「国分寺に行ってみたい」と言うので、連れて行く。
741年(天平4年)、聖武天皇の命により各国に建立された、あの国分寺である。
当時は七重塔があり、寺域は東西270m、南北240mに及び、全国有数の規模を誇ったという。932年(天慶2年)の平将門の乱、1590年(天正18年)の佐竹氏侵攻による大掾氏滅亡等の兵火で相次いで焼失し、衰退した。中世以降無住の寺となったが、慶長年間(1596年~1615年)に近くの千手院の末寺となり、大正8年(1919年)になって千手院と合併、千手院の方が廃寺となった。現在は真言宗浄瑠璃山東方院国分寺という。かつては元亀元年(1570年)に建てられた仁王門があったが、明治41年(1908年)4月22日に焼失している。
山門。旧千手院から移築された。
本堂。
御本尊、薬師如来を安置している薬師堂。
仁王門があった所の正面にある。
太田道灌が「法の声それとや通ふ国分てふ暁深き庭の松風」という歌を詠んでいる。
(『いしおか昭和の肖像』より)
常陸国分寺跡は国指定の文化財(特別史跡)となっております。
その日は、石岡囃子の行事があったのか、お祭りの山車が出ていた。
石岡の街をぶらつく。
関東鉄道労働組合本部。
看板建築、喫茶四季。
以下は石岡市の登録文化財です。
東京庵。
福島砂糖店のトロッコ線路。
府中誉。
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