を見ると本殿がない。険しい岩山が切り立っている。これがご神体なんだな。
筑波神社の拝殿の背後は筑波山、男体山と女体山の頂上に本殿が鎮座ましましている。それと同じだ。
拝殿の裏から岩山を登ってみる。スーツに革靴だけどいいや。すると、上から何やら人の気配がする。若い男女のグループが下りてきた。パワースポット巡りみたい。すれ違うと「こんにちは」と挨拶してくれる。礼儀正しい若者だ。私も「こんにちは」と返す。
岩山自体はそんなに高くない。でも大分険しいな。鎖が下がっていて、それにつかまって登る。頂上には、予想通り本殿が鎮座ましましていた。
国道からほんの数メートル離れているだけなのだが、見事に神寂びた感じ。そうだな、まさに神が宿っている。
日頃の穢れを祓えた気がします。
帰りにふと見ると、道端に道祖神。寄ってみてよかったなあ。

鎖につかまって登る。
頂上のご本殿。
この岩山全体に魂が宿っているということです。
道祖神。心が温かくなります。

2013年6月4日火曜日

CSでジョンを観た

CSの無料放送でジョン・レノンのトロントライヴをやっていたので、何の気なしに見ていたら、とうとう最後まで見てしまったよ。妻は付き合いきれずに寝てしまったけどね。

私にとって、高校の時からずっとジョンは「かっこいい男」だった。
学生の頃、一生楽さんからいただいたアーミージャケットをずっと着ていたのも、ジョンがニューヨークシティライヴの時着ていたのと似ていたからだし、丸眼鏡やサングラスも、若い頃にはよくかけたものだ。もちろん、考え方やライフスタイルも大きな影響を受けていると思う。(クスリはやってないよ。念のため。)

トロントライヴは1969年。ジョンはまだビートルズのメンバーだったが、ヨーコとともにプラスチック・オノ・バンドを結成、その初ステージにトロントのロックンロールフェスティバルを選んだ。
野外のステージで、古いロックンロールシンガーが次々と古いロックンロールナンバーを歌い、若者がノリノリで踊る、そんなイベントだ。チャック・ベリーが『ジョニー・B・グッド』を歌っている。素敵なインチキおじさんぶりが素晴らしい。
夜になって、ジョン・レノン登場。白のスーツに丸眼鏡、もじゃもじゃに髭を生やしている。ギターの相方は若き日のエリック・クラプトン。(クラプトンがこのバンドに参加したのは、これが最初で最後。懲りたのか?)
リハもろくにせず、ほとんどぶっつけ本番だったらしい。最初は古いロックンロールナンバー、『ブルー・スウエード・シューズ』『マネー』『デイジー・ミス・リジー』。出だし、ぴりぴりとした緊張感が漂うが、次第にのっていく様子がいい。皆、根っからのミュージシャンなんだな。上手い奴と演奏する楽しさがびしびし伝わってくる。『ヤー・ブルース』なんか、ほんといいな。ジョンとクラプトンのギターソロ競演なんか、贅沢だなあ。『コールド・ターキー』を挟んで『ギヴ・ピース・ア・チャンス』となるともうノリノリ。力強い演奏を聴くことができる。ジョンのボーカルも、意外にも繊細で端正。ジョンの曲って、けっこうメロディアスなんだぞ。
そして、後半はヨーコさんの歌。たまんないなあ(別の意味で)。『京子ちゃん心配しないで』は前夫との間に生まれた子、京子への曲。ひたすら「ドンウオリ」と叫ぶ。これはまだバックがちゃんと演奏してたけど、ラストの『ジョン・ジョン(平和の願いを)』はすさまじい。ヨーコさんのうなり声、それにジョンとクラプトンがしこしことアンプをいじってノイズを作り出す。10分も続いたろうか、ジョンがヨーコに近づいて「もういいべ」って感じでステージを下りる。後は無人のステージにブーッというノイズが鳴っているだけ。これをトリネタにして客は「金返せ」って騒がなかったんだろうか。
私は川崎のアパートでこのテープを聴いて、ひどい二日酔いをさらに悪化させたことがあったぞ。
でも、若い頃はヨーコさんの顔見ると「東洋の魔女」という印象しかなかったが、今見る30代のヨーコさんは若く、可愛らしい表情をする。ジョンもそんなヨーコさんが好きでしょうがないみたいで、隙を見ていちゃいちゃしてる。そんなとこがほほえましい。
ヨーコさん、この時はすさまじかったけど、『ダブル。ファンタジー』では、前衛の臭みが抜けてよくなったよ。
『ギヴ・ピース・ア・チャンス』を熱唱するジョンです。

2013年6月2日日曜日

初夏の豊洲

妻子を連れて、豊洲に行く。
子どもたちが大好きなキッザニア。
6月は長男の誕生日月。パイロットやら弁護士やら証券マンやら、色んなものになってたね。
次男はフリークライミングに挑戦して、見事成功しておりました。
昼食は二人の体験したモスバーガー。
3時までめいっぱい遊ぶ。
表に出て、しばし海を眺める。やはり水のある風景はいいねえ。

キッザニアはいつも夜。