黒門町へ行くたびに、私はなぜ30年前にここに来なかったのかと悔やむ。
その頃には、まだ八代目桂文楽の家があったはずなのだ。
今は、そこは空き地となっていて、いつも何台かの車が止まっている。
この日も、3台の車が止まっていた。
しかし、いつものように私には後悔の念は沸き起こってはこなかった。
この日、私は、その空き地を眺めながら、桂文楽の家を想像した。
京須偕充は『落語名人会夢の勢揃い』の中で、文楽の家をこう綴っている。
「西の端、角から二軒目にあたる南向きの二階家だけは、いつも真新しく見える建物だった。戦後の工法や資材で建てられていたわけではない。古風な木造なのだが、外側の下見板も、形ばかりの小粋な板塀も、ことに横桟のガラス戸がはまった玄関が、白木の木肌を無垢のままに保っていた。
毎日のように水で洗い、乾いた布で丁寧に拭き上げて、新築の色艶を保ち続けていたのだろう。その家は古い家並みと調和しながら、ひとり凛とした光彩を放っていた。」
毎日、弟子たちが固く絞った雑巾で磨き上げた、白木の木目が見えた。
二階の窓からスピッツを抱いて、寿江夫人が顔を出すのが見えた。
狭い路地を立川談志の選挙カーが入り込んで、「文楽師匠、談志です。よろしくお願いします」と言うと、二階から「ようがすよ」と答える文楽の姿が見えた。
そこが空き地であるおかげで、私はありありとそこに桂文楽の住まいを感じることができたのだ。
ひっそりとした黒門町の路地で、こうして私はしばらくの間、その空地の前に佇んでいたのである。
湯島側から路地を入る所。
手前の車が止まっている空き地が文楽宅跡。
同じ所を逆方向から。
近くにあった粋なお家。
このお稲荷さんには、文楽・今輔の奉納札があります。
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