徳川以前、常陸国を治めていた佐竹氏の本拠地である。
佐竹氏は関ヶ原の戦いで、西軍に味方していた上杉氏と通じていたことが発覚し、羽州秋田に追われた。(その際、美女をごっそり連れて行ったのが秋田美人の祖となったという。)
県北を代表する商業の中心地として栄えた。たばこや麦、木材など様々な物資は太田の街に集められた。JR水郡線は水戸と郡山を結ぶ路線だが、その支線となっている水戸~常陸太田間の方が、実は歴史が古いのだ。
現在、当時のような賑わいはない。しかし、街並みには古い商家や洋館などが残り、往時を偲ばせる。
詩人飯島耕一の先祖は佐竹氏に仕え、国替えの時には殿様に従って秋田に移り住んだという。
飯島は1970年代に常陸太田を旅し、地元の詩人たちと痛飲した。その翌朝の情景を、彼はこんな風に詩にしている。
「常陸太田の朝の商店街を歩いて駅に向かった/何百年も前の先祖はこんなところにいたのか/貧しくさびしい商店街がどこまでもつめたい腸のようにつづいていた」(「上野をさまよって奥羽を透視する」より)
私は駅から丘の上に上り、2時間ばかり街をぶらついた。
道は坂を上ると大きく二手に分かれる。まずは右側から行く。
坂道を登って行く。
折しも県北芸術祭期間中。
「鯨ヶ丘のピンクの窓」が至る所に展示してある。
さり気なく煉瓦造りの倉庫があったりする。
この土蔵造りはスポーツ用品店。
こちらの白壁蔵は本屋さんだ。
飯島耕一が泊まったのはこの辺りかねえ。
商家造り、土蔵造り、洋館、看板建築・・・、ほんと何でもあるな。まさに宝の山だ。
常陸太田シリーズはこの後も続きます。
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