先日亡くなった八代目橘家圓蔵は、1953年(昭和28年)、七代目橘家圓蔵に入門した。竹蔵の名前を貰うが、当時、大師匠の八代目桂文楽に前座がいなかったため、内弟子のような格好で黒門町に預けられた。
1958年といえば、文楽がラジオ東京の専属になった年だ。後にデグチプロの稼ぎ頭になる月の家圓鏡(後の八代目橘家圓蔵)と出口一雄との関係は、文楽と出口が本格的にタッグを組んだのと同時期に始まったのである。
竹蔵は1955年(昭和30年)に升蔵と改名して二つ目に昇進。この升蔵時代からラジオで売れ出すことになる。(「ラジオ出演が売れ始め」ということは、ラジオ東京プロデューサー、出口一雄の影響がないとしたら不自然だろう。)
1965年(昭和40年)、師匠の前名である月の家圓鏡を襲名して真打昇進。その後は、ラジオ、テレビ各局総なめの売れっ子となる。
京須偕充が、三遊亭圓生のレコード制作交渉のため、出口の事務所を初めて訪れるのが、1973年(昭和48年)のことである。その時に彼は月の家圓鏡と居合わせた。圓鏡は、二人いる出口の部下のうちの一人と、にぎやかにヘボ将棋に興じていたのである。
その時の様子を、京須はこんな風に書いている。(『落語名人会夢の勢揃い』より)
何かの都合で時間つぶしをしていたらしい圓鏡はまもなく立ち上がった。外へ出るとき、見知らぬ私と出口への挨拶をかねて、「デグチプロとどんどん仕事をしてください。モーカリマスヨ!」と大声で叫んだのを覚えている。口火を切ったばかりの地味な対話劇に突然予定外のCMスポットがぶち込まれたようで、私は一瞬あっけにとられ、出口は小さく苦笑した。
人を食ったような、しかし人をそらさない圓鏡の人柄がよく出ている。
出口は圓鏡を買っていたようだ。
Suziさんはこう語る。
「『あんなバカ言ってるけど、こいつほど利口なヤツに会った事はない』伯父はそう言っていました。ド近眼で分厚いメガネかけていました。今こういう表現をして解ってもらえるかどうかですが、牛乳瓶の底みたいなあんなレンズでした。伯父の死んだ後は彼がデグチプロを買いました。当時人気の出だした毒蝮三太夫の向こうを張るために。
彼は一般の人には受けていたけど(利口だから立ち回りが上手い)、芸人仲間ではそれなりにマークされていた人です。(利口過ぎてソツなさ過ぎて嫌われていたと言うか、ちょっとねたまれたのかな。それくらい反応が早く相手の言うことをパッと先まで読める人でした)
圓鏡は一度円形脱毛症をやりました。芸能界を生き抜くってそれは大変な神経がいります。そういうストレスからなったんです。ある日朝起きたらとか髪の毛をとかした途端に突然パカッと2、3センチの円形禿げ出現なんですからね。びっくりしますよ。時々定期的に医者だった父のところに来て注射を打っていました。あまり世間に知れちゃまずいんですよね、こういうことで。芸人が生き延びていく、人気を保つ、ってことは並大抵の努力と神経じゃ勝ち抜けないんです。痛い注射だそうですよ。何ヶ月か続けてきていたようですが、どのくらいの期間だったかは覚えていません。
『あんな利口なやつでも神経がすり切れるんだなあ。禿げるのか』そんなことを伯父は言っていましたね。伯父がとっても信頼していた、若手の、気心の合う関係の人でした。」
出口の死後、圓鏡は二人の社員を引き取って、デグチプロを引き継いだ。そして、名前を「一八プロ」に改めた。落語ファンにはおなじみ、落語に登場する幇間の名前から取ったものである。
その後圓鏡は、決して本格派ではなかったものの、本業の落語の方でも評価を上げ、1980年代初頭には、志ん朝・談志・圓楽と並び「四天王」の一角を占めるようになる。
1982年(昭和57年)師匠の名を継いで、八代目橘家圓蔵を襲名。落語協会の重鎮として、また爆笑派の旗手として、長く寄席の高座に上がり続けた。細かい気配りで、他の一門の落語家にも人望は厚かったという。
もしあっちで再会したとしたら、出口さんはデグチプロを引き継いだ圓蔵さんに、どんな言葉を掛けるのだろうか。
Suziさんは言う。
「私の想像ですが、『お前よく引き受けてくれたよ。』それ以上のせりふは伯父にはないでしょうねエ。伯父は男同士では特に口下手の優等生でしたから。
今頃志ん生さん、文楽さん、そこに私の父も加わり〈くさやの干物〉で一杯じゃないでしょうか。 圓鏡さんは『アタシャそう飲めるほうじゃなくて。そんなに飲んじゃうちのセツ子に怒られ・・・』
『バカヤロウ、カミさんにペコペコすんな』なんて志ん生さんが言って。そこへ三亀松さんが三味線持ってきて・・・『どうです、お一つ』、なんて・・・。」
彼女はこうも言っていた。
「(圓鏡さんが亡くなって)どんどん昔話が増えますねエ。益々伯父の事を知っている年代は居なくなってしまいます。頑張って書き残さないといけませんね。寂しくなります。」
圓蔵さんが行けば、出口さんは「ご苦労さん、まあ飲め」と言って、剣菱の瓶を傾けるだろう。圓蔵さんが頭をかきながら、困ったような笑顔を浮かべるのを、私は想像する。
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