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2013年11月29日金曜日

怒り心頭

境町の利根川の堤防にあった看板の落書き。
随分怒ってますなあ。
ここに至るまでに、何があったのか興味深い。

2013年11月27日水曜日

山口果林『安部公房とわたし』

高校の卒業アルバムの寄せ書き、友達が「大社長」とか「トレノGばんざい」なんてことを書いている中で、私は「終わりし道の標べに」と書いた。気障だねえ。その頃から、安部公房は、私の好きな作家だったのだ。

一読して思う。そうか、安部公房も「火宅の人」であったか。 檀一雄の『火宅の人』は小説家が女優を愛人にする話だったが、この本は小説家の愛人になった女優の話だ。
23歳年下、自分が勤める大学の教え子で、自分の劇団の女優となる娘と関係を持つ。しかも、安部の方からアプローチしたらしい。
安部公房といえば、抒情に流されない、圧倒的に知的な作家という印象がある。それが、しっかり若い娘に溺れるんだな。
つくづく人間って弱いんだな、と思う。人には理性では御しきれない業ってやつがあるのだろう。安部にとっては、この山口果林がそういう存在だったのかもしれない。
でもね、著者と安部の家族との確執も綴られているが、そりゃ妻や娘にしたら堪ったもんじゃないよねえ。私は家庭が大事だし、妻や子を愛しておるので、どうしても安部の家族の感情を想像してしまう。著者も辛かったろうが、家族の辛さは格別だろう。安部公房自身は苦しかったんだろうか。
だからといって、安部を責めるつもりはない。おそらくしょうがないことだったのだ。安部公房は、火宅の道を選んだ。そういうことだ。

著者による衝撃の告白の連続だ。家業の従業員に受けた、幼児期の性的虐待。NHK連続テレビドラマ『繭子ひとり』のヒロインが決まった頃、安部の子どもを宿し中絶したこと。安部の妻との修羅場。安部公房との事実婚生活、そして彼の最期。行きつ戻りつ、時に繰り返されながら、それらが淡々と語られる。
安部の死後封印され、なかったことにされたが如き存在だった著者は、語らずにはいられなかったのだ。安部とともに生きた証が欲しかったんだと思う。それは、安部のことを、「安部」でも「公房」でも「彼」でもなく、いちいち「安部公房」とフルネームで表記していることに、痛切に感じられた。

余談だが、安部公房が撮ったと思われる写真がいい。表紙カバーの無防備な表情、仕草。まさに心を許した者にしか見せない姿だ。可愛らしいし、美しい。安部公房が彼女に溺れているのが、まざまざと分かるようだ。

2013年11月20日水曜日

忘れられない、たい平の『お見立て』

それは2006年の4月のことだった。
私は当時、柳家三太楼という落語家のHPを愛読していた。柳家権太楼の一番弟子。柳家さん喬を思わせるソフトな語り口、それでいて時折見せるエキセントリックな爆発力は、確かに権太楼のDNAを感じさせた。2001年に真打に昇進し、実力派若手真打として将来を嘱望されていた。
その彼のHPが突然、閉鎖された。そして、落語協会のHPから三太楼の名前が消えた。やがて、師匠権太楼のHPで、三太楼の破門、落語協会からの除名が発表される。理由は「弟子として許されないことをした」とだけしか書かれていなかった。何が何だか訳が分からず、憶測が憶測を呼んだ。色んな噂が流れたが、真相は依然として分からなかった。
その渦中、私は4月下席の池袋演芸場、夜の部を観に行く。
この席は、三遊亭白鳥、柳家喬太郎等、1960年代生まれの若手真打が競演するという企画で、三太楼も出演予定だった。
近くの回転寿司でビールを飲みながら軽く腹ごしらえをして、客席の人となる。出演者は誰も三太楼のことには触れない。当たり前か。そんなデリケートな話題に、触れられるはずもない。
代演で林家たい平が出た。(それが三太楼の代演だったかは、よく覚えていない。)たい平は、いつも愛嬌のあるサービス精神あふれる芸人だ。しかし、この日は違った。引き締まった、どこか怒ったような顔つきで、彼は高座に現れた。そして、ほとんど枕も振らず、『お見立て』に入っていったのだ。
たい平が登場したのが、仲トリの2つ前。そこへトリネタでもおかしくない『お見立て』をぶつけてきた。私は同じ池袋演芸場で、2000年に古今亭志ん朝の『お見立て』を聴いている。たい平の『お見立て』は、どこか、この志ん朝の『お見立て』を彷彿とさせた。
そして、それは、私には三太楼への強烈なメッセージのように聞こえた。「三太楼、必ず高座に帰って来いよ」と、たい平が叫んでいるように聞こえたのだ。
その後、仲トリの柳家喬太郎が自作の新作(「夫婦喧嘩の噺」と当時のメモにはある。)で場内を爆笑の渦に巻き込み、柳亭市馬が『締め込み』を余裕綽々で演じ、トリの三遊亭白鳥は改作『悋気の独楽』の怪演で観客の度肝を抜いた。
誰もが三太楼の行く末を案じながらも、それを言葉にせず精一杯の熱演でそれに代えたように感じた。その中でも、私としては林家たい平がベストだったな。あの『お見立て』に、私はたい平の男気を感じた。

その年の10月、柳家三太楼は、三遊亭小遊三門下、三遊亭遊雀として再出発を果たした。彼の再起を、私は密かに喜んだ。

2013年11月18日月曜日

白帆の湯

そろそろ妻の手にしもやけが出始めたので、いつもの日帰り温泉に行く。
麻生温泉白帆の湯。
霞ヶ浦を眺めながら温泉に浸かる。至福のひと時。
湯上りには休憩室で三ツ矢サイダー。昼食は海鮮かき揚げそば。
畳の上に寝転がって、テレビのNHKのど自慢を見ながらうつらうつらする。
もう一回入って帰ることにする。
すぐ近くの湖岸は、人工の砂浜になっている。
もともと霞ヶ浦は白砂青松の風景が広がっていた。度重なる洪水を防止するため、周囲をすべて堤防で囲ったため、そんな風景は姿を消した。
最近になって、堤防の向こう側に、何ヵ所か人工の砂浜が作られている。
ちょととだけ、砂浜に出る。やっぱ砂浜はいいなあ。
母の実家が霞ヶ浦に近く、子供の頃にはよく湖岸で遊んだ。小学校に入った頃は、まだ砂浜だった。霞ヶ浦の向こうには筑波山。あれが私の原風景なのだ。
夕食は、ピザとナポリタンで赤ワイン。たまには洋食もいいね。

2013年11月15日金曜日

秋の休日

この間の休み。
お出掛けをするつもりだったが、子どもたちが風邪気味だったので自粛。
お昼だけでもと、はま寿司へ行く。いわし、さば、さんま、あじと青魚を中心に攻める。
午後は少しだけ、石岡を散歩。国分町、若松町を中心に攻める。
この頃お気に入り、休みの日の夕方ビール。ちょっと贅沢に、キリンハートランド。
夕食はいも煮鍋で酒。
小室等のCD『プロテストソング』を聴く。

以下は石岡の写真。
 白壁の土蔵が美しいねえ。
路地の奥にあった商家。私の好みだが、震災でやられたみたいだなあ。
若宮八幡宮。創設は神亀年間、奈良時代に遡る。
透かし彫りもいい。
こういうお店も好きなんだよね。



2013年11月13日水曜日

常総市水海道

常総市、水海道にて。
古河方面から水海道市街に、鬼怒川を渡って来ると、まず見えてくるのがこの建物。
いいよねえ。
何枚か写真を撮ってみた。


ここも、いつかゆっくり歩いてみたいもんですなあ。

2013年11月10日日曜日

境町

境町の利根川の堤防近くに、古い家並が残る一角があった。
この本屋さんなんてもう、堪んないっす。
まだまだ現役。本屋で、文房具屋で、剣道具まで売っているらしい。
マンガは100円均一らしい。

他にもしぶい建物がけっこうあった。以下はその写真です。


 お子様のりものって、何だろうね。



ゆっくり時間をかけて歩いてみたい街でした。
 
 
 

2013年11月8日金曜日

県西小さな旅

仕事で県西の方へ行って来た。
ほとんど小さな旅ですな。
妻と付き合っている頃、ちょっとだけ遠距離恋愛的な時期があったんだけど、当時片道3時間かけて彼女の所へ行っていた道を、久し振りに走った。愛車ミニを買ったばかりだったなあ。
ミニも、もう20年目。まだまだ現役。頑張ってほしい。

帰りにぽつぽつと写真を撮って来た。
今日は県西を流れる川シリーズ。

まずは利根川。
坂東太郎の名にふさわしい大河ですな。
橋の向こうは千葉県。
千葉県側には、お城の形の資料館がある。

お次は鬼怒川。
常総市水海道側から。
鬼怒川といえば長塚節『土』が有名。舞台となったのは、もちょっと上流。水海道は三遊亭圓朝『真景累が淵』の舞台である。

最後は小貝川。
つくばみらい市、旧谷和原村の辺り。
カヌーなんか浮かべてみたい感じですな。


2013年11月5日火曜日

東北楽天、日本一

東北楽天が日本シリーズを制した。
テレビで試合を見ていたら、鼻の奥がつんとしてきたね。どうも最近涙もろくなっていけない。
最後まで気の抜けない、いいシリーズだった。前日、不敗神話を続ける田中に土をつけ、逆王手を果たした巨人の、プライドをかけた戦いぶりも見事だった。
でも、やはり、被災地を背負う楽天の、日本一に賭ける思いが、わずかに上回ったか。
シリーズMVPは、この試合先発の美馬。茨城出身だけに嬉しい。藤代高校時代から、小柄だがクレバーで安定したピッチャーだった。2年の時の準決勝での、須田(現横浜DeNA)との投げ合いはしびれた。決勝では常総学院に粉砕されたけど、あの年の常総は何といっても全国制覇したチームだからなあ。
ファンのインタビューで「今は在籍していない監督や選手もみんな含めての日本一です」と言っていた人がいた。私には渡辺直人のことを言ってもらっているように聞こえた。茨城県立牛久高校出身。田中、嶋とは同期入団。野村監督時代の楽天を支えた一人だ。その誠実な人柄は、チーム内でも信望が厚かった。楽天がリーグ優勝した時は、反対側の西武のベンチにいた。それも因縁を感じるなあ。渡辺には西武での優勝を目指してほしい。
写真は田中が最後のバッターを空振りの三振に切って取った瞬間です。


2013年11月3日日曜日

牛久に行って来た

牛久に行って来た。
午前中は、市民センターでやってるwaiwai祭りに行く。
子どもたちは、フリマでポケモングッズを買ったり、スマートボールやったり。
昼食は屋台で買って来た、豚あぶり飯、手羽先黄金揚、コロッケ、メンチ、餅。旨し。
午後は牛久シャトーに行く。(正式名称はシャトーカミヤだけど、私にとっては牛久シャトーだね。)
シャトーは震災で大きなダメージを受け、現在修復中。
1時間ほど遊んで、家に帰る。
本来は、ここからはこういう風景が楽しめる。いいでしょ。