ページビューの合計

2017年4月29日土曜日

ほたて 天丼

妻と次男がお出掛け。田圃は配水の不具合があり、様子見。
ということで、今日は長男とお留守番。
長男は学校から山のように課題が出たらしく、午前中ずっと机に向かっていた。
昼近く、長男を土浦散歩に連れ出す。いい天気だもんな。

お昼は亀屋がいい、と言っていたが今日はお休み。
では吾妻庵か、と訊くと、「ほたて」がいい、と言う。
シブイぞ、高1.
そこで亀城公園を抜けて中城通り、駅前通りの角にある、ほたてに行く。



店構えからしてすごいでしょ。
私も息子も天丼(並)を注文。それがこれ。

本格派は蓋付き。

蓋を取る。

天ぷらの構成は、吾妻庵の天ぷらそばに載ってるやつとほぼ同じ。

明治2年以来、当店名物のあら汁。

胡麻油の香ばしさが口中に広がる。

天丼(並)870円。小海老と小柱のかき揚げに、海老天2本。しょっぱめのタレがたっぷりとかかっている。旨し。長男もひと口食べて「美味しい」と喜んでおりました。
店内の佇まいも文句なしだねえ。


戦時中は海軍御用達のお店。
ちなみに「ほたて」は「帆立」ではなく「保立」であります。

では店の全景を。


ここ、何度撮っても飽きないんだよなあ。

2017年4月25日火曜日

三代目三遊亭圓歌を悼む

昨日、三代目三遊亭圓歌の訃報を知る。

私が小学生の頃、若手の売れっ子といえば、林家三平と三遊亭歌奴(後の三代目圓歌)であった。私としては小噺の羅列の三平より、ストーリー性のある歌奴の方が好きだった。
その半生は『三遊亭圓歌ひとり語り』(河出書房新社・2014年刊)に詳しい。
東京向島で育つ。昭和4年生まれか7年生まれか、はっきりしない。向島区役所が戦争で焼けて、正確には分からないのである。だから、メディアによっては、享年85としてある所と、88としてある所が混在している。
親の顔もろくに知らず、もの心ついた時には、駄菓子屋を営む祖母とともに暮らしていた。住んでいたのは玉ノ井遊郭があった辺り。幼なじみには漫画家の滝田ゆうがいた。
岩倉鉄道学校を出て、新大久保の駅員になったが、戦争が終わってすぐ、二代目三遊亭円歌に入門する。知り合いの落語家に「落語をやればどもりが治るんじゃないの」と勧められたのがきっかけだった。入門してみれば、師匠の円歌も吃音だったというから面白い。
大ヒット作は言わずと知れた『授業中』。吃音の小学生が、カール・ブッセの「山のあなたの空遠く 幸い住むと人の言う」を朗読するも、どもって「山のアナアナアナ・・・」と言ってしまうのがバカ受けに受けた。自らの吃音を逆手にとっての創作だった。
昭和45年(1970年)には、師匠の名跡である三代目圓歌を襲名する。圓歌時代の大ヒットが『中沢家の人々』。自分の両親、先妻の両親が同居している所に、新妻の両親もやって来て、老人6人をいっぺんに面倒見るドタバタを描いて爆笑を呼んだ。高齢化社会を先取りしたような落語である。この噺は幼い頃から家庭に恵まれなかった圓歌が、理想の家族を思い描いて作ったのだという。
2本とも圓歌の屈折を基に作られた噺だ。ただの爆笑ネタではない。そうでなければ、何十年も受け続けるはずがない。

2014年8月、鈴本演芸場昼の部が、私が生の圓歌を観た最後になった。この時は、「御前落語」の思い出を喋っていた。幾分たどたどしくはなっていたものの、相変わらず面白かったし、客にもよくウケていた。
トリの三遊亭歌之介がまた熱演。5秒に1度の爆笑といっても過言ではない。その辺りはまさに師匠圓歌譲りだが、彼の懸命のサービス精神は圓歌のライバル初代林家三平を彷彿とさせた。歌之介に、圓歌・三平の遺伝子が受け継がれているのを見て、私は嬉しかった。

私が中学1年の頃、石岡で圓歌の独演会があった。落語が好きだという私に、伯父がわざわざチケットを取ってくれた。しかし、その日は部活の試合と重なっていて、泣く泣く諦めざるを得なかった。気の毒に思った父が、本屋で興津要編『古典落語』を買って来てくれた。これが私が落語にハマるきっかけとなったのだ。
三代目三遊亭圓歌は、だから、私を落語に導いてくれた恩人なのである。

圓歌師匠のご冥福を祈る。これだけ客を笑わせることに徹し、笑わせ続けた人もいないだろう。本当に長い間楽しませていただきました。ありがとうございました。


2017年4月23日日曜日

全日本学生落語選手権を見る

昨日、テレビをつけたら偶然全日本学生落語選手権をやっていたので、結局終いまで見てしまった。
私が学生時代にもこういう大会は行われていて、大学1年の時には先輩の夢三亭艶雀さんが決勝に進出した。(艶雀さんは4年在学中に十代目桂文治に入門し、現在は二代目桂小文治として活躍している。)
その時の優勝は、当時東海大学2年生だった頭下位亭切奴さん。御存知、現春風亭昇太である。彼が演じた『饅頭怖い』は10分程度の高座だったが全編放映された。衝撃的な面白さだった。
今は安楽庵策伝所縁の地、岐阜で開かれているらしい。
今回の選手権はNHKが放映していたが、決勝進出者7人の落語は全てさわりだけ。優勝者だけでも全編流せばいいのに。
だけど、さわりだけでも楽しかった。上手いよね、皆。『ちりとてちん』演った関西の男子なんか見事なもんだった。
それにしても決勝進出7名中、4名が女子、女の子の元気さが目立ったな。これがまた、皆、自由にのびのびと演じている。特に優勝した『動物園』を演じた藤の家みるくさん(だっけ?)、よく「落語は男のものだ」と言われ、事実女性が演じると不自然さが目立ったりするんだけど、そんなことまったく感じさせなかった。女性落語の新たな可能性を感じさせる高座だったと思う。審査員の桂文枝が「先生になるという夢を諦めて、ぜひ落語家になってほしい」と言っていたけど、まあ最大の賛辞だよな。いいもの見させてもらいました。

夜は宴会。まあまあ飲む。

今日は妻がお出掛け。
子どもたちと、昼はゆきむらに行って、ラーメンと炒飯を食べる。
いい天気。家の周りは花ざかり。









柿の若葉もで始まる。

GWの後半は田植えだねえ。



2017年4月21日金曜日

笠間市岩間

ちょっと前、笠間にぐい吞みを買いに行った帰り、岩間の街中に寄ってみた。
今は笠間市の一部だが、もとは西茨城郡岩間町。その中心部をぶらつく。

まずは旧355号線沿い。


もとは時計屋さん。
この建物がいちばん好き。

もう1枚。正面から。


精米所。

もう1枚。現役のようです。

駅前通り。

喫茶店としては営業していないのかな。

これも好きだなあ。

これも、もう1枚、正面から。


今は何だかフツーの集落になっちゃったなあ。
広域合併というのはそういうものなのかねえ。

2017年4月19日水曜日

沖縄の昼飯

先月の沖縄旅行で食べた昼飯。

まずは2日目。美ら海水族館を見た後、本部そばの店に入る。


私はタコライス(800円だったかな)を注文。そばともずくが付いてくる。
ではアップです。

タコライスは御飯たっぷり。

肉は三枚肉とソーキの2種類。旨し。

妻子はソーキそば(700円)を食べた。
次男は完食。長男はほんの少し私に助けを求める。

店構えはこんな感じ。

お昼時、表でちょっと待つ。

きれいな店内。
おかあさんが気さくに接客してくれました。

3日目は那覇空港のフードコート。私は沖縄ランチを食べる。

とんかつ、鳥の唐揚げ、白身魚フライ、ゴーヤチャンプルー、オムレツ。
満艦飾の一皿。

妻は長男と豆腐そばを取り分けた。
ちょっと味見させてもらったけど、やさしいお味でした。

沖縄の食べ物は美味しいねえ。また皆で行こうよね。

2017年4月15日土曜日

春爛漫

長男は昨日宿泊学習から帰って来た。次男は慣れない中学生活でお疲れ気味。
というわけで、今日はのんびりと過ごすことにする。
午前中は散歩がてら床屋に行く。
桜は満開。多分見頃はこの週末までだな。
田圃からは今年初めての蛙の鳴き声が聞こえる。



散髪を終えたのが10時半過ぎ。
せっかくだからお昼はパンでも買って、外で花見でもしながら食べようということになった。
JAひたち野の販売所、「大地の恵み」でパンを買い、運動公園へ。
風が強かったので、駐車場に車を止め、皆でパンを食べる。
私はオニオンチーズと七味れんこん、玉子サンドをチョイス。美味しくいただきました。



夕方は長男のピアノの送迎。
ついでにやまうちストアでビールを買う。
近くの公園でも満開の桜。


帰って夕方ビール。
夕食は鯖の塩焼き、蓮根の素揚げ、煮物で燗酒。
風呂に入ってボウモアを飲む。

2017年4月13日木曜日

火の見櫓 その5


小美玉市堅倉、国道6号線沿いにある火の見櫓。
さすが小美玉市役所近く、市の中心部にあるだけに、高さも十分、形も美しい。


半鐘が吊るされている部分もむき出しではない。

こちらは同じ小美玉市内、やはり旧美野里町、鶴田の火の見櫓。

堅倉のよりいくぶん低い。


今時のものには珍しく半鐘が下がっている。

鉾田市串挽の火の見櫓。


鉾田市借宿にあるのと同じように建物の上に立っているタイプ。

ネオンサインで「火の用心」とある。
夜になると光るのかしら。

先日、小美玉市小塙にあった火の見櫓が撤去されていた。
こういうのはいつの間にかなくなっちゃうんだな。

在りし日の姿。

もう1枚別角度から。

通勤途中に見るの、楽しみだったんだけどなあ。